短編集

みなせ

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短編

主客転倒

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「アズリーン・バグスマリ! お前との婚約をここに破棄する!」

 光の乱反射でちかちかする目を何度も瞬きし、ようやくきつく閉じていた目をうっすらと空けると同時に、目の前に立つ人物にそう指差された。

 アズリーンって誰?
 指差されているってことは、あたしか?

 婚約、破棄?
 誰が、誰と?

 ぼんやりとするあたしに、目の前の男がつかつかと近付いてきた。
 その腕にはピンク色の髪の少女。

 ほう、これは、あれか。イベントの最中か。
 イベントの最中?
 あれ、おかしいな。おかしいぞ。
 あたしさっきまでそっち側にいたような?

「カトリナにした悪事の数々、知らないとは言わせない。証拠もある。今ここでカトリナに頭を下げるなら、温情をあたえよう」

 王子様なんだろうな。この人。
 そんなことを考えながら、とりあえず神妙な顔をしてみる。

「どうしたアズリーン? 何か言ったらどうだ?」

 やっぱり、あたしがアズリーンか。
 ちょっとがっかりした気分で、ため息をつく。

「そう、言われましても……とりあえずあたしがやったと言う悪事と、その証拠とやらを拝見してもよろしいでしょうか?」

 ぴきっと、王子の顔が引きつる。

「しらをきるつもりか?」
「いいえ、あたしがやっていないこともあたしがやったと言われては困るので、確認したいだけです」

 頭の中にはこの世界のことは何もない。
 今あるのはたぶん、アズリーンと呼ばれる前に生きていた世界の情報だけだ。
 ただ、この世界に来る前も同じようなことをしていたから、なんとなく分かる。

 似たような世界だから、たぶん中身も似たようなものだろう。
 問題は、アズリーンさんとやらがどんな人間かまったくわからないことだ。
 マジ悪女なのか、普通の令嬢なのか。
 そして、前の世界で使えた魔法がここでも通用するのか。
 とりあえず、時間稼ぎが必要だ。

「アズリーン、これが貴方がカトリナにしたいやがらせの詳細です」

 王子の脇から、全身真っ白な男が出てきて、紙の束を差し出してきた。
 役割としては宰相の息子あたりだろうか?
 頭の上から下までを一瞥しながら、ありがたい情報源の束を受け取る。

「ありがとうございます」

 一応言って、さっそくパラパラとめくる。
 悪事とされる内容は、前半は挨拶をしない、礼儀がない、婚約者に近付くななどと、割と普通の苦言程度、後半は教科書を破られた、思い出のブローチが盗まれた、階段から突き落とされそうになったというもの。
 まあ、ありきたりな展開らしい。

 と、いうことはアズリーンの役どころは、普通の婚約者というところか。

「どうだ、何か言いたいことはあるか?」

 白い男が鼻息荒くそう聞いてくる。
 なんかムカつくなぁ……ちょっと、試してみるか。

「つかぬことを伺いますが、貴方はどなたでしょう? あたしを呼び捨てにできる間柄なのでしょうか?」
「は!?」

 白い男が、唖然とする。
 あたしの予想だと、この男は永遠の2番手。
 ちょっとおバカな王子の下で辟易しているハズ。
 王子の婚約者のアズリーンを、今、この場で呼び捨てにするのがいい証拠だ。その頭脳が本物なら最後まで気を抜くはずがない。
 いや《攻略された》からこうなのか?

 あたしは、そっと、その手に触れ、見上げながらほほ笑む。
 自分の姿見下ろした感じではデブでもないし、やせ過ぎでもない。
 そこそこのお胸もある。
 自分の今の顔の容姿は分からないが、王子の婚約者になる女だ。
 それなりにいいだろう。

 ほほ笑んで見つめると、白い男の頬が染まる。
 よし、いい感じだ。

「お名前を」
「ロナウドです、アズリーン嬢。お忘れでしょうか?」
「いいえ、ロナウド様。あたし、貴方に呼び捨てにされて驚いていますの。貴方はそんな礼儀知らずではなかったはずですもの」

 さらに身を寄せて、耳元にそうささやく。
 お前のことなんて、全然知らねーけどな、と思いながらさらに追い打ちをかけるようほほ笑みを深くする。

「アズリーン嬢」

 ふるふるとロナウドが震えているのが分かる。

―――落ちたな。よし、次!

 前の世界の魔法が使えることを確信して内心ガッツポーズを一つして、ロナウドの体からそっと離れ、その後ろにいる王子とヒロインへ進む。

「アズリーン! 殿下とカトリナ嬢にそれ以上近付くな!」

 叫び声とともに、どこかからガタイの良い騎士風の男が出てきて、あたしの前に立ちはだかった。
 こいつは騎士団長あたりの息子枠か。
 顔が怖いから女子には人気なしと見た。
 あたしはさらに足を進め、一気にその男の胸に両手をあて体を寄せる。

「あら、意外に良く締まった体をしていらっしゃるのね?」

 ほほ笑みを浮かべ真下から見上げる。
 怒りながらも、真っ赤になった顔がわなわなとあたしを見下ろす。
 その手が動く瞬間、伸びあがってその頬に口づけるフリ。

「なっ、なっ、な、にを」
「こんなにお強そうなのに、こんなかよわいあたしに何をなさるおつもりなの?」
「そ、それはっ!」

 耳元で囁くと、赤くなった顔をさらに赤くし、男はふらふらとあたしに背を向ける。
 ふん、へたれめ。なにしに出てきたんだ? まったく。

 心の中でバーカを連呼しながら、王子の方へとさらに進む。
 王子は眉間にしわを寄せ、ヒロイン―――カトリナは王子の胸に強くその身を寄せる。

「殿下、あたしが本当にそちらの方にこのようないやがらせをしたと思っていますの?」

 にこりとほほ笑んで、ヒロインとは反対側の王子の腕に近付く。
 そーっとそーっと距離を縮め、指先をその腕に触れる。

「あたしは殿下の婚約者ですよ。殿下に近付く女性にやきもちを焼くのは当たり前じゃありません? 殿下だってそちらの、カトリナ様に誰かが近づけばお心が騒ぐのでは?」
「アズリーン、私に触れるな」

 王子が少しだけあとずさる。
 その手をさらに追いかけ、涙をためた上目遣いで見上げる。
 王子の目がこちらを見た瞬間をねらって、胸を両腕で挟み谷間をアピール。

「殿下。本当にあたしとの婚約を破棄してよろしいの?」

 カトリナの胸は見た感じ平らだ。
 あたしが前いた世界の王子は巨乳好きだった。
 運よく、その時のあたしの胸は大きくて、悪役令嬢はカトリナの胸のように平らだった。
 あたしはここぞとばかりに王子の腕に手をからめ、胸を押しつける。

「アズリーン、よせ。頼む」

 上ずった声に、あたしは片手を離し、紙の束を目の高さまで持ち上げる。

「拝見しましたが、あたしが関与したと思われるのは最初の苦言です。後半のいくつかはもう犯罪です。あたしは後半の犯罪には全く覚えがありません。もしあたしがやったとおっしゃるなら、これはあたしだけの問題ではなく、家の問題になります」

 哀し気な顔をつくり、今度はカトリナを見る。
 カトリナの顔は蒼白だ。
 事実の捻じ曲げは、ヒロインとしては当然の行動だ。
 だが、やりかたを間違えると、それはもろ刃の剣になる。

「アズリーン様。わたしは貴方に謝っていただけさえすれば、何も……」

 震えながらカトリナがそううめくように言う。
 王子にさらに胸を押しつけながら、あたしはカトリナを見つめる。

「いいえ、各国からお祝いにいらした大使の方たちがいる場所でのこのようなことが明るみになったのです。学園に犯罪者がいるなどということになれば、それは学園にとっても、国にとっても大変な事態なのです」
「でも……」
「これは学園長に報告ししっかりした調査をした方がいいと思います。いえ、あたしの無実の証明のためにも、しっかりとした調査を求めます」
「アズリーン、その前に、頼むから少し離れてくれ」

 すこし困ったような顔をして、王子が言った。
 さっきとは全く違う表情だ。

「カトリナ、君も離れてくれないか?」
「セドリック様」

 カトリナが驚いたように王子を見上げる。
 へぇ、王子はセドリックと言うのか。
 そんなことを思いながら、あたしが王子から手を離すと、カトリナもゆっくりと離れた。
 王子はあたしを見て、ほほ笑んだ。

「アズリーン、すまなかった。私はどうかしていたようだ」
「そのようですね」
「だが、君はいつから“あたし”と言うように?」
「殿下がカトリナ様に魅了魔法をかけられてからですわ」
「魅了? ああ、それで、意思とは違う行動を取るようになったのか」

 王子が納得したように頷いた。そして、周りの人に指示を出し始める。

「待ってください! わたしは何も」

 慌てたようにカトリナが叫ぶ。
 あたしはカトリナのそばへ寄り、ちいさな声で言う。

「カトリナさん、知らないようなので教えるけど、魅了魔法は新たな魅了魔法がかけられると相反する作用が働いて魔法が解けるのよ」
「え?」
「貴方、教科書とブローチと階段は嘘でしょ?」
「ヒッ」

 カトリナが息を飲む。
 図星か。

「でもわたしは」
「ヒロインだから?」
「!?  なんで……」
「あたし、前の世界では貴方の立場にいたの。……悪いことは言わないから早めに逃げたほうがいいわ。殿下の魅了は解けたし、この様子だとアズリーンと殿下に確執はないんでしょ?」

 尋ねると、カトリナは頷く。

「なら……早く逃げないと、バッドエンドになるわよ」
「そんな、ならロナウドやハーデスを……」
「貴方、この期に及んでまだここで男引っかける気?」

 ハーデスって誰だ?とか思いながら、カトリナを睨む。

「アズリーン。カトリナ。二人で何をこそこそ話している?」

 王子がそう近づいてくる。
 やばい。
 あたしはカトリナの手を取り、

「お花摘みに行ってきまーす」

 とホールを飛び出した。
 カトリナの案内でトイレへ駆け込む。

「このまま貴方は逃げなさい。殿下からもらったものは隠してあるでしょ?」
「ええ」
「だったらそこらへんの騎士をひっかけて、はやく国外へ逃げたほうがいいわ。殿下に魅了魔法かけたんだから、首が飛ぶわ」
「……分かったわ」

 しぶしぶカトリナが頷く。

「でもアズリーンはどうするの?」
「あたしはアズリーンじゃないから、前の世界に戻れなかったら、適当なところで逃げるわ」
「そう、じゃあ、逃げたらわたしのところに来る?」
「……そうね、お願いするわ」

 カトリナが窓から逃げるのを見送って、あたしは鏡を見た。
 前の自分とは似ても似つかない、大人っぽい美女だ。
 前のあたしは胸以外カトリナに似ていて、そうかわいらしいヒロインだった。
 この世界も、前の世界も、絶対あたしたちより婚約者の方が美しいはずなのに、男たちは何を考えているんだろう?

 アズリーンになってみて思う。

―――断罪をうける悪役って大変なのね。


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