正しい竜の育て方

夜鷹@若葉

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第四章「竜殺しの騎士」

第7話「進んだ道の先」

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 バタリと手足を広げ、地面に倒れる。疲労で握れなくなった手から剣が零れ落ちる。

 酸素を失い、失ったそれを求め荒い息をする。鈍い痛みが手足を縛る。重く、辛く、痛む身体。けれど、それらがどことなく心地よく感じられた。

 そして、身体が落ち着いてくると、今度は悔しさが沸いてくる。

「ご苦労さん。良い運動になった。助かったぜ」

 大きな息を付くと共に、倒れたリディアの傍に、エルバートが腰を降ろす。

 先ほどまで相対していた相手であるのに、エルバートはリディアとは相性的にほとんど疲れの色を見せていなかった。そこに、再び悔しさを覚える。

「負けました……」

 悔しさを滲ませ、その表情見せないように片腕で顔を隠しながら、リディアはその言葉を告げる。

「ああ、俺の勝ちだ」

 負けを認めると、見せつけるようなそんな声でエルバートは答えを返してくる。それに、また悔しさを覚える。

「なんだ? そんなに悔しかったのか?」

「当り前じゃないですか……」

 結局、リディアはエルバートに歯が立たなかった。

 実力差がある事は分かっていた。けれど、少しくらいは迫れるのではないかと思っていたが、簡単にあしらわれてしまった。それがひどく悔しかった。

 クスクスと笑い声を聞こえる。そちらへ目を向けると、エルバートが笑っていた。

「おかしかったですか?」

「いや、悪い。そんな風の言われたのが久しぶりでな。ちょっと嬉しかったんだよ。おかしかったわけじゃ無い」

「そうですか」

 エルバートは一度笑うと、何かを思い出したかのように再度笑い出す。そして、ひとしきり笑うと、神妙な顔で、口を開いた。

「それにしても、お前、竜騎学舎の生徒にしては偉く腕が立つな。誰かに剣の指導を受けたのか?」

「入学する前に、少しだけ指導を受けた事があるくらいです。後は、授業と自主的な鍛錬だけです。どこかおかしかったですか?」

「いや、たいした事は無い。ただちょっと気になっただけだが……まあ、気にするな。
 動きは悪くない。筋もいい。ただ少しばかり経験と、基礎体力が足りないくらいだな。お前は良い腕をしているよ」

「そうですか……」

 エルバートの助言を聞くと、再び悔しさが込み上げてくる。それは、何度も聞いたこと言葉に似ていたからだ。何度も挑んで、何度も返り討ちに会い、その度に言われた言葉。そのせいで、その言葉を発した剣術講師の顔が思い出されて、悔しさと同時に怒りが沸いてくる。

「それにしても、ずいぶん長く付き合わせちったな」

 エルバートが空を見上げる。それに釣られ、リディアも空を見上げると、空は既に茜色に染まり、一部は藍色に染まっていた。

「悪いな。少しの間って言ったのに、ここまで付き合わせちまって」

「構いませんよ。特別しなければならない事があったわけでは無いですから」

「そうか、なら助かった。じゃあ、今日はここまでだ。付き合ってくれてありがとな。
 立てるか?」

 エルバートは立ち上がると、改めて感謝の言葉を述べると、手を差し出してくる。リディアはそれに身体を起こすと、エルバートの手を握り返し立ち上がる。

 ガントレッド越しでも分かる、がっしりとした固く、大きな手。そんなエルバートの手に、リディアは大きく驚く。父親と同じくらい歳であるにもかかわらず、その手は父親のものと大きく違って感じられた。

「なあ、リディア。君は、しばらく王都に居るのか?」

「その予定ですけど、それがどうかしたのですか?」

 唐突に告げられた質問に、リディアは首を傾げ、問い返す。

「その、何だ。もしよかったら、だが。時間があるなら、しばらく俺の相手をしてくれないか? 何だったら、剣の稽古をつけてやってもいい」

 リディアの問いにエルバートは少し、悩む様な、歯切れの悪い声で答えを返す。

「それは願ったりな申し出ですが……よろしいのですか?」

 そう返事を返すと、エルバートは先ほどまでの歯切れの悪そうな表情を改め、笑顔を浮かべてくる。

「ああ、しばらくすることが無さそうなんでな。君みたいのが相手をしてくれると助かる」

「そう、ですか。なら、よろしくお願いします」

「おう。頼むぜ」

 了承を返すと、エルバートは嬉しそうに笑い、リディアの肩を叩いた。少し乱暴な、その行為。けれど、それはそれほど嫌に感じるものではなかった。

 なぜだか、リディアは自然と笑みが零れた。

 話がまとまると、別れを告げエルバートは笑顔を浮かべたまま楽しそうに去って行った。

 エルバートが引き上げていくと、それに合わせ練兵場に居た他の竜騎士達も引き上げていく。そして、一人、リディアがその場に取り残される。

 騒がしい気がしていた練兵所。一人になると、すぐにその場は静かになる。辺りを見回し、広く、冷たく思えるその場所を見る。

 一人で立っている。その事を思いだすと少しだけ寂しさを覚えた。ずっと感じていた視線は、感じられない。けれど、今はそれでも居心地が悪いと感じられた。


   *   *   *


「楽しそうだな。エルバート」

 鍛錬を終え、練兵場からしばらく寝泊まりする兵舎へと歩き出すと、ディオンがそう声をかけてきた。

「おかしいか?」

「昔のお前からは想像できなくてな。正直少し驚いている」

「なんだそれ……。あのなぁ、俺だって二児の父だぞ。子供の相手をして、楽しくないわけないだろ。それにな、その息子たちも、親元を離れていって、俺だって寂しんだよ」

 エルバートがディオンにそう答えを返すと、ディオンはおかしそうに声をあげて笑った。

「てめえ、俺をなんだと思ってたんだよ」

 エルバートの言葉に、ディオンははぐらかす様に笑う。

「まあ、いいんじゃないか? 相手にも、お前にも良い経験になるだろ。けど、面倒事は起こすなよ」

「分かってるよ。そんな事。てか、面倒事ってなんだよ」

 エルバートの返しに、ディオンは笑う。

「ならいい」


   *   *   *


 背の高い草木が殆ど生えていない、半ば砂と岩だけの斜面。それをアーネストは一歩一歩足に力を入れ、昇って行く。

 道標の様な物は殆ど無く、辛うじて踏み均された細い道が、行く道を示していた。

 黒猫が一匹、アーネストの前を歩く。疲労の溜まった身体で歩くアーネストとは対照的に、黒猫はするすると軽い足取りで岩場を進み、アーネスト達から一定の距離が離れると立ち止り、距離が縮まると再び進み始める。そんな風にして、黒猫は付かず離れずの距離を保ち、アーネスト達の前を歩いていた。

 ほとんど変化のない風景。そんな中で変化を見せる黒猫との位置。その動きは何処か、こちらを励ましているように思えた。

 一歩一歩足に力を籠め、進む。あともう少しで、岩場の上からこちらを見下ろしてくる黒猫の傍に辿り着ける。そう思いながら、歩みを強める。

「痛ッ……」

 凹凸のある地面を踏み外し、少し体勢を崩す。すると、耳元からうめき声が響く。

「悪い、傷に障ったか?」

「いや、少し痛んだだけだ。大した事は無い。進んでくれ」

 うめき声を聞くと、アーネストは直ぐに、声をあげた相手の状態を確認する。

 アーネストに肩を貸されながら歩くレリア。彼女はアーネストの言葉に、少し顔を歪ませながら、気丈な答えを返してくる。

「あまり無理はするなよ」

「貴様に言われずとも分かっている」

 弱音を見せないレリアに、そう釘を刺しアーネストはレリアの身体を担ぎ直す。

 アーネスト達が王都を脱出してから、4日ほどが経っていた。その最初、レリアは前回の戦闘での傷を無理して隠し、アーネスト達について来ていたらしく、途中でその無理がたたり、今はこうしてアーネストに肩を貸されながら歩いていた。

 今は少し大人しくなったものの、やはり未だにアーネスト達――フィーヤに迷惑をかけまいと無理をする節があり、そこが少し心配であった。

「二人と、大丈夫ですか?」

 レリアの身体を担ぎ直すため足を止めると直ぐに、前方からそうフィーヤの声がかかった。

 顔を上げ、前を歩くフィーヤの姿を確認する。丁度黒猫が立つ岩場のそば。そこに、フィーヤは立っていた。

 そのフィーヤの姿は、今では王都を出た時の姿とは似ても似つかないものとなっていた。黄金色の綺麗な髪は、手入れ不足でボサ付き、着飾っていたドレスは煤で汚れ、裾は歩きやすいように裂いてあった。

 ここ数日まともな場所で寝泊まりしていない。その事がはっきりと分かる姿をしていた。

「こちらは問題ありません。まだ進めます。姫様は休憩など、取らなくて大丈夫でしょうか?」

「私の方も大丈夫です。この道もあともう少しです。このまま最後まで進んでしまいましょう」

 気遣うレリアの声に、フィーヤはそう答えを返す。

 フィーヤにも大分疲労の色が見られた。けれど、少しなら無理が効きそうにも見えるが、同時にこういった身体を使う事に成れていそうにないフィーヤだけに、無理をさせてよいものかと少しばかり心配になる。

 フィーヤはそんな心配とは裏腹に、すぐさま踵を返し歩き始める。

「ほら、ぼさっとするな。置いて行かれるぞ」

 先を歩き始めるフィーヤを目にすると、直ぐにレリアがそう急かし始める。

「ああ、悪い」

 急かすレリアに答えを返し、アーネストも再び歩み始める。


「キュピ~」

 大きな積乱雲がゆっくりと流れていく青空の下、気持ちよさそうに翼を広げ、一匹の幼竜が風を受け、滑空してくる。

「遅い、待ちくたびれたぞ!」

 頭上を掠め飛んで行く幼竜に釣られ視線を上げると、進む道の先、丁度丘の頂上の様な場所が目に入る。そこには既に少女が一人立っており、その少女と目が合うと、少女は少し怒気の孕んだ声でそう告げてきた。

 少女の姿を見て、頂上までの距離はあと少しという事を認識すると、疲労の溜まった身体にも多少なりとも力が沸き、歩みを早める。

 そして、ようやく少女の元――丘の頂上へとたどり着く。

「遅い、いつまで待たせるんだ」

「お前が早すぎるんだよ。少しはこっちの事も気遣ってくれ」

 頂上まで付くと、文句を言う少女――アルミメイアにそう返答を返し、肩を貸していたレリアの身体をそっと地面に降ろす。

「付きましたか……」

 アーネスト達がたどり着くと、少し先に辿り着き、息を整えていたフィーヤがそっと安堵の息を付く。

「あそこで良いのか?」

 全員が到着するのを見届けると、アルミメイアが丘の上からある一点を指し示す。

「はい、あそこに付ければ、暫くの間、私達の安全は確保されるはずです」

「だといいけどな……」

 アルミメイアが指示した先、丘の頂上から少し下った場所。丘から辺りを見渡せる場所に、石造りの城壁に囲われた砦が一つ建っていた。

 年季を感じさせる古い砦。積み上げられた石の城壁は、風化の後が見られ、その砦はもう使われていないのではないかとさえ思える程だった。

 再び歩みを進め、砦の目の前に立つ。すると直ぐに城門が開かれ、中からは初老の気弱そうな貴族が一人、数人の兵士を連れ、砦の前に辿り着いたアーネスト達の傍へとやってくる。

「ようこそ、フィーヤ殿下。ご無事で何よりです。それから、御迎えに上がれず、申し訳ありませんでした」


 マイクリクス王国王都から直線距離で約65milesマイル離れた場所に、小さな砦が一つあった。国境から離れており、現在は殆ど重要視されておらず、そこを領地とする貴族が管理する古い砦――ラドセンス砦。そこが、王都を逃げ出したアーネスト達が向かった場所だった。
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