朽ちた天国

さきがけ

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最終話

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 私を含め全員強烈な衝撃を受けていた。皆黙りこくって一言も話さなかった。しかし化け物達から十分距離を取り、私が暴走した魂達を捕らえて元に戻す方法を探るため、魂達をおいて元の場所に戻ろうとすると、一人が私を呼び止めた。私が驚いて振り返ると、彼は少しためらいながらも、化け物に変わってしまった魂達は、そのままにしていいのではないかと言った。私は困惑し、理由を尋ねた。すると彼はこう言った。
 魂の表面を破って現れた化け物達、あれは魂達皆の中にずっと前からあったもので、彼らは違うものに変化してしまったわけではなく、隠れていた部分が出てきただけなのではないか。自分たちも彼らのようになれば、何も考えずに欲を満たすことだけを考えて生きていけて、その方が今よりずっと幸せなのではないかと言った。あれに変わってしまった人たちはもう他の人間が誰だか分かっていなかったようだし、いっそ全員が彼らのようになってしまえばお互いを守る必要もなくなり、もう他の人間の迷惑も気にすることもなく皆本物の自由を手にできるとも言った。
 私はそんなことは馬鹿げていると言って止めさせようとしたが、彼ら全員が口々に同じことを考えていたと言った。皆それほどまでに普通の精神を保ったまま永遠にここで生きることに疲れていて、もう余裕がなくなっているようだった。私は、それでは新しくここに来る魂が不憫ではないかと言った。すると彼らは、今度は一人に一つの天国を作ってみてはどうかと言った。そうすれば、他の魂がいない分少し寂しいかも知れないが、他人の迷惑を気にせずに望みを叶えられるだろうと。その場にいた他の全員の意思が賛同していた。もう何を言っても、どれほど時間が経とうとも彼らの考えは変わらないようだった。
 私はついに彼らの最後の望みを叶えた。彼らは望みを叶えるといつも私に感謝の言葉を言うのを忘れなかったが、今回ばかりはそれは無かった。彼らは私と彼らで築き上げてきたこの世界を躊躇いも無く壊しながら散っていった。
 残された私は彼らと約束した通り新しい天国を作り始めた。しかし、新しい天国に入る魂達に私とほぼ同等の力を与えるには、私の体や力を削って分け与えなければならず、そのせいで私はほとんどの能力を失い、このような姿になり果てた。魂をあのような異形の物に変える力のみを残すことだけで精一杯だった。
 私の中には、その後もずっとこれでいいのかという疑問は残り続けた。しかしいくら考えようと、彼らが人間のままでこの天国に楽しく暮らせる方法が思い浮かぶことはなかった。物欲、自己顕示欲、食欲、人間は様々な欲を持っているが、どんな欲も決して満たされ続けることはできない。穴の開いた桶のように。でも桶と違うのは、一度入った水は慣れてしまって二度と受け付けないと言うことだ。いずれかならず空になって戻らなくなるときがやってくる。もうこれは取り囲む世界の問題ではない。人間自身の問題なのだ。
 それに今思えば、この天国という世界が作られたこと自体が間違いだったのかも知れない。生き残るための進化の産物に過ぎない知性が世界や自分、そして死を考えるようになってしまったこと自体が。
 本来人間の手にした知性というものは、生き物の共通目標である、『種を保存すること』をより有利にしてきた道具に過ぎないはずだ。それがいつの間にか主役になり、『幸せ』を求めることを自分たちが『存在する目的』だと思っている。どちらも最初はこの宇宙に無かった、人間お手製のものだ。幸せは捉えどころが無く、突き詰めていくほど実体がなくなってしまうし、存在する目的は強いて言えば存在することだ。結局自分というものが受け入れられないからいつまでも矛盾から抜けられないのだ。
 この世界に溢れかえっている者達、あれらはそのいずれもが種を保存するというシンプルな目的に収束している。彼らをまとめて縛り上げる"個"というものから解放された彼らには、かつてのような迷いはもう無いんだ。
 私は理性を手放したい魂達の力になるためにずっとここに残っているんだ。貴方も無に還りたくて来たのだろう。できなくて申し訳ない。しかしその根源的な苦しみから解放することはできる。
 よくぞここまでたどり着いた。ここに来るまでの苦しみは並大抵のことではなかっただろう。君は本当に幸運だ。他の化け物に同化されて理性をじりじりと溶かされていくのは相当な苦痛を伴うようだ。しかしここにたどり着いた貴方はその課程を知覚できないほど一瞬で終えることができる。ここに来た幾億もの魂達が皆最後には進んだ道だ。
 さあ、後は貴方が望むだけでいい。純粋な、正しい存在になれるんだ。この世界を生きるのに耐えうる姿に変えてあげよう。」"神"は返事を待つように話すのを止めた。
 僕は"神"の言わんとしていることを理解した。しかし答えは最初から一つだった。
 「断る。」僕はぴしゃりと言い放った。
 "神"は失望したような沈黙の後言った。「貴方がどうしてそんなことを言うのか理解できる。ここに来るまで彼らに襲われ、必死に逃げてきたんだ。自分がずっと恐れ、憎んできた存在に変化するなんてそう簡単に受け入れられないだろう。それに彼らは単純に恐ろしい見た目をしているのもきっと理由の一つだと思う。彼らを嫌悪するべきだと人間特有の本能がそう思わせるのだろう。
 だがな、よく考えてみてくれ。これを拒んでどうする。この世界から出ることはできない。貴方が苦しみから逃れる方法はこの他にただの一つも無いのだ。それは個人天国で過ごしてみて嫌というほど分かったはずだ。それに彼らを嫌う気持ちも変化した後には跡形も無く消えるだろう。
 理解できるはずだ。私はもうこれ以上貴方のような魂が苦しむのを見たくない。貴方は成長するべきだ。成長は変化なしでは絶対に不可能だ。何兆年もの間に凝り固まったその価値観を脱出してその外から自分を見つめるんだ。もう一度しっかり合理的に考えるんだ。」"神"は穏やかに諭すように言った。
 「そんなことはさっきも聞いた。自分で私は神じゃない、人に作られたんだと言っておきながら、言わせておけば人間を分かったような口を聞きやがって。僕の考えは貴方に何と言われようと変わらない。
 僕はこんな世界を天国だなんて認めない。貴方のようなものを神だなんて認めない。こんなもの全て偽物だ。僕にとっては全部意味がないものだ。本物の天国には永遠の幸せがあって、全ての魂に本物の幸福を与える神様がいるはずなんだ!」
 「そんなものが何処にも無いことは今ここにいる貴方が一番よく分かっているだろう。貴方が貴方である限り、もうこれ以上幸福にはなれない。そんなものを夢想することは止めて目の前の現実を見るんだ。」
 「確かに今ここにあるのはこの世界だ。だが僕が目指す本物の天国はいつだって僕に希望を与えてくれた!こうしている今もだ!その存在を考えるだけで、もう無かったはずの力がどこからか湧いてくるんだ。
 僕は本物の天国を探しに行く。貴方が何と言おうと。貴方にもう用はない。ここでさよならだ。」
 "神"は静かに言った。「そんなことを言ったのは貴方が初めてだ。いいだろう。そこまで言うのなら何処へでも行くがいい。しかし無いことが分かったならここへ戻ってくるんだ。私はいつまでもここで貴方を待っている。その時に改めて苦しみから解放してあげよう。その時までの別れだ。」
 僕は振り返らずに歩き出した。もうこれから待ち受けている苦しい道のりさえ恐くはない。この苦しみも僕が存在していることを実感させてくれる。僕は不思議な色の花の咲く野原を抜けて、もう一度暗黒の世界へ入っていった。
 
 その後、神は永遠に彼のために待ち続けたが、いつまで経っても彼が戻ることは無かった。彼が、彼の言う本物の天国を見つけたのか、それとも道の途中で化け物になったのかは、神でさえも分からない。
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