わたしの婚姻

山岸ンル

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二、秋風ファインダー

晴江の見るもの 第三話

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「んっ、ふ、ぁ、んん」

 液体をかき混ぜる淫猥な音が寝室に響く。
 くぷ、と晴江の膣から触手が抜かれた。晴江の太ももを濡らしたぬめりに寝室の薄明かりがぼんやりと光を反射する。触手の塊で出来た礎さんの基部がベッドを囲むように半分のしかかっていた。

「はぁ、あ、あなた……」

 夫は答えない。夜の営みのとき、礎さんはパソコンに文字を打ち込まない。基部を露出すること自体消耗に繋がるし、そんな時に文字など打っていられないのだ。
 晴江は夫の太い陰茎に指を這わせる。先端を覆う突起も、見慣れてしまえば可愛らしく思える。ただ、それが晴江の肉体にもたらす快感は『可愛い』などというものではないのだが。
 先走りのにじむ怒張をやわやわと自分の秘所に誘導し、入り口同士が浅く接合する。そのまま中に押し進むには抵抗がある。充分に慣らされたとはいえ、触手生物の男性器は楽に挿入できる太さではない。

「あ、ぁ、はぁ、ああっ!」

 小さく抽送を繰り返しながら、礎さんは晴江の中に自分を埋めこんでいく。

「ぁ、あなたぁ、ああ」

 春江が鳴く。妻の体内の一番奥に到達し、礎さんは喜ぶように身体を震わせた。

「あぁはっ、あぁっ、んっ、あ、そこぉ」

 晴江の中で夫の先端がぐりぐりと子宮口を押し、その周りの突起がざわめいて膣壁を撫でさする。違う生き物が体内にいることをまざまざと思い知らされ、それすら晴江にとって悦楽となった。

(ああ、わたしは今、夫と一番深いところで繋がっている)

 幾本もの触手が動いて、晴江の身体に巻き付いた。きゅうきゅうと締め付けるように手足を、腹部や肩を触手が撫でる。晴江は自ら腰を動かし、異形の伴侶の昂ぶりを咥え込んだ。触手から伝わる体温が高まり、自分の身体の熱も感じた晴江は、互いに絶頂が近いことを知る。
 そして、晴江が達するのに少し遅れて、礎さんも晴江の中で吐精した。


 週に二度程度、二人は性交渉を持つ。避妊は一度もしていない。コンドームの場合礎さんのサイズに合うものがないというのもあるが、もちろん経口避妊薬も晴江は飲んでいなかった。
 晴江が調べたところによると、定着型粘質性多肢生物と人間の交配は不可能ではないらしい。非常に稀ではあるが受精・着床し、出産に至ったケースもなくはない。ただこの数十年ほどは全世界で確認されておらず、すべての情報は書物や言い伝えによるものである。なお、もし彼らの子を宿し産み落とす場合、生まれてくるのはまず間違いなく触手生物である。人型を持って生まれた話はどこを探しても見つからなかった。

 口唇にふに、と何かが当たる感触で、晴江は夜中に目を覚ました。

「……あなた?」

 しゅる、と触手が二本退いた。

<<すみません。起こしてしまいました>>
「どうかしたの?」
<<いえ>>

 沈黙があって、文字列が流れた。

<<昼間のこと>>
「昼間?」
<<私は嫉妬してしまった>>
「あ……」

 壮馬のことだ。高校の同級生、とだけ伝えたけれど、礎さんは晴江が処女ではなかったことを知っている。何か察したのかもしれない。

<<私の知らない街で、陽の光を浴びるあなたを見ることができる彼に、私は>>

 暗い部屋にモニタだけが明るかった。

<<私は あなたを愛している けれど、それを証明することなどできない。人間と違って あなたの隣を歩くことも あなたと一緒に老いて死ぬこともできない もしかしたら子供を作ることも>>
「礎さん」

 力なくベッドに乗っている二本の触手を両手に取り、晴江は口付けた。一本を口に含み、閉じた孔のある先に舌を這わせる。ちゅ、とリップノイズを立てて離れた。

「わたし――わたし、たぶん、あなたのことを好きなんだと思います」

 二本の触手を胸に抱く。

「でも、わたしもそれを証明できない。今日みたいに、……その、……セックスをするくらい、でしか」

 礎さんは黙っている。

「けど、人間同士だってきっとそのはずです。もともとは知らない人同士結婚して、一緒に生活しながら、コミュニケーションを取りながら信頼関係を築いて、家族になっていくんでしょう」

 壮馬の言葉がよぎった。『それって本当に――』

「気持ちなんて形がないんだから、証明のしようもないわ。でもわたし、あなたに抱かれてる時には満たされた気持ちになるし、声が聞こえないと寂しくなる。それでいいでしょう?」
<<晴江さん>>
「わたしね、あなたが焼きもち焼いてくれたって言ったとき、嬉しくなったんです。嫉妬してキスしてくれるなら、もっとさせたくなってしまうわ」

 晴江が笑うと、岩肌の壁からあと三本触手が生えて、晴江の手に絡みついた。

<<晴江さん。あなたを抱きしめる腕がないのが本当に残念だ>>


 十月も終わりの乾いた風が、晴江の前髪を揺らす。駅前の古びた電話ボックスの前で、晴江は再び壮馬に会った。壮馬はほんの少し痩せて見えた。

「こんにちは、進藤くん」
「……やあ、高杉」
「あのね、わたし」

 なんと言おうか逡巡すると、壮馬は首を振った。

「いいよ、言わなくても」
「進藤くん?」
「『礎さん』の奥さんやるって決めたんだろ」
「……察しが良いのね」

 そんな顔してる、と壮馬は笑った。そしてちょっと口唇を掻くと、晴江に尋ねた。

「『礎さん』て、どういう意味か知ってる?」
「……? そういえば、知らない」
「これ、高校の時に孝泉寺の和尚さんに訊いて調べたんだけど、……そのあと親に付き合ってるのバレて伝えられなくて、そのまま忘れてたんだけど」
「何?」
「『この一帯の守り神様』って意味なんだってさ」

 さっき聴いてきたのを思い出すかのように壮馬は淀みなく言った。

「…………守り神」
「なんで守り神なのかは分かんないけど、寺の蔵にあった昔の住職か誰かの日記には『神様として祀られている』って書いてあるらしい。『礎さん』、今でも年寄りが酒供えに来るんだろ? 俺達知らなかったけど――そりゃ勝手に神様の許嫁に手を出したんだから、家族会議にもなるよな」
「そうね」

 晴江は少し笑って手元のデジタルカメラを見た。

「じゃあ、なんていうか――、お幸せに」
「うん。心配してくれてありがとう、進藤くん」

 壮馬は照れくさそうに片手を上げて、踵を返した。彼が呟いた言葉は、晴江には聞こえなかった。

「異類婚姻譚って、つまり『人身御供』ってことが多いらしいんだけど――まさか、言えないよな」


 抜けるような空のうんと高いところを、まばらな雲が往く。
 傾いた夕陽の黄みがかったオレンジが、ビルの隙間から見える。薄く夕焼けになった西側をカメラに収めて、晴江はゆっくり丘の上の公園を散策した。
 授業を終えた子どもたちがブランコやジャングルジムに遊び、それを誰かの母親が微笑ましく見守っている。自分は、そのような母親にはなれない。晴江はそう思った。もし仮に夫との間に子どもが出来たとしても、生まれてくるのは昏がりの中でしか生きられない異形である。公園で、無邪気に走り回る彼らとは似ても似つかない。
 だが、晴江はそれでも別に良いと思った。
 礎さんは、結婚して不幸せそうには見えない。子どもを欲しがる理由など、その程度でよかった。

 公園の隅には小さなお社があった。晴江も子どもの頃から何度かお参りした、細い注連縄飾られているだけで賽銭箱もない、本当に小ぢんまりとした神様だ。
 ぱん、ぱんと簡単に二拍手のみのお参りを済ませ、ふと顔を上げると、お社の中の小さな扁額に墨で文字が書かれているのが見えた。

「これ……」

 古ぼけ、ほとんど読めない文字列の3つめが、『礎』に見えた。
 公園は晴江が住む祠から二百メートルほど離れた場所にある。これがもし、『礎さん』と関係のある社なら……、礎さんは意外と、祠よりも大きいのかもしれない。


「ただいま、帰りました」
<<おかえりなさい>>

 今日はすぐさま礎さんの声が迎えた。

「あなた、今日は夕焼けが綺麗ですよ」
<<そうですか。写真があるのなら、見たいです>>
「もちろん」

 すでに手慣れた様子で晴江はカメラとパソコンを接続した。

「…………」

 しんと、静まり返った。

「……あなた?」

 一拍置いて、モニタの片隅にあるウィンドウに文字が浮かんだ。

<<一眼レフ、買いましょうか?>>
「えっ?」
<<どうせなら、もっといいもので撮ってもらってもいいかもしれない。晴江さん、あなたには写真のセンスがあるようなので>>
「え、いや、でも、もったいないですし」
<<だめですか>>
「え、えー。そんな。ダメというわけじゃないですが。今のカメラに満足もしてますし」
<<じゃあ、物足りなくなったら言ってください。これでも、それなりに稼ぎはあるので>>
「……はい」

 ぴょこ、と触手が壁から生えた。

「……なんですか?」
<<ゆびきりげんまんです>>
「……はい」

 小指に触手が絡みついた。

「ゆびきりげんまん、うそついたら針千本のーます」
<<ゆびきった>>

 小指と触手が離れる。

 なんだかくるおしいほど愛しくなって、晴江は触手を捕まえると、口唇で優しく食んだ。







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