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第八章 悪役坊ちゃん傷心中

第5話 悪役坊ちゃん花を買う

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 身嗜みを整えてから談話室に向かい、ソファに座ってしばらく待っていると、お出かけ用のふんわりしたワンピースに身を包んだエウフェーミアがやってきた。

 男女が休日に待ち合わせて二人きりで出かける。
 そういう定義に則れば、俗に言うデートだ。

 本来ならば、狙われている可能性の高いエウを連れて外出すべきではないのだろう。しかし俺一人で外に出て彼女を学院に残すというのも不安だったので、悩みに悩んだ末、誘ってみた。
 ことが起こるのは星降祭の夜であろう、という予想もある。
 そのうえ城下町なんて、この国を守護するベルティーナ魔導騎士団のお膝元だ。そんなところで問題を起こすほどの戦力は、まだ魔王軍にはないはず。

「お見舞いのお返しを買うんだよね」
「ああ。ルウとトラク、ロロフィリカ、寮長、あとローズ寮の何人かとなぜか兄上周辺の三回生の方々……それから若干腑に落ちないが、あいつだな」
「あいつって……」

 リディアのことだ。
 俺が熱を出してうんうん唸っている間にやってきて、苹果をうさぎさんにして去っていった主人公。
 こちらの世界には『うさぎりんご』という発想がないのだ──地域によるのかもしれないが少なくとも俺はこの十五年間見たことも聞いたこともない。
 つまり同郷。

 リディアの物語があった俺の日本と、彼女が逃げ出してきた日本は正確には異なるだろうから、厳密には同郷とはいえないかもしれないが。
 しかし、目を覚ましたとき枕元にいた兄上が「さっきリディアさんとすれ違ったよ」と言っていたし、間違いないだろう。

「エウフェーミアも、ノートを取っておいてくれてありがとう。本当に助かった。何かほしいものはあるか?」
「いらないよ。ニコはわたしのせいで怪我したんだから」
「何度も言っているけどエウのせいなんかじゃない。絶対に」

 エウの頑なな自己否定感はよく知っている。こればかりは言葉だけで覆してやれるものでもない。
 あまりに大きな喪失や悲劇を前にして、言葉は無力だ。
 堂々巡りの言い合いになるのはわかっているから適当なところで切り上げた。

 バルバディアの敷地から王都の城下町に至るルートは三つある。
 一つは入学式の日にとった、翼竜の駕篭に馬車というコース。ただしこれは長期休暇や入学に伴う生徒の移動の際にしか運行されない。
 二つめは、地道に深奥の森をクリアするコースだ。城下町までは二時間ほどかかるうえ遭難の危険性もあるのでほとんど誰もやらない。

 そして三つめ。
 学院内と、城下町にある店とをつなぐ、魔法の扉だ。

 これは高位魔法である空間転移魔法の応用。教員寮の隣にある小屋のドアを開けてくぐれば城下町の店の中という、行き先指定のど●でもドアである。休日に出かける生徒は大体このルートを通って行き来するのだ。
 他の生徒たちと一緒に入口を通るとバルバディア直営の魔法用品店二階に出た。
 生徒たちはぞろぞろと階段を下りて、一階の出入り口から城下町へと散っていく。

「まずは特に考えなくても済むルウだな」
「チカ先輩ってなにがお好きなの?」
「お菓子。ルウは甘党なんだ」

 べルティーナ王国、王都フィーカ。
 敷地の北東部を深奥の森が占める星型の城壁都市で、王国の政治、文化、商業、そして魔法の中心地だ。
 柔らかい色合いの煉瓦でできた建物と赤い屋根がなんとも華やかで、若干小汚い港町の路地を駆け回った幼少期の俺には新鮮な感じがする。

 中央広場から放射線状に馬車が悠々すれ違えるほどの大通りが広がり、それらをつなぐように細い路地が這う地形だ。迷ったらとにかく中央広場に戻れば、最初に出てきた魔法用品店が見える。地方からバルバディアに入学して地理に不案内な生徒でもそこそこ安心な設計だった。

 ルウの焼き菓子、トラクの茶葉、ローズ寮の面々や兄上周辺の諸先輩方へはチョコレート。甘いものが嫌いだと聞いたことがある人にはタオルにしておいた。俺自身は特にこだわりがないのだが、ロウ家次男坊としてみみっちいお返しはできないので、貴族とか名家ってこういうとこ面倒だなと思う。

「荷物、持ちたい」

 なんて言いだす健気な婚約者どのには、ルウとトラクへのお返しだけ持ってもらった。
 別に荷物持ちで連れてきたわけじゃないんだが、エウは自分だけ手ぶらでいることに罪悪感を抱くタイプだから、ここは俺が折れる。

「ロロフィリカと、…………には、花にするか」

 心のなかではいくらでも「リディアァァァ」と恨みがましく呼べるのだが、なんとなく口に出してあの子を呼ぶのが憚られる。
 悪役坊ちゃんとしての自負もちょっとだけあるし、実際リディアが気に喰わないこともあるのは事実だから余計だ。

 店先にワゴンを出して切り花を売っていた花屋の前で立ち止まり、色々と眺める。
 正直どれもこれも同じに見えている。
 しかしエウフェーミアとの婚約が決まったあと、メイドたちが「坊ちゃんがいつか婚約者にお花を贈れるような伊達男になれるように」と気合いを入れて仕込みまくってくれたので、一通り花言葉などの知識はあった。

「ニコ、わたしお店の中を見てきてもいい?」
「ああ。……ほしい花でもあれば言」
「自分で買います」

 はいはい。
 まあ彼女がなんと言おうと、俺はさっきの洋菓子店ですでにエウ用のお菓子詰め合わせセットを購入しているのだが。
 遠慮合戦になる前に投げつけて逃げてやらぁ。
 うきうきと店内に踏み込んでいくエウの後ろ姿にニヤリと笑っていると(多分いまの俺かなり悪役顔してる)、店員が「お取りしましょうか」と声をかけてきた。

「ああ、それじゃあ……」

 前の世界と変わらず、このべルティーナ王国でも花の贈り物の一番人気はバラだ。
 本数によってメッセージがあり、色によって花言葉が変わる。異性にバラを贈る際は注意してメッセージを込めなければならない。埃を被っていたそのあたりの知識を必死に掘り起こして、二人ぶんのミニブーケを作ってもらった。

 エウがまだ店の中をぷらぷらしている間に支払いを済ませて、花の香りから逃げるように通りに戻る。
 すると、ロロフィリカとリディアと鉢合わせた。

「ニコラ?」
「「げっ」」

 前者がロロフィリカ、後者がリディア。……と俺。

「ニコラって花屋さんなんて来るんだ。なんか似合うような意外なような」
「用があれば僕だって花屋くらい来るさ」

 会ってしまったならちょうどいい。片手に抱えた花束のうち一つをまずリディアに差し出した。

「何これ?」
「荷物を増やしてやる、光栄に思え」
「いや、なんで急に花なのって訊いてるんだけど。気味悪い」
「おまえが僕の枕元で何やら怪しい儀式をしていたと兄上から聞いたから、その仕返しだ」

 これを聞いたロロフィリカが腕組みをしてうなずく。

「リディア、『お見舞いありがとう、これはそのお礼だ』ですって」
「都合よく訳すなロロフィリカ」

 だがその通りです! なんで分かった!?
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