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第八章 悪役坊ちゃん傷心中

第2話 グレーゾーンな人たち

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 確信犯のロロフィリカはしれっとした顔で腕を組む。

「別に誰も脚色して話したりしなかったのよ。単にこれこれこういう出来事があってニコラが数日入院なんだ、みたいな。でもシリウスさんが登場して、これがまた素敵な執事っぷりだからさあ」

「執事じゃなくて従者だが」と一応口を出しておいた。

「ま、そのへん区別つかないあたしのような庶民もいるわけよ。……高名かつそれなりに悪名も高かったニコラが、獰猛な魔物と見るや否や、身分の貴賎に関係なく女性を庇って自らが囮になった! 看護のため訪れたシリウスさんがこれまたイケメンで優しい! っていうんで、ニコラの株が爆上がりなのよね」

 個人的に株が上がるのは嬉しいけど、シリウスの評判がいいのも正直ドヤりたいんだけど、悪役坊ちゃんとしては後期もしっかりばっちり落第じゃねぇか。
 なに、もしかしてアレ、自分だけいの一番に逃げるのがニコラ的大正解だったとか?

 確かに『ニコラ英雄譚』みたいになっているらしいが、これだけなら別に大変でもないだろう。放置しておけばそのうち鎮火する話だ。
 思った通り続きがあるようで、ロロフィリカはしかめっ面になった。

「そうやってニコラを崇拝する一方で、躊躇なく魔物にきみかげそうを食わせたアデルは血も涙もない悪魔、みたいな扱いになってるのよね。主に貴族連中ニコラ派のせいで」

 魔物に腕を噛まれた俺を、最速で助けるためにきみかげそうを使った。あのときアデルの判断は誰よりも早かった。
 もしアデルがやらなかったとしても、俺やトラクだって同じようにしただろう。けれどあの場で一番迅速に命を奪う決断ができて、自分の手を汚すことを厭わなかったのがアデルだった。

 それだけの話なのだが。

「リディアの反論なんてニコラ派は聞きやしないし。目撃していたトラクもエウも、アデルの対応は間違いなかったんだってフォローしてるけど。何せもともと無愛想だからあの子」

 入学してからこちら、八割方はあの不愛想で損してるからな、あいつ。

「……そのうえ自分から誤解を解くタイプでもないと」
「そういうことよね。あと外見」
「黒髪黒目。あまり好まれる色ではないからな」

 加えて只人。極めつけに前期の学年一位。
 親父殿に一言もらった俺だけでなく、「只人如きに成績で負けた」と親から小言を頂戴した生徒は多いだろう。両親が魔法使いとして誇り高く在る貴族の連中は余計に。

「別にさ、だからって魔王の手先だって話にはならないけどね、イルザーク先生だって黒髪だし。ただやっぱり本人が否定も肯定もしないから、根も葉もない噂に尾鰭はひれ。右脚を引きずっているのは昔悪魔の召喚に失敗して代償に喰われたからだとか、魔術は媒介を通して精霊たちを強制的に従わせる力だからその呪いを受けたんだとか……」

 学院という閉鎖空間に閉じ込められた、娯楽に餓える坊ちゃん嬢ちゃんの矛先が噂話に向かったわけだ。
 おあつらえ向きに、プリンスの弟であるニコラの外見は金髪碧眼。対するアデルは魔王色。
 一方を偶像に仕立て上げ、もう一方を排除の対象とする。娯楽としては一石二鳥のイベントだ。

 ここまで話が盛り上がっていて、『アデルが魔物をけしかけてニコラを殺そうとした』とかに発展しないだけ、まだセーブがかかっているのかもしれない。

「あたしたちってさ、魔術を使う只人に出会う機会ってほとんどないわけでしょ」
「……まあ、そうだな」

「だからリディアとアデルを見て、みんなあんなもんだって思ってたの。もうほとんど受け入れかけてた。でもシリウスさんが来て、疑問に思っちゃったんだよね。『シリウスさんのほうが魔術を上手に使うのに、なぜバルバディアに入学できたのは爆発魔のリディアなんだろう?』」

 返す言葉もなく黙り込む俺に、ロロフィリカは自嘲めいた笑みを浮かべる。

「あたしも思ったもん。リディアって何で入学を許可されたんだろ、って」
「……誰でも考えることだ。僕はずっと疑問だったけれどね」
「だから今現在、只人二人組は逆風の真っ只中ってことよ」

 溜め息をついて体を起こす。
 額に載っていた濡れタオルはすっかり常温になっていた。

 なんともいえない気持ちで膝に頬杖をつく。そんな俺を見やって、ロロフィリカは少し物憂げに微笑んでみせた。

「──正直、驚いた。ああいう場面で本当に、誰かのために自分を危険に晒せる人がいるんだなぁって。ニコラってやっぱり、あたしたちとは少し違うね」

 その結果一人だけ熱を出してぶっ倒れて実家から保護者シリウス召喚って、なかなか格好悪いと思うんだけどなぁ。
 俺はむしろ、あの魔物がエウに向かって行った瞬間、咄嗟に前に出て杖を構えてくれたトラクを熱く褒め称えたい。トラクが間に合わなければ、ここに寝込んでいたのは俺でなくエウだっただろう。

 ロロフィリカは俺が納得いかない様子なことに気づいて肩を竦めた。

「ちょっとエウフェーミアのこと羨ましいって思っちゃった」

「…………」
「不謹慎だよね。忘れて」

 ひらりと手を振って立ち上がると、カーテンの隙間から出ていく。
 たかたか軽やかな足音は医務室の扉に近づいて行って、そして退室したようだった。

「……それってどういう意味?」

 僅かに揺れるカーテンにロロフィリカの存在の余韻を感じながら、俺はボケッとつぶやいた。
 そのままの意味でもとれるし、深読みしようと思えばいくらでもできる。さすがにそこまでボンクラじゃないつもりなので、今の発言がだいぶグレーゾーンなのは解った。
 ひどく遠い目になった俺は、よし、と開き直って布団をかぶる。


 寝よ。


   ◇  ◇  ◇


 翌朝、体温が平熱に下がると、ようやく退院の目処が立った。
 俺の体調が戻ったということでシリウスもルフに帰ることとなる。俺は念のため今日一日も療養するよう言われているから見送ることができるが、ロロフィリカやリディアたちは授業があるので朝のうちに別れの挨拶を済ませた。
 エウは「また次のお休みに会おうね」と寂しげに手を振りながら授業へ向かっていった。

 校医から外出許可をもぎ取った俺はシリウスと二人、医務室を出る。

「お見舞いのお品はお部屋に置いてあります。ギルバート坊ちゃまのお知り合いから花瓶を借りてお花を活けていますから、終わったら返却してください」
「花ね。了解」

 基本的に学院生以外が出入りできないバルバディアにおいても、緊急事態には所定の隠し部屋にて学院長の許可のもと、空間転移魔法を使うことができるという。なんだか親父殿の権力でゴリ押しした気配があるが、なんといっても魔王の手の者に襲われたわけだから、学院側も大目に見てくれたのかもしれなかった。
 シリウスをルフに送ってくれるのはイルザーク先生らしい。

 授業中で出歩く生徒も少ないバルバディアの敷地を、シリウスとともに歩く。
 なんとも不思議な気分だった。

「受け取った品物とお見舞客のリストもお部屋にありますから、元気になったらお返しをご用意してくださいね」
「お返しか……全部焼き菓子とかでいいかな」

 見舞客とはいっても、そのうち何人の顔と名前が一致するだろうか。
 貴族ってこういうところが本当に面倒くさい。直接知り合いじゃないなら放っておいてくれていいのにな。

「なんでもいいですけど、お返しの用意を口実にして、週末にエウフェーミアさまを誘って城下町デートでもしてください。まだへこんでますよ。べっこべこに」
「……だろうなぁ」

 周りに人の気配がないからか、シリウスの従者口調はだいぶ適当なものになっていた。
 バルバディアにいる間はなんだかんだでニコニコ従者モードだったのだ。

 すぅっと片目を細めたシリウスが「ニコ」とこっそり呼び捨てる。

「なんか悪巧みするときはオレも混ぜろよ?」
「悪巧みってなんだよ……」

 またリディアに何か吹き込まれたんだろうか。
 前回の休みにリディアがロウ家を訪れたあと、「女の子に嫌がらせとか何企んでんだ」ってぐちぐち言われたからな。

 指定された研究棟の最上階に辿り着いた。
 廊下の突き当たりに、イルザーク先生の真っ黒いシルエットが見える。

「いいから約束しろ。どっか行くときはオレもつれてけ」
「しばらく旅行の予定はないけど、シリウスを置いていく予定もねえよ。極寒の地だろうが外国の果てだろうが連れ回して、一生扱き使ってやる」

 シリウスはフッと微笑んだ。
 なんだか嬉しそうにさえ見える。なんだ、こいつマゾヒストなのか?

「それならいいんだ」

 マゾなのかもしれない。
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