ニコラ・ロウの華麗なる悪役生活

天乃律

文字の大きさ
99 / 138
第八章 悪役坊ちゃん傷心中

閑話・とある魔法使いの夢

しおりを挟む

 幼い頃から繰り返し視る夢が二つある。


 はじめて視たのは九歳のときだった。当時はただの嫌な夢だと気に留めなかったが、同じ夢を三度視たところで、ああこれは未来視なのだと気がついた。曖昧な内容の未来視を周囲に吹聴すると混乱を来たすため、今しばらくは様子を見ることにする。幸い夢の中の自分はもっと成長しているから、この未来の実現には時間がかかるだろう。

 そうしてゆっくりと状況を吟味するうちに、察した。十三歳のときだった。



 これは、魔王が復活した最悪の未来───





 夢はいつも、揺れる視界と、自分の息遣いから始まる。
 視界が暗いのは灯かりがないからだ。申し訳程度、ぽつぽつと弱弱しい掛け燭の炎が揺らめいている。灯かりが必要ないのはここが冥界の底だからである。冥界の生き物は魔力感知に優れているため、視界が悪くても問題ない。

 先導するは二人の青年。のちの調査で判明する、ギルバート・ロウとルーファス・チカだ。
 トラクは隣を走る少女を一瞥する。「大丈夫? リディア」と問いかけると彼女はうなずいた。腰まで伸びた真っ直ぐな栗色の髪と、透きとおる若草色の双眸が美しい少女だった。
 これものちの調査で判明する。彼女は〈異邦の迷い子〉──くじらの託宣の領域外に生まれた少女。

 重厚な扉を開いた先には、広い空間があった。
 漆黒のすべらかな石でできた部屋の中心に、同じ材質でできた噴水がある。水の湧きだす音が広い部屋に反響していた。

 噴水の縁に深く腰掛けて項垂れていた男がゆらりと顔を上げる。
 黄色みの強い、さらりとしたバターブロンド。透けるように白い膚。曇った空色の眸。彼についてもまた、のちの調査で判明する。ニコラ・ロウ、ギルバートの弟である。

 トラクの横にいたリディアが息を呑んだ。
「ニコラ……」と零したその声は憎々しげで、そしてどこか切なげでもあった。バルバディアに入学してリディアに接触し、裏から手を回してニコラのルームメイトとなったトラクには、彼女の懊悩が手に取るように解った。

 ニコラ。事あるごとにリディアに突っかかって、彼女を「ぽんこつ」とか「爆発魔」とか罵るわりに本気で嫌っているようにはどうも見えなくて、只人排他主義なのかと思えばそんなこともなく、何か危機が迫れば相手が毛嫌いしているリディアだろうとアデルだろうととにかく誰かを庇ってしまう、結局のところ多分ただのお人好し───

 人の善いリディアにとっては戦いにくい相手だ。

 一瞬だけ躊躇する仕草を見せたリディアを庇うように、ギルバート・ロウが前に出た。

「下がっていなさい」

 優秀な実兄が杖を構えても、ニコラは微動だにしなかった。
 ニコラの傍らには一つの死体が転がっている。噴水の中に頭を突っ込むようにして投げ出された肢体は黒いローブに覆われているから、トラクにも誰かは判らない。

 ギルバートはその死体に目をやって、静かに弟を見つめた。
 不思議なほど凪いだ眸だった。



「──目的は果たしたようだね。ニコラ」



 ニコラは兄の言葉に、ほほ笑んで応えた。


 ゆったりとした仕草で立ち上がり、黒いローブの内側で腕を動かす。杖を構えようとしているかのような動きに、ルーファスの気配がぴりっと尖った。
 ニコラがローブの裾を翻しながら杖を取り出した瞬間、ギルバートは祈詞を唱える。

「“まがものよ、よわきもの、そは×××××なり──なんじはいしなり”」

 瞬きする間に、ニコラは灰色の石と化した。

 立ち続ける意思を失い、バランスを崩して前に倒れ込む。ぱき、と思いのほか空々しい音とともに、かつて生き生きと魔法を学びリディアを罵った孤独な少年は、粉々に砕け散った。

 誰も、彼の最期の表情を記憶に留めることはできなかった。

 ギルバートに向けようとしていた右の手首から先が、トラクの足元に滑りくる。
 彼は木の枝のようなものを握っていた。

 夢を視はじめた当初は単純にこれがニコラの杖だと思っていた。しかし入学後、ルームメイトとして出会ったニコラが使用しているのは、魔力伝導率の高い木を職人が丁寧に精練した最高級の杖だった。アクシデントで折れたあと婚約者からプレゼントされたという杖も、トラクの未来視とは合致していない。

 魔王軍に従軍し、新しい杖を誂えたという可能性も十分にある。
 けれど、ニコラと寝起きをともにするようになったトラクには確信があった。


 あれはただの木の枝だ。
 ニコラは我々と戦う気などなかったのだ。


「行こう」ギルバートが静かに歩きだす。その頬に涙が伝っているように見えた。
 トラクもリディアも気づかないふりをした。


   ◇  ◇  ◇


 幼い頃から繰り返し視る夢は、もう一つある。
 これはギルバートがニコラに石化魔法をかける夢ほど頻繁には視ない。忘れた頃、思い出させるようにふっと現れる。二、三年に一度といった具合だった。

 場所は恐らく、ニコラの件と同じ建物の中、別の部屋だろう。
 視界の悪さや床の材質がよく似ている。従ってこれも魔王が復活した未来、冥界のどこかで起きる出来事と考えられる。

 リディアが一人の男性を膝に乗せて泣き叫んでいた。
 ぐったりと力なく倒れ伏す青年の体から、止め処なく血が流れている。「いやだ」「どうして」「せんせい、先生」と、リディアは狂ったように繰り返した。その頬には、彼のものと思しき血が跳ねている。

 ──『リディア』の『せんせい』。

 一時期は〈異邦の迷い子〉を保護した大魔法使いイルザークがここで死ぬのかと焦っていたが、バルバディアで実際にイルザークの授業を受けたところ、彼ではなかった。イルザークは夥しく長い黒髪が特徴であるが、この夢で死にかけている彼はさらりとした緋色の髪をしている。

「いいんだ、泣くな、リディア……」

 先生、と呼ばれているその青年もまた、ニコラと同じ魔王軍の一員の証である黒いローブを着ていた。
 ギルバートがその傍らにしゃがみ込み、失血で蒼褪めた青年の頬を撫でる。

「ギル坊ちゃん」
「──……ばか者」
「……あのかたの、魔石と杖です、お持ちください」

 血塗れの手のなかできらりと光るのは、天気のよい日の天海のように透き通る、海色の魔石だった。
 少しいびつな形をしていて、でもどこまでも透明で、つるんと丸い。
 ニコラの眸と同じ色だ。

 同じようにしてギルバートの手に託された杖は、やや年季の入った細身の杖だった。紫がかった色合いは、杖の材質としては最も頑丈な素材の、ゴショウの樹特有のものである。

「あのかたは私に、魔石を使って魔力を得るようにと、そうしてギル坊ちゃんたちのお力になるようにと命じられました。けれど、私ではきっと、使いこなせませんから」

「……そうか」

「あの人いがいと、寂しがりやで、ひとりぼっちなんで。オレ、たたかうよりは、おそばに行ってあげたくて……」

「ああ、そうだね」


 ギルバートは両手が血に濡れるのも構わず青年の手を握った。いやいやと子どものように駄々をこねるリディアだけが場違いなように見えた。

 リディアの膝の周りに血溜まりが広がる。



「おまえがあの子のそばにいてくれて良かった。シリウス」



 バルバディア入学後、半年経った頃に一度この夢を視た。
 あの杖はニコラの杖だ。
 正確には、婚約者からプレゼントされたという、ニコラの二代目の杖。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!

ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。 退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた! 私を陥れようとする兄から逃れ、 不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。 逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋? 異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。 この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?

社畜サラリーマン、異世界でパンと魔法の経営革命

遊鷹太
ファンタジー
過労死寸前の30代サラリーマン・佐藤健は、気づけば中世ヨーロッパ風の異世界に転生していた。与えられたのは「発酵魔法」という謎のスキルと、前世の経営知識。転生先は辺境の寒村ベルガルド――飢えと貧困にあえぐ、希望のない場所。「この世界にパンがない…だと?」健は決意する。美味しいパンで、人々を笑顔にしよう。ブラック企業で培った根性と、発酵魔法の可能性。そして何より、人を幸せにしたいという純粋な想い。小さなパン屋から始まった"食の革命"は、やがて王国を、大陸を、世界を変えていく――。笑いあり、涙あり、そして温かい人間ドラマ。仲間たちとの絆、恋の芽生え、強大な敵との戦い。パン一つで世界を救う、心温まる異世界経営ファンタジー。

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

【完結】憧れのスローライフを異世界で?

さくらもち
ファンタジー
アラフォー独身女子 雪菜は最近ではネット小説しか楽しみが無い寂しく会社と自宅を往復するだけの生活をしていたが、仕事中に突然目眩がして気がつくと転生したようで幼女だった。 日々成長しつつネット小説テンプレキターと転生先でのんびりスローライフをするための地盤堅めに邁進する。

転生先ではゆっくりと生きたい

ひつじ
ファンタジー
勉強を頑張っても、仕事を頑張っても誰からも愛されなかったし必要とされなかった藤田明彦。 事故で死んだ明彦が出会ったのは…… 転生先では愛されたいし必要とされたい。明彦改めソラはこの広い空を見ながらゆっくりと生きることを決めた 小説家になろうでも連載中です。 なろうの方が話数が多いです。 https://ncode.syosetu.com/n8964gh/

処理中です...