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マスク男
しおりを挟む彼はいつもマスクで、商談にやってくる。
月1の商談。
雑貨店の正社員3年目として働く私は、雑貨店とメーカーを繋ぐ問屋との商談が欠かせない。
もちろん、主要なメーカーによっては直接取引なんてこともあるのだけれど。
新商品を見て、世間の流行や社会背景、消費者のニーズなんかも参考にしながら、定番商品のリピートから1ヶ月先からワンシーズン、半年先の予約発注なんかも商談で行う。
かくあるごとく、マスク男、大口問屋の担当営業である常本さんは、黒色の国産ハイブリッド車に乗って私の働く雑貨店にやって来る。
新商品サンプルや大量のカタログが入った、いつもの黒いキャリーバッグをゴロゴロ引きながら無言で店に入ってくる彼。
もちろん、マスクはしたままで。
常本さん、お世話になってます。
私が声をかけると、
軽く頭を下げる彼。
ぉ世話になってます。
口早に、低くぼそぼそした声。
肉付きのいい丸い体に、マスクの上には、何を考えているのか分からない少し腫れぼったい奥二重瞼の目。
だが、着ている水色地に白の縞のギンガムチェックシャツは爽やかで、髪もオーガニックブランドの整髪料で少し毛先を遊ばせているおかげで、実年齢の38歳より若く見える。
私が入社して1年目、初めて常本さんに会った時の印象は、何だこいつ?
だった。
その時は常本さんはマスクもしていなくて、
何を考えているのか分からない目の下には、
膨らんだ子豚のような鼻とおちょぼ口があった。
私は、仕事だし人の外見なんて気にしないからそんなことどうでもいいのだけれど、
彼の極度な人見知りについては物申したい。
初対面の私には自己紹介以降、目もくれずノータッチなくせに、同席していた顔見知りのベテランスタッフとは談笑していたのだから。
営業マンなのに、慣れてない人と目を合わせたり話すのが苦手な彼に、私を慣れさせるには1年近くかかった。
それは、世に言う築き上げた信頼、というものなのかもしれない。
確かに一回り以上も年下の女が取引相手なんて、彼からしたら扱いに困るだろう。
私なら、ごめんである。
常本さん、とりあえず定番商品リピートしてもいいですか?
体のごとく、カタログを山のように出した彼に告げる。
あぁ、いいっすよ。
やる気の無さそうな声。
そう、これが彼のスタイル。
彼は、いわゆる営業力がない。
自覚があるらしく、
俺、営業に向いてないもん、なんて平気で言う。
新商品を紹介してきても、こちらが難色を示せば、
じゃあ、いいですよ。
はい、分かりました。
といって、その資料をすぐ片付ける。
それでもたまに、これはやった方がいいですよ!!
他でも多く注文もらってます。
なんてやる気を出すことがあるんだけれども、
そのギャップにほだされて、
いつもやる気のないあんたがそんなに言うのなら!!と発注してしまう。
もしかして、これは彼なりの女子相手に通用する古典的な営業方法なのかもしれない。
引いて引いて、押す!!みたいな。
恋愛マニュアルには必ず載っているような手法。
無論、雑貨屋は女の園。
男子に暑苦しく、熱意を振りかざしながら営業されても女子には響かないことのほうが多い。
大切なのは、いかに女子達の心や感情に寄り添えるか、だ。
一旦勧める商品を見せて、商談相手である女子の様子を伺うのが先決であり、好感触であればそこから細かな説明をしながら、さりげなく推しに入る。
ここで重要なのは、相手が商品に対して好評価する言葉には同調し、疑問やマイナス点を挙げはじめたら一旦受け止めて謙虚にフォローをする必要がある。
それは、何より女子のセンスやプライドを尊重する為である。
そんな心理戦を、常本さんは平気でやってのけるのだ。
撤回しよう。
彼は、営業力がないのではない。
むしろ、営業力に溢れている。
営業力がないように見せ掛けて
相手を油断させたところで、彼の思う壺なのである。
そんな常本さんが、マスクをかける耳の部分が擦れて痛い、とぼやいたことがあった。
特に花粉症でも風邪でもないのに、毎回マスクをかけているからだろう。
マスク取ればいいじゃないですか。
私は何も考えずに、反射的にそう応えた。
すると、彼は一瞬ハッとした目で私を見たが、すぐ目を伏せて、何事もなかったかのように話題を変えた。
どうしてマスクを取らないのか?
マスクを取りたくない理由があるのか?
そこで、私は全てを悟った。
彼にとって、マスクは彼の自尊心そのものでありカモフラージュなのだ。
実は、初めて私がマスクを装備していない常本さんに会ったのは、異動してきた今の店舗ではない、入社して配属された別の支店であった。
今の店舗に私が来てから、彼のマスク装着来店率は80%を越えている。
それはなぜか?
今の店舗には、美人スタッフが多いからだ。
もちろん前の支店も美人スタッフは多くいたが、常本さんが関わることは少なかった。
しかし、今の店舗では数多い美人スタッフが常本さんと直接顔を合わせて商談をするのである。
私はあいにく美人とはいえないが。
つまり、私は何が言いたいのかと言うと、おそらく常本さんは美人スタッフを目の前に自分の顔面に自信を持てずにおり、マスクで顔の大部分を隠すことで彼なりのプライドと平静を保っているのだ。
これは高級レストランに入る時、Tシャツの上からジャケットを羽織るようなもの、といえば聞こえはいいが、そんなマナー的な要素も彼の中には存在するのかもしれない。
常本さんの名誉の為に言っておくが、
マスクを取った彼の素顔で、堂々と高級レストランだろうが高級ブランド店に入ろうが差し障りは全くない。
失礼にも程がある。
仕事も出来て、結婚もしていて、
2児の父親でもある立派な男。
それが常本さんなのだから。
私は、それ以降2度と彼のマスクに干渉しないと誓ったのである。
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