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ハイパーリアル
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それは突然、そして一瞬だけ訪れた。なんとも名状しがたい現象であったが、強いて言うならば俺は起きていながらにして「目が覚めた」。
別に危ないクスリをやっていたわけではない。朝のコーヒーを飲んでいたら突然、未知の体験をしたのだ。俺はその瞬間、長い夢から覚めかけているときのような感覚に襲われた。自分の体がどこか違う場所にもう一つあるような感覚だ。そして恐ろしかったのが、そこで受けた感じが奇妙なことに、現実よりもさらに、「現実味」があったことだった。
おかしい。そんなはずはなかった。俺が今見ているこの世界は間違いなく現実だ。俺が今した体験はまるで、俺が生きてきたこの世界は夢であったとでも言いたげだが、そんなことは絶対にない。そうだ、夢と現実には超えられない違いがある。夢の中では全てが曖昧で、何の脈絡もない。意識は常に朦朧として、今あったものが次の瞬間消えていたりする。だが現実は違う。俺はこの世界を、生まれたときからずっと生きてきた。俺は自分が誰で、今どうしてここにいるのかを説明できるし、俺が眠っているときでもこの世界は存在し続けている。第一、夢の中で夢自身のことについて考えたらすぐ、そこが夢だと気づくはずだ。
今のは一体何だったのだろう。その時俺は急に、今まで自分が生きてきたこの現実というものが一体何なのか、考えたことがなかったことに気づいた。俺は物心ついた時からこの現実の中にいたが、これが何なのか全く知らない。俺は自分が何なのかさえ知らなかったが、周りには全てを当たり前だと思って日常に生きる人々がいた。そして俺は、彼らの脳の中におれと同じ存在がいると妄想し、同じようにそれを受け入れたのだ。無意識のうちに。これほど不思議なものを、不思議だと思う間もないほど素早く。
今の今まで、現実は絶対で、現実こそが全てだった。俺は今まで自分の耐えられないようなことが現実になった時、また何かを切望した時、自分を取り巻くこの現実が急に変わりはしないかと幾度となく願った。だが現実だけは決して、数ミリも動くことは無く、息が詰まるほど堅くて重かった。どんな空想や夢も、現実に見つかると一瞬で跡形も無く消えてゆくのだった。
しかし今や俺の現実に対する認識は揺らぎ始めていた。俺は気づいてしまった。ここが一つしか無い、絶対的な現実だと言うことを、俺はどうやったって証明できないのだ。俺の今まで後生大事にしてきた財産や経歴と言った現実に根ざしたものが、全て無価値なものにさえ思えてきた。虚無を感じた。今まで俺は現実という箱の中にすっぽり頭を入れていたが、そこにほんの小さな穴が開いたことで、今まで気づかなかったのに、それを箱だと知ってしまったのだ。そして俺は今まで考えたことのなかった死について考えた。そして小さなボートを海の真ん中に浮かべて、どこまでも深い海の底をのぞき込んでいるかのような恐怖を感じた。俺の意識には始まりがある。無から生まれた。それならば、終わりを迎えるとき俺は無に帰るのか。俺のいなくなった世界はその後も、永遠に回り続ける...
もうやめようと思った。もう考えたくない。俺の日常、この現実は何よりも強いんだ。これこそが全てなんだ。俺は思考を振り払うようにして家を出た。いつもの電車に乗り、仕事へ向かう。しかし頭の片隅で、そんな自分に不安になる。俺は自分に染みついた習慣や、無数の「当たり前」によって、何か本当に根本的で、最優先に考えなきゃいけないことを、それがあることも、またそれを棚上げにし続けていることも忘れさせられているんじゃないか。ああ、一人で歩いているとまたこの考えに取り憑かれる。苦しい。頭が痛い。こんなの「普通」じゃない。
その時、何かが目に入って俺は職場へ向かう足を止めた。それはコンビニに置かれたスポーツ紙だった。アイドル歌手とタレントの不倫が、世界を揺るがす大事件とでも言いたげに、馬鹿みたいに大きい見出し付きで一面に出ていた。だが俺は救いの手を差し伸べられたような心地になった。俺は歩き続けてやっとオアシスを見つけた旅人のように、それに吸い寄せられていった。ページをめくって新聞の向こう側に構築された世界に没頭するうちに、ずっと続いていた、さっきまでのつかみ所の無い不安や焦燥感が薄らいでいくのを感じた。頭の中を、この新聞のガチャガチャした色彩が染めていくようだった。箱に開いた穴が、少しずつ埋まり始めたような気がした。
嗚呼、いいんだこれで。決して分からないものを分かろうとするなんて、徒労なんだ。そのことが俺を苦しめるのならなおさらだ。
俺は人々の往来を見つめた。学生が友達と群れて楽しそうに歩いている。中年の男がつまらなそうな目で車を走らせている。皆日常の中で、全部が当たり前だと思って生きている。俺もこの中の一人に戻るのだ。この現実の、そのまた小さな日常へ頭までしっかり浸かるのだ。そうすれば俺は一人じゃなくなる。全てそこからだ。皆いずれそうなる。できない方がまだ幼くて、未成熟なんだ。俺はあの瞬間を忘れてなかったことにする。そうすれば俺はこの底の知れない苦しみから救われるのだ。
今日は雲一つ無いほど晴れている。青い空は奥行きを感じさせず、俺の周りの世界を半球状に包み込み、恐ろしいほど広がってゆく宇宙というものから俺を守ってくれている気がした。俺は元気を取り戻し、また歩き始めた。
彼の背中は雑踏の中へ消えて行き、もう二度と戻ってこなかった。
別に危ないクスリをやっていたわけではない。朝のコーヒーを飲んでいたら突然、未知の体験をしたのだ。俺はその瞬間、長い夢から覚めかけているときのような感覚に襲われた。自分の体がどこか違う場所にもう一つあるような感覚だ。そして恐ろしかったのが、そこで受けた感じが奇妙なことに、現実よりもさらに、「現実味」があったことだった。
おかしい。そんなはずはなかった。俺が今見ているこの世界は間違いなく現実だ。俺が今した体験はまるで、俺が生きてきたこの世界は夢であったとでも言いたげだが、そんなことは絶対にない。そうだ、夢と現実には超えられない違いがある。夢の中では全てが曖昧で、何の脈絡もない。意識は常に朦朧として、今あったものが次の瞬間消えていたりする。だが現実は違う。俺はこの世界を、生まれたときからずっと生きてきた。俺は自分が誰で、今どうしてここにいるのかを説明できるし、俺が眠っているときでもこの世界は存在し続けている。第一、夢の中で夢自身のことについて考えたらすぐ、そこが夢だと気づくはずだ。
今のは一体何だったのだろう。その時俺は急に、今まで自分が生きてきたこの現実というものが一体何なのか、考えたことがなかったことに気づいた。俺は物心ついた時からこの現実の中にいたが、これが何なのか全く知らない。俺は自分が何なのかさえ知らなかったが、周りには全てを当たり前だと思って日常に生きる人々がいた。そして俺は、彼らの脳の中におれと同じ存在がいると妄想し、同じようにそれを受け入れたのだ。無意識のうちに。これほど不思議なものを、不思議だと思う間もないほど素早く。
今の今まで、現実は絶対で、現実こそが全てだった。俺は今まで自分の耐えられないようなことが現実になった時、また何かを切望した時、自分を取り巻くこの現実が急に変わりはしないかと幾度となく願った。だが現実だけは決して、数ミリも動くことは無く、息が詰まるほど堅くて重かった。どんな空想や夢も、現実に見つかると一瞬で跡形も無く消えてゆくのだった。
しかし今や俺の現実に対する認識は揺らぎ始めていた。俺は気づいてしまった。ここが一つしか無い、絶対的な現実だと言うことを、俺はどうやったって証明できないのだ。俺の今まで後生大事にしてきた財産や経歴と言った現実に根ざしたものが、全て無価値なものにさえ思えてきた。虚無を感じた。今まで俺は現実という箱の中にすっぽり頭を入れていたが、そこにほんの小さな穴が開いたことで、今まで気づかなかったのに、それを箱だと知ってしまったのだ。そして俺は今まで考えたことのなかった死について考えた。そして小さなボートを海の真ん中に浮かべて、どこまでも深い海の底をのぞき込んでいるかのような恐怖を感じた。俺の意識には始まりがある。無から生まれた。それならば、終わりを迎えるとき俺は無に帰るのか。俺のいなくなった世界はその後も、永遠に回り続ける...
もうやめようと思った。もう考えたくない。俺の日常、この現実は何よりも強いんだ。これこそが全てなんだ。俺は思考を振り払うようにして家を出た。いつもの電車に乗り、仕事へ向かう。しかし頭の片隅で、そんな自分に不安になる。俺は自分に染みついた習慣や、無数の「当たり前」によって、何か本当に根本的で、最優先に考えなきゃいけないことを、それがあることも、またそれを棚上げにし続けていることも忘れさせられているんじゃないか。ああ、一人で歩いているとまたこの考えに取り憑かれる。苦しい。頭が痛い。こんなの「普通」じゃない。
その時、何かが目に入って俺は職場へ向かう足を止めた。それはコンビニに置かれたスポーツ紙だった。アイドル歌手とタレントの不倫が、世界を揺るがす大事件とでも言いたげに、馬鹿みたいに大きい見出し付きで一面に出ていた。だが俺は救いの手を差し伸べられたような心地になった。俺は歩き続けてやっとオアシスを見つけた旅人のように、それに吸い寄せられていった。ページをめくって新聞の向こう側に構築された世界に没頭するうちに、ずっと続いていた、さっきまでのつかみ所の無い不安や焦燥感が薄らいでいくのを感じた。頭の中を、この新聞のガチャガチャした色彩が染めていくようだった。箱に開いた穴が、少しずつ埋まり始めたような気がした。
嗚呼、いいんだこれで。決して分からないものを分かろうとするなんて、徒労なんだ。そのことが俺を苦しめるのならなおさらだ。
俺は人々の往来を見つめた。学生が友達と群れて楽しそうに歩いている。中年の男がつまらなそうな目で車を走らせている。皆日常の中で、全部が当たり前だと思って生きている。俺もこの中の一人に戻るのだ。この現実の、そのまた小さな日常へ頭までしっかり浸かるのだ。そうすれば俺は一人じゃなくなる。全てそこからだ。皆いずれそうなる。できない方がまだ幼くて、未成熟なんだ。俺はあの瞬間を忘れてなかったことにする。そうすれば俺はこの底の知れない苦しみから救われるのだ。
今日は雲一つ無いほど晴れている。青い空は奥行きを感じさせず、俺の周りの世界を半球状に包み込み、恐ろしいほど広がってゆく宇宙というものから俺を守ってくれている気がした。俺は元気を取り戻し、また歩き始めた。
彼の背中は雑踏の中へ消えて行き、もう二度と戻ってこなかった。
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