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第七章 薬草学フィールドワーク
閑話・とある従者のあれやこれ(2)
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シリウスが医務室に案内されたとき、ニコラは静かに眠っていた。
一時間で荷物をまとめ、空間転移魔法でバルバディアの一室に送られた。緊急事態の際、学院長の許可を得て外部とつながることのできる隠し部屋だという。そこで迎えてくれたギルバートは、シリウスの顔を見て開口一番こう言った。
「聞いたんだね」
「……ギル坊ちゃんは全部知っていたんですね?」
「十歳の誕生日に父上から聞かされたよ。こういう夢の内容だが兄弟で殺させはしない、父がこの手でかたをつけるから、おまえはニコラに妙な動きがないかよく見ていなさいと」
どうやらニコラの看護というのは、今回のシリウス派遣の目的のうちほんの二割程度であるらしい。
最大の目的はむろん『匣』の質問で五割、残る三割はギルバートからのお願いで、またリディアの魔術を面倒見てやってほしいということだった。
洗濯場や炊事場を案内してもらったあと、ようやくニコラの眠る医務室までたどり着いた。
浅い息を繰り返す主人の額を撫でる。
記憶にある限り、ニコラが熱で昏倒するなんて初めてのことだった。弱った姿を見るのが辛くて、目のふちが熱くなる。
するとニコラが薄く眸をひらいた。
「……シリウス? なんでシリウスがいるんだ」
「坊ちゃまの看病を仰せつかりまして、ちょっと飛んで参りました」
「ンだその敬語きしょくわる……いやだめだ、魔法使えないんだ、今」
熱でぼんやりしているのか、話が急に飛ぶ。
「つぅか、ただの熱だぞ。なんでわざわざおまえが」
……若干鈍ってはいるが、ニコラはもともと頭が悪いわけじゃない。
不自然には思われるだろうとシリウスも解っていた。
「ついでにリディアちゃんの魔術を見てほしいんだそうですよ」
「あー……あいつな……うん、頼むわ、どうにかしてくれあのぽんこつ……」
「坊ちゃん」
訊くなら今のうちだ。
普段のニコラ相手に揺さぶるような質問をしたって、シリウスは多分騙される。熱に浮かされてニコラの判断が鈍っているうちにとっとと訊いておくべきだ。
もし本当に魔王の手先だった場合、シリウスがこんな質問をすれば、自分が疑われていることくらい気づくだろう。
そして一切心当たりがなかった場合でも、匣ってなんだよ、と文句を言いながら自分で調べて、いつか自分が疑われていることに気づいてしまう。
「シリウス? どうかしたか……」
「……何か、してほしいことはありますか」
「え~……なんだろ。熱出すの久々すぎて思いつかねぇ。とりあえず着替えたいかも」
「では寮に行って、お着替えを取ってまいります。入寮許可証は発行していただいていますから」
椅子から立ち上がったシリウスの指先を、ニコラが掴んだ。
体温が高い。あとで熱を測ったほうがいいだろう。
「寮にさぁ、エウいると思うんだけど、顔見せてやってよ。よろこぶから」
「……わかった」
「へこんでっから、あいつ。うまい茶でも淹れてやって」
「うん」
熱出してんだから、自分のことだけ考えとけよ、ばかだな。
──こんな、いつだって自分のことを後回しにするようなやつが、どうして魔王の手先だなんて思えるんだよ。
「ニコ、そういえば、旦那さまから質問だ。『匣の在処』を知ってるかって」
「はぁ、親父殿? 箱ってなんのよ。宝箱?」
脈絡のないシリウスの言葉に首を傾げる、その表情に嘘はない。
「知らないならそれでいいんだ。そう伝えておく」
「うん。知るかヴォケって言っといて」
「言えるかバカ」
おっと、いけない。誰が聞いているかわからないから余所行きのおまえたちでね、とギルバートに言われていたのだった。
入寮許可証を利用してニコラの所属しているヒュースローズ寮に足を踏み入れる。
白い壁紙で統一されるなかに蒼いアクセントの光る、落ち着いた雰囲気の建物だった。休日だから生徒たちもみな私服だったが、やはり見慣れない顔のシリウスの登場で一瞬だけ緊張が走る。
「恐れ入ります」とにっこり笑って手近な男子生徒に話しかけると、許可証とシリウスの服装を見て納得してくれた。ニコラのことだから敵を作りまくっているかもしれないと危惧していたが、案外そんなわけでもなく、快く寮内を案内される。
名前と学年を聞いて納得した。名のある貴族の三男であった。
『ニコラ・ロウ』
『トラク』
二つの名札がかかった部屋のドアをノックする。
ややあって室内で人の動く気配がしたあと、「はーい」と、琥珀色の双眸の少年が出迎えてくれた。
「ニコラ・ロウの従者のシリウスと申します。こちらは入寮許可証。着替えを取りに来たのですが、お部屋にお邪魔してもよろしいですか?」
同室の少年、トラクは目を丸くしてシリウスを見つめた。
ニコラの従者という点に驚いたのか、それともシリウスが只人であると気づいたのか、どちらかだろうと思った。
「『シリウス』……ああ、きみが……」
トラクは妙な納得の仕方をすると、ドアを大きく開けて手招く。ニコラが使用しているクロゼットを開けると、中はきちんと整理されていた。
ニコラは別に際立って片づけや整頓が下手なタイプではないが、私室ではけっこう適当にしがちだ。脱ぎ散らかされた靴下を拾って歩いたこともある。このクロゼットを見る限り、ニコラは同室のトラクの前でも『キラキラお坊ちゃまモード(笑)』でいるらしい。
ストレス溜まってんだろなァ、と内心ぼやきながら、下着や寝間着を適当に選ぶ。
ふと目に入ったベッドの枕元にアロマキャンドルのようなものが見えて、シリウスは首を傾げた。そんな趣味あったっけか。ついでなのでちょっと乱れている掛布団を整えてやって、トラクに会釈する。
「ニコラ坊ちゃまは、学校ではどんなご様子でしょうか。なにぶん、難しいところもおありのかたですので」
「……ああ、うん。まあ、面白い人ですよね」
答えるトラクの微苦笑に、ああこりゃお坊ちゃま『モード』なのバレてんな、と察したシリウスだった。
「一生懸命、悪ぶろうとしているわりに、正義感が強すぎて結局いいやつになっちゃってる。なんでそんなにリディアたちに突っかかるのかと不思議だったけど、あなたが只人だからニコラはあんなに怒っているんですね」
「ギルバート坊ちゃまによるとそのようです。リディアさんにも申し訳ないですから、私のことで怒る必要はないと申し上げたのですが、相変わらずですか」
「ニコラはあなたが好きなんですよ。あなたがニコラを好きなように」
トラクは穏やかに蕩けるような笑みを浮かべた。
同室の生徒は孤児だという話で、貴族じゃないから肩肘張らずに済んでいる、と聞いていた。シリウスは自分やオスカーみたいな下町の悪ガキを想像していたのだが、どうも妙に育ちの良さそうな孤児だ。
僅かに抱いた違和感を表情に浮かべることなく、シリウスは部屋を辞去した。
翌日はエウフェーミアと一緒にお茶をして、リディアの魔術の様子を見て二、三助言したり、ニコラの世話を焼いたりして過ごした。
ニコラの熱はこの日の昼頃から激しく上下を繰り返し、ほとんど目を覚まさない状態に陥った。魔法医師や魔法薬の先生とやらが常駐し、「こういうものだ」と宥めてくれたので、まだしも気が楽だった。
代わる代わる見舞客が訪れ、見舞いの品も届けられ、シリウスはその対応にも追われた。中にはシリウスが只人だと知るとあからさまな侮蔑を浮かべる者もあったが、慣れていたのでそつなく流す。いつものことである。
この態度が、カーテンの向こうのニコラに伝わらないといいけれど、とだけ考えていた。
三日目の夜になってようやく平熱に落ち着き、ニコラがげっそりした顔で「ウソだろ、体中が筋肉痛なんだけど」とぼやいたので、シリウスはようやく笑えた。
四日目の朝、シリウスはバルバディアの教員の魔法でルフに送られた。
夕方に帰邸したディートハルトに、匣に関する質問へのニコラの返答を伝えると、彼はただ一言「そうか」とつぶやいたのみであった。
一時間で荷物をまとめ、空間転移魔法でバルバディアの一室に送られた。緊急事態の際、学院長の許可を得て外部とつながることのできる隠し部屋だという。そこで迎えてくれたギルバートは、シリウスの顔を見て開口一番こう言った。
「聞いたんだね」
「……ギル坊ちゃんは全部知っていたんですね?」
「十歳の誕生日に父上から聞かされたよ。こういう夢の内容だが兄弟で殺させはしない、父がこの手でかたをつけるから、おまえはニコラに妙な動きがないかよく見ていなさいと」
どうやらニコラの看護というのは、今回のシリウス派遣の目的のうちほんの二割程度であるらしい。
最大の目的はむろん『匣』の質問で五割、残る三割はギルバートからのお願いで、またリディアの魔術を面倒見てやってほしいということだった。
洗濯場や炊事場を案内してもらったあと、ようやくニコラの眠る医務室までたどり着いた。
浅い息を繰り返す主人の額を撫でる。
記憶にある限り、ニコラが熱で昏倒するなんて初めてのことだった。弱った姿を見るのが辛くて、目のふちが熱くなる。
するとニコラが薄く眸をひらいた。
「……シリウス? なんでシリウスがいるんだ」
「坊ちゃまの看病を仰せつかりまして、ちょっと飛んで参りました」
「ンだその敬語きしょくわる……いやだめだ、魔法使えないんだ、今」
熱でぼんやりしているのか、話が急に飛ぶ。
「つぅか、ただの熱だぞ。なんでわざわざおまえが」
……若干鈍ってはいるが、ニコラはもともと頭が悪いわけじゃない。
不自然には思われるだろうとシリウスも解っていた。
「ついでにリディアちゃんの魔術を見てほしいんだそうですよ」
「あー……あいつな……うん、頼むわ、どうにかしてくれあのぽんこつ……」
「坊ちゃん」
訊くなら今のうちだ。
普段のニコラ相手に揺さぶるような質問をしたって、シリウスは多分騙される。熱に浮かされてニコラの判断が鈍っているうちにとっとと訊いておくべきだ。
もし本当に魔王の手先だった場合、シリウスがこんな質問をすれば、自分が疑われていることくらい気づくだろう。
そして一切心当たりがなかった場合でも、匣ってなんだよ、と文句を言いながら自分で調べて、いつか自分が疑われていることに気づいてしまう。
「シリウス? どうかしたか……」
「……何か、してほしいことはありますか」
「え~……なんだろ。熱出すの久々すぎて思いつかねぇ。とりあえず着替えたいかも」
「では寮に行って、お着替えを取ってまいります。入寮許可証は発行していただいていますから」
椅子から立ち上がったシリウスの指先を、ニコラが掴んだ。
体温が高い。あとで熱を測ったほうがいいだろう。
「寮にさぁ、エウいると思うんだけど、顔見せてやってよ。よろこぶから」
「……わかった」
「へこんでっから、あいつ。うまい茶でも淹れてやって」
「うん」
熱出してんだから、自分のことだけ考えとけよ、ばかだな。
──こんな、いつだって自分のことを後回しにするようなやつが、どうして魔王の手先だなんて思えるんだよ。
「ニコ、そういえば、旦那さまから質問だ。『匣の在処』を知ってるかって」
「はぁ、親父殿? 箱ってなんのよ。宝箱?」
脈絡のないシリウスの言葉に首を傾げる、その表情に嘘はない。
「知らないならそれでいいんだ。そう伝えておく」
「うん。知るかヴォケって言っといて」
「言えるかバカ」
おっと、いけない。誰が聞いているかわからないから余所行きのおまえたちでね、とギルバートに言われていたのだった。
入寮許可証を利用してニコラの所属しているヒュースローズ寮に足を踏み入れる。
白い壁紙で統一されるなかに蒼いアクセントの光る、落ち着いた雰囲気の建物だった。休日だから生徒たちもみな私服だったが、やはり見慣れない顔のシリウスの登場で一瞬だけ緊張が走る。
「恐れ入ります」とにっこり笑って手近な男子生徒に話しかけると、許可証とシリウスの服装を見て納得してくれた。ニコラのことだから敵を作りまくっているかもしれないと危惧していたが、案外そんなわけでもなく、快く寮内を案内される。
名前と学年を聞いて納得した。名のある貴族の三男であった。
『ニコラ・ロウ』
『トラク』
二つの名札がかかった部屋のドアをノックする。
ややあって室内で人の動く気配がしたあと、「はーい」と、琥珀色の双眸の少年が出迎えてくれた。
「ニコラ・ロウの従者のシリウスと申します。こちらは入寮許可証。着替えを取りに来たのですが、お部屋にお邪魔してもよろしいですか?」
同室の少年、トラクは目を丸くしてシリウスを見つめた。
ニコラの従者という点に驚いたのか、それともシリウスが只人であると気づいたのか、どちらかだろうと思った。
「『シリウス』……ああ、きみが……」
トラクは妙な納得の仕方をすると、ドアを大きく開けて手招く。ニコラが使用しているクロゼットを開けると、中はきちんと整理されていた。
ニコラは別に際立って片づけや整頓が下手なタイプではないが、私室ではけっこう適当にしがちだ。脱ぎ散らかされた靴下を拾って歩いたこともある。このクロゼットを見る限り、ニコラは同室のトラクの前でも『キラキラお坊ちゃまモード(笑)』でいるらしい。
ストレス溜まってんだろなァ、と内心ぼやきながら、下着や寝間着を適当に選ぶ。
ふと目に入ったベッドの枕元にアロマキャンドルのようなものが見えて、シリウスは首を傾げた。そんな趣味あったっけか。ついでなのでちょっと乱れている掛布団を整えてやって、トラクに会釈する。
「ニコラ坊ちゃまは、学校ではどんなご様子でしょうか。なにぶん、難しいところもおありのかたですので」
「……ああ、うん。まあ、面白い人ですよね」
答えるトラクの微苦笑に、ああこりゃお坊ちゃま『モード』なのバレてんな、と察したシリウスだった。
「一生懸命、悪ぶろうとしているわりに、正義感が強すぎて結局いいやつになっちゃってる。なんでそんなにリディアたちに突っかかるのかと不思議だったけど、あなたが只人だからニコラはあんなに怒っているんですね」
「ギルバート坊ちゃまによるとそのようです。リディアさんにも申し訳ないですから、私のことで怒る必要はないと申し上げたのですが、相変わらずですか」
「ニコラはあなたが好きなんですよ。あなたがニコラを好きなように」
トラクは穏やかに蕩けるような笑みを浮かべた。
同室の生徒は孤児だという話で、貴族じゃないから肩肘張らずに済んでいる、と聞いていた。シリウスは自分やオスカーみたいな下町の悪ガキを想像していたのだが、どうも妙に育ちの良さそうな孤児だ。
僅かに抱いた違和感を表情に浮かべることなく、シリウスは部屋を辞去した。
翌日はエウフェーミアと一緒にお茶をして、リディアの魔術の様子を見て二、三助言したり、ニコラの世話を焼いたりして過ごした。
ニコラの熱はこの日の昼頃から激しく上下を繰り返し、ほとんど目を覚まさない状態に陥った。魔法医師や魔法薬の先生とやらが常駐し、「こういうものだ」と宥めてくれたので、まだしも気が楽だった。
代わる代わる見舞客が訪れ、見舞いの品も届けられ、シリウスはその対応にも追われた。中にはシリウスが只人だと知るとあからさまな侮蔑を浮かべる者もあったが、慣れていたのでそつなく流す。いつものことである。
この態度が、カーテンの向こうのニコラに伝わらないといいけれど、とだけ考えていた。
三日目の夜になってようやく平熱に落ち着き、ニコラがげっそりした顔で「ウソだろ、体中が筋肉痛なんだけど」とぼやいたので、シリウスはようやく笑えた。
四日目の朝、シリウスはバルバディアの教員の魔法でルフに送られた。
夕方に帰邸したディートハルトに、匣に関する質問へのニコラの返答を伝えると、彼はただ一言「そうか」とつぶやいたのみであった。
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