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第八章 悪役坊ちゃん傷心中

第6話 悪役坊ちゃん嫌われる

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「あーなんだそういうこと……。別にお見舞いってほどじゃなかったのに。ちょっと話したいことがあっただけで」
「いいから受け取りたまえよ。借りを作るのは性分じゃないんだ」

 リディアに用意したのは、白や青や薄紫のコーンフラワーの花束だ。ちなみに花言葉は「清楚」……のわりに麦畑に侵入すると収穫量が五割から九割も減るという強害雑草、驚きの図々しさ。
 色々皮肉を込めたつもりだが、こういうのは通じる相手にしか通じないものだ。
 案の定リディアは

「わああ、コーンフラワーだ。これって煎じて飲んだら魔力を整える作用があるんだよね。私に対する嫌味か?」

 ──と、俺の想定の斜め上の受け取り方をした。
 そんな作用あるのかよ知らなかったよ。でも結果オーライ。

 口の端をひくつかせながら受け取ったリディアは、はぁぁぁぁ、と世界中の不幸をまとめて吐き出すような溜め息をつく。

「……話したいことがあったって、さっき言ったじゃない?」
「気が変わらないうちは聞いておいてやる」
「アデルのことなの」

 俺は無言で続きを促した。

「アデルは昔、色々あって、自分のことを悪く言われても全然、一切、これっぽっちも気にしないし、相手にするだけ無駄だと思ってる。だから今の……あんたは正義の騎士でアデルは血も涙もない悪魔っていう風潮、本人は全く傷ついてない。ああまた暇なやつらが何か言ってるな、くらいの認識なのよ。私は腹が立つから言い返すけどね」

「…………」

「でも、アデルの判断があのとき、誰よりも早かったのは」

 リディアは花束を胸元に抱きしめた。
 ラッピングのリボンが歪み、紙がくしゃりと音をたてる。

「九歳の冬、雪深い森の奥で魔物に襲われて、私を庇ったせいで右脚に怪我をして……魔力が混ざるとまずいと解っていたからだし、治療が遅れれば後遺症が残ることもあると、身を以て知っていたからよ」

 右脚を引きずる歩き方。
 ロロフィリカは言っていた。根も葉もない噂に尾鰭はひれで、相当ひどいことを噂されていると。

「あんたにだけは言っておきたかったの。それだけ」
「くだらないな」

 リディアの若草色の双眸がきっと燃え上がる。
 血の気の多い主人公がキレないうちに右手を上げて制すると、俺は彼女から視線を逸らした。

「あんな噂を真に受けると思われていたことがまず心外だ。あの場の判断は的確だった、トラクもエウフェーミアもそう言ったはずだろう。あいつがしなければ、俺かトラクが同じことをしていた」

「……そう、なの?」

「当然だ。エウフェーミアでさえ同じ発想に至る。あの場に居合わせて、まともな薬草の知識があるやつなら誰でもそうだ。ま、好きに言わせておけばいいと本人が思っているのに腹を立てずにはいられない、きみのことは意味がわからないけどね」

「……ああそう。あんたっていつも一言多いのよね」

 がく、とリディアは肩を落とした。
 その横でなぜか嬉しそうな表情をしているロロフィリカが「言ったでしょ」とその肩を叩く。

「ニコラだってちゃんと解ってる、って。ね」

 こちらに向かって微笑むロロフィリカにも、先程買った花束を差し出した。
 黄色、オレンジ、ピンク……合わせて十三本のバラ。彼女は両手で丁寧に抱えると、きれい、と目を細める。

「すごーい。あたしこんな花束を男の子からもらったの初めて」

 その意味を知らなさそうな反応に、俺はほんの少し安堵していた。
 卑怯なことに。

 何も気づかず無邪気に喜ぶロロフィリカ。罪悪感で胸がちくちく痛む。ああくそ、悪役坊ちゃんとしてリディアをいじめまくらなければ、なんて考えた性根の悪い野郎がこんなことで傷つくな。

 そのとき店から出てきたエウフェーミアが、ロロフィリカを見て息を呑んだ。

「エウ、何か買ったのか?」

 その手に新しく袋を握っていることに気づいて声をかける。
 しかしエウは、ロロフィリカが嬉しそうに「見て見てエウフェーミア」と掲げた花束を凝視して、どんどん蒼褪めていった。

「エウフェーミアさん?」

 不思議に思ったリディアが首を傾げた瞬間、エウの手にあった袋が俺めがけて飛んでくる。
 ごっ、と鈍い音をたてて胸元に当たった袋からは、多肉植物の小さな鉢が飛び出した。顔や服に土がかかる。足元に落ちた鉢の中身が丸ごと転げ落ちた。

「ニコのばか……」
「──エウ」

「ひどい。なんでそんなこと……!」

 罵倒の語彙の少ない彼女は、心のなかで爆発した俺に対する「ばか」の気持ちを涙にして、あらぬほうへと駆けだした。

「エウフェーミア!」

 慌ててあとを追おうとした俺の視線の先でエウが通行人にぶつかる。彼女が地面に転ぶ前に肩を抱いて助けたのは兄貴だった。
 兄貴ははらはらと涙を流すエウと顔面蒼白の俺とを見較べて、ふむ、と顎に手を当てる。

「ダンスパーティーの小物を買いにきたのだが、可愛い可愛い弟と将来の妹の修羅場に遭遇してしまったようだ。すまないね、リシ」

 隣に立っていたのは、仕立てのいい上品なワンピースに身を包んだリシ嬢であった。

 彼女もまた俺とエウを見較べて、兄貴とそっくりな仕草で顎に手をやる。この二人のツーショットを見るのはよく考えたら初めてだ。ロロフィリカやリディアなどはこの顔面偏差値最強コンビを見てきゃあきゃあ手を取り合うが、俺はそんなものよりも、兄貴に縋りついて泣くエウが気になってしょうがなかった。

「気にすることはない、ギルバート。美少女の涙はどんな用件にも勝る緊急事態だ」
「だよね、さすがリシだ。──さて、ニコラ、何があったかは知らないが、エウフェーミアが泣いているということは十割きみが悪いね?」

「は……ハイ……」

 兄貴はエウの肩をよしよしと撫でながら、俺から庇うようにその小さな体を背中に回した。

 ……このギルバート・ロウという男は基本的に弟の俺を溺愛してくれているが、それ以上にの味方だ。
 エウを一人でうろつかせる危険性はないし現状彼女を任せるにあたって世界一信用できるが、同時に世界一高い壁にもなりうる。

「エウ……エウフェーミア。ごめん」

 彼女が怒った理由はわかっている。
 俺はロロフィリカからはっきりと想いを告げられたわけではないにも拘らず、花束で迂遠に断ろうとしたのだ。「永遠の友情」「絆」「信頼」そういう意味に固めた花束で。

 ロロフィリカには伝わらなかった。
 エウフェーミアには理解できた。
 そしてエウの反応で、俺は確信してしまった。

 おずおずと兄貴の背中から顔半分だけ覗かせたエウは、ぎゅっと眉根を寄せて涙を堪える。

「ニコなんてきらい」
「……! ……!!」

「あはは、見て、リシ。うちの可愛い弟が見たこともない形相でショック受けてる」
「おまえは弟相手に容赦がないなぁ」
「当然だよ。──エウフェーミアは僕が預かろう。おまえはちょっと一人で頭を冷やして、どう謝ればこの優しいお嬢さんに許してもらえるか、死ぬほど悩んできなさい」

 俺はなけなしの意地で兄貴の顔を真正面から見つめた。
 フと微笑んだ兄貴はエウをうながし、きびすを返して来た道を戻りはじめる。三人の後ろ姿がどこかの角を曲がり、見えなくなってさらに数分経ってから、顔や服にかかった土を掃うのも忘れてその場に膝をついた。

「……ギルバート先輩って、怒ったらちょっと怖いのねぇ」
「ねえちょっとリディア見た!? プリンスと! リシお姉さまの! ツーショット!!」

 リディアとロロフィリカの呑気な声が頭上から降ってくる。

 なんかもう泣きそう。

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