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8.魔王、異界の魔獣と手合わせする②
しおりを挟むエルノア国の王都、アルデール。
その高台に位置する聖教会のローナ聖堂のテラスに、聖職者たちがずらりと並ぶ。彼らは鐘の音に合わせて目を閉じると、一斉に詠唱を始めた。
途端、聖堂の上空を起点に、魔法の防御壁がベールのように空を覆いつくしていく。それはアルデールの町全体を呑みこみ、外からの侵略者への盾となった。
その防御壁の外で、異世界の魔王アリギュラは、両手を組んで不敵に笑っていた。
「配置に付け!!」
「弓兵は弓をつがえろ! 合図を待て!!」
「投石機はまだか!?」
アルデール城の西壁では、あわただしく兵たちが走り回る。バリアの向こうに浮かぶ魔獣の軍団との、戦闘に備えているのだ。
その中を、エルノア国第一王子、ジークが駆ける。魔獣との戦闘に備え、隣接するローナ聖堂から急ぎ城へと戻ったのだ。
けれども彼が目を向けるのは味方の兵士たちではない。焦りを滲ませ石壁に身を乗り出したジークは、はるか上空に浮かぶ少女――異界から召喚された聖女に叫んだ。
「降りてくるんだ!! グズグリは狂暴だ! 君一人で、かないっこない!」
グズグリとは、一つ目の飛竜だ。ぬるぬるとした粘膜に覆われた体は大きく、翼を広げれば大人二人分はある。ギザギザの牙が生えた口は獰猛で、さらにはブレスまで吐く。おまけに粘膜により刃は通しづらく、倒すのに苦戦をする相手だ。
空に浮かぶ少女に、ジークの声は届いていないようだ。癖のない黒髪を風になびかせ、まっすぐにグズグリの群れを見据えている。その横顔は凛々しく、研ぎ澄まされた刃のように美しい。
だからといって、彼女ひとりで、グズグリの大群を退けられるとは到底思えない。世界を救う聖女の召喚は、魔王復活以来、エルノア王国の悲願だった。これからようやく反撃というときに、みすみす聖女を喪うわけにはいかない。
こうなったら王宮魔術師を呼んで、空まで彼女を止めにいくしか。そのようにジークが考えたとき、聖女が動いた。
ゆっくりと右手を掲げ、何やら呪文を呟く。すると、聖女の周りに光の玉が浮かび、急速に彼女の右手の周りに収束した。
パンッと光がはじけたとき、ほかの兵の口からも感嘆の声が漏れる。聖女の手には、伝説に聞く聖剣『光の剣』が握られていたからだ。
「ひ、光の剣だ!」
「神託は本当だったんだ!」
神々しく光る剣に、兵たちも手を取り合って喜ぶ。それは、ジークにしても同じだった。
聖教会に降りた女神クレイトスからの神託によれば、光の剣こそ、魔王サタンを葬る唯一の武器だという。その武器は聖女によってもたらされ、彼女による祝福――聖女のキスを受けた者だけが、その剣を扱うことができるのだと。
「聖女様! 私に光の剣をお与えください!!」
ジークは思わず上空に向かって叫んでいた。
王族に生まれた者の責務として、兵の先頭に立ち、民を守らなくてはならない。これまでジークを突き動かしてきたのは、そんな王族としての矜持だった。
けれども、光の剣を手にまっすぐに魔獣を見据える麗しい聖女。そんな神話の一場面のような光景に、ジークはただただ純粋に、畏敬と興奮の念に突き動かされていた。
「どうか、私、ジーク・エルノア・ローエンベルンを、貴女の剣に選んでください!」
けれども聖女は、なぜか不満そうに光の剣を見た。
「……異界の魔剣はこんなものか」
見上げる人々には届かなかったが、聖女はそんな風に小さくぼやく。そして、あろうことが、光の剣をぽいと海に放り投げた。
「う、うわぁぁぁぁ!?!?」
「聖剣がーーーーー!?!?」
ジークらは思わず悲鳴を上げた。
人々の希望を乗せた光の剣が、ぽちゃんと海に落ちる。唖然と口を開いたまま、ジークたちはなすすべもなく塀からそれを見下ろす。
だが、当の聖女は落ちた剣を一瞥すらしない。
代わりに彼女は、手を高々と掲げて叫んだ。
「顕現せよ!! ディルファング!!」
「っ!?!?」
ジークは息をのみ、続いて吹き荒れた魔力風に顔を覆った。
光の剣が現れた時とは比べ物にならないほど、膨大な魔力の収束を感じる。腹の底が震えるような感覚があってから、ソレは現れた。
聖女が握るのは、鈍色に輝く剣。刀身は光の剣よりも長い。だというのに、それを手にする聖女は堂々としており、少しも不釣り合いなところがない。それどころか。
(なんだ、この存在感は……)
汗が一筋、額から滑り落ちる。
先ほどとは違う興奮が、胸の底から沸き起こる。例えるなら、荒野に君臨する百獣の王を前にしたかのような感覚。
気が付くと、ジークはその場に跪いていた。ジークだけではない。防壁に並ぶ兵たちが、次々に自然と跪いていく。その表情は一様に熱に浮かされたように紅潮し、まっすぐに聖女に向けられている。
皆の視線を一身に受けながら、小柄な聖女は少しもひるむことはない。それどころか挑戦的に赤い瞳を光らせ、凛と声を張り上げた。
「走れ、『覇王の鉄槌』!」
耳をつんざくような轟音とともに、空に稲光が走る。巨大な龍のようなそれは幾重にも枝分かれし、グズグリの群れを襲った。直撃を受けたグズグリは悲鳴を上げ、ぷすぷすと煙を上げながら海へと落ちていく。
それを眺める聖女は、にやりと唇の端を吊り上げた。
「ほんの小手調べのつもりだったが、異界の魔獣はこの程度か。仕方があるまい。生まれは違えど同じ魔族の長として、わらわ直々におぬしらを鍛えなおしてやるわ!」
聖女が口にしたことのほとんどは、ジークの耳に届かなかった。けれども、禍々しく輝く愛刀を手に、嬉々として聖女がグズグリの群れに突っ込んでいくのは鮮明に見えた。
その凛々しく神々しい姿に、ジークの胸はトゥンクと跳ねた。
(どうしたというのだ、この胸の高鳴りは……っ)
――ジークだけではない。鈍色の剣を鈍器のように扱い、次々にグズグリを海に叩き落す聖女の姿は、まさに戦の女神。小さな体からほとばしるその輝きに、ほかの攻略対象者たちも目を奪われていた。
「ははっ! なんて聖女が、この世界に現れてくれたんだ」
感嘆とともに、騎士アランは眩しそうに目を細めた。
「ふーん? ちょっとはやるじゃんって、褒めてやらないこともないかも」
悔しそうに顔を赤らめながら、侍従ルリアンが呟いた。
「……この力、この魔力。少し、興味が湧いてきた」
そのように呟き、王宮魔術師はローブを被りなおした。
彼らだけじゃない。男も女も。老人も子供も。皆が天を仰ぎ、剣を手に空を掛ける戦姫に心を奪われる。
「女神、さま……」
ジークの近くで、誰かが呟いた。
それに応えるように、ジークの青い瞳からは涙が一筋零れた。
彼女こそ、救世主。人々が待ち望んだ、唯一の希望の星。
あっという間に群れを一掃し、聖女は最後のグスグリに迫る。
最後のあがきにグズグリが吐き出したブレスを、剣で軽く掃う。そうやって、じゃれる子猫をあしらうかのような気軽さでグズグリの懐に潜り込むと、聖女はむんずとグズグリの尾を掴む。
聖女は、ぶんぶんとグズグリを振り回した。
「これで終いじゃあーーーーーー!!!!」
聖女は叫び、ぱっと尾を掴んでいた手を離す。途端、最後のグズグリは遠い遠い、海の向こうに勢いよく吹き飛んで行った。
きらん、と。空の向こうに、グズグリが消える。
わっと、城が、聖堂が、爆発するように沸いた。
「聖女様の勝利だ!!」
「聖女様! 聖女様! 聖女様! 聖女様!」
皆の声が重なり、うねりとなって空に浮かぶ小さな少女を称える。ジークも、アランも、ルリアンも。立場もなにも忘れて、拳を振り上げて叫ぶ。
のちに吟遊詩人は、聖女が魔獣をひとりでくだした記念すべきこの日を、後々にまで歌い伝えたのであった。
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