短編集

みなせ

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短編

友の恋人

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「それは、どのようなお考えからそうなりましたの?」

 喪服にも似た黒いドレスの女は、そう首をかしげる。
 黒いベール付の帽子のせいで顔の上半分は見えないが、白い肌に血のように赤い唇が、女を妖艶で美しいと思わせた。
 だが、その線が細くはかなげな見かけとは裏腹な女のその強い口調に、私は困窮していた。



 ここは、友人と待ち合わせをしているバーのカウンターだ。
 一人で酒を傾けていると、隣に座った女がまるで知り合いのような気軽さで声をかけてきた。
 初めは軽い世間話をしていたのに、どうしてその流れになったのか次第に私の身の上話になった。

 先月、私は離婚した。
 妻だった女は同じ子爵家の出で、私の金銭的な理由での政略結婚だった。
 出資者の娘と結婚する代わりに、援助を受けるという条件の結婚だ。
 私は断ろうと思ったが、年老いて病がちの父と母、そしてちょうど身重だった恋人のため、その条件を飲んだのだ。
 愛のない結婚だ。
 借金を返せば、解消できる契約結婚。私と妻は同じ敷地内に住んではいたが、結婚式以来顔を合わせることさえなかった。
 結婚して5年。ようやく借金を返し終わり、離婚を成立させた。
 待たせ続けた愛人を、やっと妻に迎えることができる、とまで話したところだった。

「ですから、どうして最初から、その愛人の方と結婚なさらなかったのか、と伺っていますの」
「それは、政略結婚で仕方がなく」
「でもその理由はお金なのでしょう? お金が理由なら、なおさら嫌な結婚をしなくてもよかったのではありませんの?」

 心底不思議そうに女が言う。

「その愛人の方は何もおっしゃらなかったのですか? 奥様より前からのお付き合いだったのでしょう?」
「金銭面で苦しい時だったので、彼女もそれなら仕方がないと」
「そういうものですの? わたくし、好きな方がもし他の方と結婚してしまったら、たとえ政略結婚だとしてもきっと気分が悪いと思いますのよ」
「そのことについては、彼女にずいぶん我慢をしてもらったと思っています」
「我慢? ……それなら、奥様はなんて?」
「妻……も政略結婚だと割り切っていたのではないかと」
「奥様がそうおっしゃったんですの?」
「いえ、妻とは結婚式以来顔を合わせないようにしていましたから、想像でしかありません」
「まあ、それはどうしてですの?」
「いずれ別れるなら、お互いあまり干渉しない方がいいと思ったんです」
「……なら、やっぱり最初からその愛人の方と結婚なさればよかったのに。愛し合っているなら、お金の苦労なんてどこもあることでしょう?」
「それは……彼女には……」
「待たせたな」

 できるならこれ以上苦労をかけたくない、と言おうとしたところで、友人が現れた。
 学生時代からの付き合いのある自慢の友だ。
 私より爵位は上だが、それを鼻にかけない朗らかで良い男。

「ああ、もう会っていたのか。なら話は早い」
「どう言うことだ?」

 笑顔の友人に私が尋ねると、女が立ち上がり、友人の腕にその腕をからめた。

「今日、ここに呼んだのは彼女を紹介しようと思ったからなんだ」
「?」
「実は今度彼女と結婚することになってね」

 友人はそう、はにかんだ笑顔になる。今まで見たこともないような幸せそうな笑顔に、私も頬がゆるむ。

「じゃあ、彼女は前言っていた、気になっていた女性かい?」
「ああ、やっと、準備が整ったんだ」
「そうか、それはおめでたい! ならとりあえず祝杯をあげようじゃないか」

 私の言葉に、二人は意味ありげに見つめあったあと、私の隣に腰を下ろした。

「それで、君たちは何を話していたんだい?」
「ああ、それが、おめでたい時にする話ではないんだが」

 友人に聞かれて、私は女との会話を説明した。

「そうか。実は僕もそのことは君に聞きたいと思っていたんだ。そんなに愛する人がいるのに、何故他の女なんかと結婚したのかって」
「それはいつも言っているだろう。借金の代わりとして押し付けられたと」

 友人の言葉に、私はつい、いつもの答えを返してしまった。
 友人がふと眉を寄せ、女を見る。
 その様子に、女性の前で言う言葉ではなかったと思ったが、謝るより先に友人は話しだした。

「それだよ。5年で返せるくらいの借金だろう? 君が結婚するときにも言ったが、僕に相談してくれればお金くらい融通したんだ。そうすれば嫌な結婚もしなくて良かっただろうに」
「友人に借金の申し込みは出来ない。私にだって矜持はある」
「プライド、か」
「ああ、君は素晴らしい友人だ。その友人に借金なんて頼めるはずがない。君にはいつでも胸を張って会いたいと思っているんだ」

 すこし照れくさいが、私はそう友人を見ると、友人は寂しそうな顔をした。
 私はこの話は長引かせるべきではないと思い、話題を変えた。

「それより、君は彼女とどこで出会ったんだ? 君に好きな人がいるのは知っていたが、こんな美しい人だったとは驚きだよ」
「ああ、彼女とは学生時代に友人の紹介で知り合ったんだ」

 私も会ったことがあるのだろうか?
 首をかしげて、友人との思い出を探る。だが、友人から女を紹介された記憶はない。

「覚えていないのも無理はないよ。僕も数えるほどしか会えなかったからね。でも紹介されたときに僕が一目ぼれ、婚約者がいることは知っていたが、すぐプロポーズしてしまったくらいさ」

 もちろん、すぐ断られたけどね、
 と、おどけながら友人はそう言って、女の手を握る。

「君だから話すんだが、実は彼女も先月離婚が成立したんだよ」
「へえ、詳しく聞いても?」
「あぁ、彼女も政略結婚なんだ。それも微々たる借金で、だ。相手はひどい男でね、自分が借金をこさえたくせに、結婚式が終わると同時に彼女を別宅に閉じ込めてご両親の世話をさせ、自分は愛人と本宅で子供を二人もつくって、のほほんと過ごしていたというんだ」
「それは」
「その話を聞いた時、僕は借金の肩代わりをして彼女を救い出そうと思ったんだよ。それでお相手にそれとなく接近したけど、彼は頑として拒否してね。結局返済に5年もかかった。だから、僕は今まで彼女を待つことになってしまったんだ」

 私は何故か居心地が悪くなった。

「まあ、今頃相手も愛人との結婚方法を模索しているかと思うと、少しは溜飲が下がるけどね」
「それは?」
「彼女の元旦那の相手は平民らしいんだ。結婚するなら、どこかの貴族との養子縁組でもしないと難しいだろう? でも彼女にひどいことをしたという噂は、もう社交界にかなり出回っているから、よほど旨みのある条件じゃなければ誰も相手にしない筈だよ」
「……その、噂は、そんなに?」
「あぁ、もう何年も前からだからね。今回彼女が身一つで追い出されたこともいい味付けになっているみたいだ。最新の噂では、その男のご両親は爵位返上も考えているらしい。何にしても、僕としてはざまぁみろと言ってやりたいよ」

 友人がそんな風に、意地悪い顔で誰かを悪く言うのをはじめて聞いた。
 私は、冷や汗が背に流れるのを感じ、身震いした。

「だってそうだろう? お相手は何も分かってないんだ。年頃の女性の5年がどんなものか、女性が離縁されるということがどんなことか。義務も果たさない、いらなくなったら捨てる、そして自分ばかり幸せになろうなんて、彼女がかわいそうじゃないか」

 友人は、女の肩に手を回し、その頬に口づけた。そして、

「僕は体裁が悪いと言われても、すぐにでも結婚式をするつもりだよ。彼女の実家の悪評と元旦那の噂があるうちに結婚してしまえば、彼女も社交界に戻りやすいからね。そこは元旦那にお礼を言うよ」

 と、そこまで言って、思い出したように肩をすくめた。

「あぁ、すまない。こんな話を長々と。君には関係ない話なんだが、彼女のことを考えると本当に腹が立ってしまってね。ついあちこちで話してしまって、よく皆にげんなりされるんだ」
「いや」

 大丈夫だ分かるよ、とは言えなかった。
 その男のやっていることは、まるで自分のことのようだからだ。

「そういえば、君も僕に相談があると言っていたが、なんだい? 君は僕の数少ない友人だ。僕に出来ることなら何だって言ってくれ」

 満面の笑みで告げる友人に、私は引きつった笑顔しかできない。

「……いや、今日は結婚祝いだ。相談はまた今度にするよ」
「そうかい? ならもうこんな話はやめて、君が領地に引きこもっていた間の王都の噂を教えようか。結構愉快なんだ! きっとこれからの生活に役に立つ話さ」

 友人は嬉しそうにグラスを持ち上げた。
 友人と女が楽しそうに話すのを見ながら、私は心ここにあらずの状態で残りの時間を過ごした。
 どのくらいそうしていたか、ようやく友人がそろそろ帰ろうと席を立った。

「今日は、君に会えてよかったよ。じゃあ、また連絡する」

 友人がそう私の肩をたたく。
 女もベールを上げて、私を見た。
 想像通り美しい女だった。
 女の顔を見て、私はほっとした。その顔は、見覚えのない顔だった。

「――――、行こう」
「ええ」
「!?」

 女は友人に呼ばれて、私から離れた。
 すれ違う瞬間、目を見張る私を見て女は笑っていた。
 その笑いは、明らかに嘲笑だった。
 私は二人の背中を、茫然と見送った。

 友人が呼んだその名前は、元妻と同じだった。
 偶然? いや、そうじゃない。

 ――あの女は、私の妻だったのだ。

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