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第五章 期末テスト大騒動

第11話 期末テスト大騒動(2)

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 リディアは目を丸くして小さくつぶやいた。

「……きれいね」

 きれいだ、確かに。
 バルバディアの尖塔群も趣があっていいけど、この極限まで無駄を排したような白い石もまた、神聖な美しさがある。

 四人分の魔力はこの建物の中に固まっていた。
 壁沿いに歩いていくと、石を削って作られたような入り口がある。扉はなく、通路が奥に続いていた。この建造物の静寂に呑まれた俺とリディアは、なんとなく口を噤んだまま、静かにその通路に足を踏み入れる。

 足元には水の玉が転がっていた。
 比喩ではなく本当に、玉だった。
 壁と同じ白い石でできた床から、少しずつ滲み出て、玉になり、親指の先程の大きさになったところでころころと転がっていく。水の跡を残すことなく。
 そして、所々にある水溜まりに、音もなく合流していくのだった。

 いつまでも拝んでいたくなるような光景だった。

 先に我に返ったのはリディアだ。はっと顔を上げ、「すみません」と声をかける。

「誰かいますかー?」

 高い声が、白い壁に吸い込まれて通路の奥へ響いていく。
 壁に沿って緩やかなカーブを描いている通路をしばらく行くと、ぽかりと視界が開けた。通路の部分だけ除いて、ドームの内部はきれいに刳り貫かれた形をしていた。奥には祭壇らしき設えがあり、地面よりも何段か高いところに石舞台がある。

 外から見えていた天井の崩落。覆いかぶさるように枝葉を伸ばした木々の間から、太陽の光が零れていた。

 その最中に、四人の人影があった。
 男女二人ずつ。予想していたような、俺たちと同じ魔法学Ⅰの受験生でないことは明らかだ。休息日らしく私服を着ていた。

 男の一人が立ち上がり、こちらに歩いてくる。

「一年生? 制服を着ているということは、試験中なのかな」

 茶色い巻き毛をした、長身の青年だった。俺たちの前で立ち止まると、親切そうな微笑みを浮かべてリディアの顔を覗き込む。
 彼女はこくりとうなずいた。

「そうなんです。魔法学Ⅰの試験が迷路の攻略なんですが、コースアウトしてしまって。彼が魔力感知をしたところ、四人ぶんの魔力が固まって動かないっていうから、もしかして同じようにコースアウトした同級生がいるのかと思って……」

「それでこんなところまで来たんだね。演習場は反対方向だよ、近くまで連れて行ってあげよう」

 俺とリディアは顔を見合わせた。
 考えていたような深刻な事態ではなかったらしい。怪我人がいる様子もないし、親切なこの上級生は案内してくれるという。

 だが、と頭の端で赤色灯がくるくる回っている。


 ──試験期間中だぞ。
 学院の自習室で勉強しているとか実験しているとかならともかく、こんな深奥の森の中で、こいつら一体なにしてんだ。


「俺は四回生のジェラルディン・ハウザー。週明けに実験レポート提出があってね、必要な素材の採集に来たんだ。三回生以上になると、申請すれば深奥の森で採集活動を許可されるから、自分たちで新しい魔法薬の作成に挑戦したりするんだよ」

 警官になったやつが言ってた。
 車の検問で怪しいのは、求めてもないのに自分から車を降りてきて、聞いてもないのにベラベラ自分の事情を話すやつだって。
 後ろめたいことがあるやつは、他人をそれ以上テリトリーに入れないように、自分からこっち側に出てくるんだそうだ。

 しかも、だ。
 三巻の内容を締めくくる期末テスト。主人公のリディアと一緒。最大の山場を迎えたっておかしくないタイミングで、このアクシデント。

「そうなんですか。新しい魔法薬だなんてわくわくしますね。僕も早く先輩方のように、自分で色々挑戦してみたいです」
「バルバディアは学びを求める者を拒みはしないよ。何かやりたいことがあるなら、まず寮監の先生に相談してみるといい」

 ジェラルディンに促されて出口へ向かおうときびすを返すその瞬間、俺は残った三人のほうを一瞥した。
 男はこっちを睨みつけていた。
 女二人は、床に広げていた荷物を慌ててカバンに入れているみたいだ。瓶の擦れあう音がする。

「なんの試験中だったんだい?」
「魔法学Ⅰです。演習場オルテガの迷路攻略を」
「ああ、噂には聞いているよ。俺たちは二回生の前期にやったけど、前倒しにされているというのは驚いたなぁ」

 俺とリディアは並んで石造りの建物を出た。
 ジェラルディンは背後にぴったりとついている。……振り返ったり引き返したりしてほしくないのだろうか。

「兄にも言われました。兄は、魔王軍復活の動きがあることを学院側が憂慮したのだろうと」
「兄……。ああ、もしかしてきみがニコラ・ロウ? ギルバート・ロウによく似ている」
「はい」

 ニコッと微笑む俺の横では、リディアがきゅっと眉根を寄せている。
 こいつも明らかに変だと気づいているのかもしれない。
 だがこっちは一回生が二人、しかも一人は戦力外。対する向こうは四回生が四人。怪しいといっても証拠はないのだし、無駄にケンカを売るよりは、無事に演習場まで帰るほうが先決だ。

 リディアを無視したまま、ジェラルディンの指さすほうに向かって歩いていく。
 一応、本当に演習場の方角を教えてくれてはいた。足元に注意してみると、行きしなに目印として置いてきた薬草の束が落ちている。ふたつ目印を超え、建物から二十メートル離れたそのときだ。

 リディアが唐突に足を止めた。

「おっと、……どうしたんだい?」

 後ろを歩いていたジェラルディンがぶつかったのにも構わず、彼女は俺を見た。
 泣きそうな顔をしていた。次に唇が動く。──ご、め、ん。

「先輩、私この間、城下町に下りたときにとても怖い思いをしたんです」
「リディア?」

 思わず声をかけてしまった。
 謝罪と城下町の話がどう結びつくのかサッパリだ。同じくジェラルディンも、頭にはてなを浮かべながら首を傾げる。

「……怖い思い?」
「体調の悪そうな人に声をかけたら、掴みかかられたの。病気なんだ薬をくれ、って。一緒にいた人がその人を掴まえて、病院に運んで検査したら、確かに彼には持病があり、服薬の痕跡もあった。常習していたようで、肌から薬の臭いがするほどでした」
「それは、災難だったね」

 城下町。薬。俺はつい先日もその二つのキーワードを誰かから聞いた。
 淡々と相槌を打つジェラルディンを、リディアが若葉色の双眸で射貫く。


「先輩の服に滲みついたこの香り、いま城下町で出回っている、違法な魔法薬と同じですね」


 そうだ……兄貴から。
 城下町で魔法薬の粗悪品が出回っているから、用事がないなら外出するな、と。
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