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第六章 猫かぶり坊ちゃんの座右の銘
第6話 坊ちゃん、標的になる
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「えっ──」
「あぶねっ……!」
ロロフィリカの頭を抱え込み、椅子から引きずり下ろす。上から覆いかぶさった俺の背中に、読む生徒も少なく埃を被った分厚い書籍が次々降ってきた。
幸い本棚自体は閲覧用の机に引っ掛かっている。下敷きになることはなかったが、立派な装丁の本の角や金具や背表紙が、しこたま背中をぶん殴りにきた。
「ねえ誰か埋まってるわよ!」
「掘り起こそう、浮遊魔法が使える人はいませんか!?」
「先生呼んでくる……!」
派手な音がしたからか、すぐに大勢が駆け寄ってきた。
「に、ニコラ」
「喋らないほうがいい。埃がすごいから」
「でもだって、大丈夫なの!?」
体の下に庇ったロロフィリカを潰さないよう、床に手をついた体勢のまま、上に積み重なった本の山が崩れるのを待つ。
正直背中は痛いし本は重いが、まあ涼しい顔できる程度のもんだ。
やんちゃ坊主はやせ我慢が得意。
「僕はべつに。ロロフィリカこそ痛いところは?」
「ないけど……!」
「ならいい。机の下に避難できればよかったけど、ちょっと反応が遅れてしまったな」
本棚が倒れてくる、というのがあまりにも非現実的すぎて、一拍動きを止めてしまった。
ぎっちり本が詰まった、二メートル以上の高さのある書架だ。地震でもないのに倒れたとなると、向こう側から何者かが押したか、魔法でどうにかしたか。なんにせよ事故ではなさそうだ。
掘り起こしてくれた生徒の手を借りて、俺たちはひとまず床に座り込んだ。
ロロフィリカの手は震えていた。
その手を上からぎゅっと握りこみ、本を拾ってくれている先輩を見上げる。
「あの、書架を倒して逃げた人がいるかと思うんですが、誰か見ませんでしたか?」
「えっと……見た?」
「うん、見た、けど」
アスタミモザ寮の徽章をつけた、三回生の女子生徒二人が顔を見合わせた。困ったように眉を下げて、躊躇うように口を閉ざし、「ねえ」「うん」と言葉を濁す。
「……ロシェットの、ほら……」
「うん……」
……なるほど。
自分たちの弱い者いじめに介入してきた挙句、野次馬たちの前で恥をかかせてきた一回生の生意気なガキを、シメにきたんだな。
わかるぜその気持ち。ナメられたらおしまいだもんな、先手は打ちてえよな。俺たちはお前を標的にしているぞ、って思い知らせたいんだよな。
ああ、わかるぜ、その思考。
クソみてーな不良どもがよくやる手口だよ、このテの闇討ちって。
「気に入らないな……」
でもな。ロロフィリカは関係ないだろ。
やるなら俺が一人のときにやってこい、卑怯者。
「ニコラ? ちょっと、なんか悪い顔になってるわよ……?」
「知らなかったのか? 僕は元からこういう顔だよ」
そう、俺は元から、そういう胸糞悪いやつらが大っ嫌いだ。
生まれる前からな。
◇ ◇ ◇
エドマンドやメダルドの件については、エウに知られないようロロフィリカに口止めしておいた。
前期からやたら主人公組関連のトラブルに巻き込まれているうえ、休暇中の暁降ちの丘襲撃もあって、エウには心配をかけっぱなしだ。さらに厄介な上級生に目をつけられたなんて知られたら、たぶん、泣く。
エウの涙はいかん。
なんかこう……いかんのだ。いかんよな?
「おお……見事な青痣になってる」
「うわ。なにそれ?」
朝、着替えながら洗面所の鏡に背中を映して身を捩っていると、歯を磨きに来たトラクが顔をしかめた。
「昨日、図書塔で調べ物をしていたら本が降ってきたんだ」
「災難だったねぇ。この程度で済んでよかったな」
「まったくだ」
いや本当に、まったくだ。ロロフィリカに怪我がなかったから良いものを。
ニコラの体はいまいち筋肉がつきにくく、ひょろっとしている。そんな白い背中に見えるいくつもの青痣は、なんだかやんちゃ時代の怪我を彷彿とさせて懐かしかった。
ま、ほっときゃそのうち消えんだろ。
そんな風に余裕で構えていた俺が、ロロフィリカへの口止めに意味がなかったことを知るのは、一限目の植物学基礎でのことだった。
エウとトラクとともに講義室に足を踏み入れた瞬間だ。
五十人以上が収容できるすり鉢状の広い講義室の一部が、しんっと静まり返った。
「……なに?」
訝しげに眉を顰めたのはトラクだ。エウは驚いたように目を丸くして、そして俺を見上げる。
俺の姿を見て口を閉ざしたのは、主にダリアヴェルナ寮の生徒たちだった。親しくしているわけではないが、険悪な仲でもない。それが一様に、怯えたような表情でそっと視線を逸らしていく。
その中には、まるで可哀想なものを見るような目も交じっていた。
怯えているのは、俺に対してではなく、エドマンドたちに対してか。
思った以上に性質の悪い連中なんだな。
「エウフェーミア。今日からしばらく離れよう」
「ニコ?」
「どうもダリア寮のお兄さまに嫌われたみたいだ。一緒にいると絡まれるかもしれない」
「……それで、こんなふうにおかしな空気なの?」
「僕に関わらないよう脅されたんじゃないかな。彼らが悪いわけじゃない。ちょっと僕が迂闊だっただけだよ」
寮や学年を問わず開講されているこの植物学基礎だが、ロロフィリカやミーナなど、ローズ寮の女子生徒も多く受講している。
事情を知るロロフィリカの心配そうな顔が見えたので、エウの背中を押した。
「でも、そんな……。どうして? ニコが何かしたわけじゃないんでしょう?」
「正直なことを言うと、心当たりがあるんだ。だから念のため離れておいて。トラク、おまえも……」
「大丈夫、エウフェーミアさん。ニコラには俺がついておくから、ね?」
できたらエウについておいてほしかったのだが、最後まで口にする前に、見えないように背中を殴られた。
痛てーんだけど。……黙れってことですか。
「食事も別々で。寮に戻ったら話すよ」
エウが俺の制服を掴む。
その弱弱しい指を一本ずつ引き剥がし、トラクを連れて離れた。
「あぶねっ……!」
ロロフィリカの頭を抱え込み、椅子から引きずり下ろす。上から覆いかぶさった俺の背中に、読む生徒も少なく埃を被った分厚い書籍が次々降ってきた。
幸い本棚自体は閲覧用の机に引っ掛かっている。下敷きになることはなかったが、立派な装丁の本の角や金具や背表紙が、しこたま背中をぶん殴りにきた。
「ねえ誰か埋まってるわよ!」
「掘り起こそう、浮遊魔法が使える人はいませんか!?」
「先生呼んでくる……!」
派手な音がしたからか、すぐに大勢が駆け寄ってきた。
「に、ニコラ」
「喋らないほうがいい。埃がすごいから」
「でもだって、大丈夫なの!?」
体の下に庇ったロロフィリカを潰さないよう、床に手をついた体勢のまま、上に積み重なった本の山が崩れるのを待つ。
正直背中は痛いし本は重いが、まあ涼しい顔できる程度のもんだ。
やんちゃ坊主はやせ我慢が得意。
「僕はべつに。ロロフィリカこそ痛いところは?」
「ないけど……!」
「ならいい。机の下に避難できればよかったけど、ちょっと反応が遅れてしまったな」
本棚が倒れてくる、というのがあまりにも非現実的すぎて、一拍動きを止めてしまった。
ぎっちり本が詰まった、二メートル以上の高さのある書架だ。地震でもないのに倒れたとなると、向こう側から何者かが押したか、魔法でどうにかしたか。なんにせよ事故ではなさそうだ。
掘り起こしてくれた生徒の手を借りて、俺たちはひとまず床に座り込んだ。
ロロフィリカの手は震えていた。
その手を上からぎゅっと握りこみ、本を拾ってくれている先輩を見上げる。
「あの、書架を倒して逃げた人がいるかと思うんですが、誰か見ませんでしたか?」
「えっと……見た?」
「うん、見た、けど」
アスタミモザ寮の徽章をつけた、三回生の女子生徒二人が顔を見合わせた。困ったように眉を下げて、躊躇うように口を閉ざし、「ねえ」「うん」と言葉を濁す。
「……ロシェットの、ほら……」
「うん……」
……なるほど。
自分たちの弱い者いじめに介入してきた挙句、野次馬たちの前で恥をかかせてきた一回生の生意気なガキを、シメにきたんだな。
わかるぜその気持ち。ナメられたらおしまいだもんな、先手は打ちてえよな。俺たちはお前を標的にしているぞ、って思い知らせたいんだよな。
ああ、わかるぜ、その思考。
クソみてーな不良どもがよくやる手口だよ、このテの闇討ちって。
「気に入らないな……」
でもな。ロロフィリカは関係ないだろ。
やるなら俺が一人のときにやってこい、卑怯者。
「ニコラ? ちょっと、なんか悪い顔になってるわよ……?」
「知らなかったのか? 僕は元からこういう顔だよ」
そう、俺は元から、そういう胸糞悪いやつらが大っ嫌いだ。
生まれる前からな。
◇ ◇ ◇
エドマンドやメダルドの件については、エウに知られないようロロフィリカに口止めしておいた。
前期からやたら主人公組関連のトラブルに巻き込まれているうえ、休暇中の暁降ちの丘襲撃もあって、エウには心配をかけっぱなしだ。さらに厄介な上級生に目をつけられたなんて知られたら、たぶん、泣く。
エウの涙はいかん。
なんかこう……いかんのだ。いかんよな?
「おお……見事な青痣になってる」
「うわ。なにそれ?」
朝、着替えながら洗面所の鏡に背中を映して身を捩っていると、歯を磨きに来たトラクが顔をしかめた。
「昨日、図書塔で調べ物をしていたら本が降ってきたんだ」
「災難だったねぇ。この程度で済んでよかったな」
「まったくだ」
いや本当に、まったくだ。ロロフィリカに怪我がなかったから良いものを。
ニコラの体はいまいち筋肉がつきにくく、ひょろっとしている。そんな白い背中に見えるいくつもの青痣は、なんだかやんちゃ時代の怪我を彷彿とさせて懐かしかった。
ま、ほっときゃそのうち消えんだろ。
そんな風に余裕で構えていた俺が、ロロフィリカへの口止めに意味がなかったことを知るのは、一限目の植物学基礎でのことだった。
エウとトラクとともに講義室に足を踏み入れた瞬間だ。
五十人以上が収容できるすり鉢状の広い講義室の一部が、しんっと静まり返った。
「……なに?」
訝しげに眉を顰めたのはトラクだ。エウは驚いたように目を丸くして、そして俺を見上げる。
俺の姿を見て口を閉ざしたのは、主にダリアヴェルナ寮の生徒たちだった。親しくしているわけではないが、険悪な仲でもない。それが一様に、怯えたような表情でそっと視線を逸らしていく。
その中には、まるで可哀想なものを見るような目も交じっていた。
怯えているのは、俺に対してではなく、エドマンドたちに対してか。
思った以上に性質の悪い連中なんだな。
「エウフェーミア。今日からしばらく離れよう」
「ニコ?」
「どうもダリア寮のお兄さまに嫌われたみたいだ。一緒にいると絡まれるかもしれない」
「……それで、こんなふうにおかしな空気なの?」
「僕に関わらないよう脅されたんじゃないかな。彼らが悪いわけじゃない。ちょっと僕が迂闊だっただけだよ」
寮や学年を問わず開講されているこの植物学基礎だが、ロロフィリカやミーナなど、ローズ寮の女子生徒も多く受講している。
事情を知るロロフィリカの心配そうな顔が見えたので、エウの背中を押した。
「でも、そんな……。どうして? ニコが何かしたわけじゃないんでしょう?」
「正直なことを言うと、心当たりがあるんだ。だから念のため離れておいて。トラク、おまえも……」
「大丈夫、エウフェーミアさん。ニコラには俺がついておくから、ね?」
できたらエウについておいてほしかったのだが、最後まで口にする前に、見えないように背中を殴られた。
痛てーんだけど。……黙れってことですか。
「食事も別々で。寮に戻ったら話すよ」
エウが俺の制服を掴む。
その弱弱しい指を一本ずつ引き剥がし、トラクを連れて離れた。
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