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31.囚われた先で
しおりを挟むぴちょん、と。水音が跳ね、冷たい滴がすっと通った鼻に当たる。それを合図に、メリフェトスはゆっくりと瞼を開いた。
つい先程まで見晴らしの良い丘で見せていた、穏やかで柔らかな表情とはまるで違う。魔王軍幹部としてふさわしいピンと張り詰めた空気を見に纏い、青紫色の瞳で静かに当たりを観察する。
湿り気を帯びた臭いが、鼻腔をくすぐる。天井は高く、壁はゴツゴツした岩肌だ。どうやら、かなり広い洞窟の中にいるらしい。
そのわりに彼の座る床は平らにならされており、居心地の悪さを感じない。自然の洞窟をベースとしながら、きちんと手を加えられているのだろう。
(俺も随分、勘が鈍ったものだな)
自分を縛り付ける黒い影を見下ろして、メリフェトスは自嘲する。自分もアリギュラも、忍び寄る黒い魔力に全く気付けなかった。
人の身に落ちたのが原因か、それともエルノア国に来てからの平和で呑気な生活が理由か。……おそらく、今回は後者が正解だろう。なにせあの時、メリフェトスは目の前で戸惑うアリギュラの姿しか目に映っていなかったのだから。
(だが、惚けるのもここで終いだ)
わずかだがアーク・ゴルドから引き継げた自身の魔力を用い、影の拘束を引きちぎる。もとより向こうに、メリフェトスを監禁する狙いはないのだろう。だから、自由になるのは容易だった。
おそらく相手の狙いはアリギュラ。彼女をここに誘き寄せるために、メリフェトスを連れてきた。さらには拘束せずとも、メリフェトスに逃げられない自信が相手にはあるらしい。
この世界で、それほどの力量を持った者といえば。
メリフェトスが立ち上がるのと同時に、全身が紫炎に包まれる。炎が晴れた時、メリフェトスの手には鋭い鉤爪がつき、白のローブの裾からは鋭く尖る尾が覗く。
アーク・ゴルドにいたとき、彼のトレードマークであった緑の鱗。それをうっすら額に浮かび上がらせた半魔の姿で、メリフェトスはカッと目を見開いた。
暗闇の奥から、紅蓮の炎を纏った無数の矢が突如出現し、弧を描いて降り注ぐ。素早く地を蹴ったメリフェトスは、滑るように駆けてそれらを交わす。そして、間髪入れずに地に手をつき、矢の飛んできた方向を見据えた。
途端、メリフェトスが手をついたところを起点に、大地に巨大な亀裂が走る。轟音を立てて迫っていく亀裂に、火の矢を放った何者かが飛びのく気配がある。
それこそメリフェトスの狙い通りだ。すかさず地を蹴って、相手が逃げ込んだ場所へと飛びかかる。素早く肉薄した彼は、鋭利な尻尾を振るって強烈な一撃を相手に叩き込んだ。
手応えはあった。けれども、すんでのところで受け止められたようだ。すぐに尻尾を引いたメリフェトスは、ニ撃、三撃と続けざまに闇の中に撃ち込む。
けれども突如、ぶわりと魔力が膨らむ気配があった。とっさに体を捻ると、今しがた彼が避けた空間を禍々しい光の矢が駆け抜けた。
「っ、ちっ!」
なんてパワーだ。空気を焼き尽くす熱に、メリフェトスは舌打ちした。獲物を仕留め損なった光の矢は、岩の壁へと当たり、その表面を赤く溶かす。もろにあたれば、とても無事では済まなかっただろう。
と、その時、暗がりの奥からゆっくりと手を叩く音が響いた。
「さすがだ。まさか、いまのを避けられるとはね。だてに、聖剣の預かり手に選ばれてはいないな」
いや、ちがうかと。何者かは暗闇の奥で、そう唇を吊り上げた。
「さすが魔王軍最高幹部、四天王のリーダーと言うべきかな」
「なにっ!?」
思わずメリフェトスは目を見開き、息を呑んだ。そのせいで一瞬反応が遅れた。ざらりと毛が逆立つ予感に、メリフェトスは大きく飛び退る。おかげで再び飛んできた矢の大半から逃れることが出来たが、ほんの数本、避け損ねた矢が頬や腕、足を掠めた。
強い魔力が込められているからだろう。傷の浅さに見合わず、鋭い激痛が腕や足に走る。それでもメリフェトスは顔を歪めるだけで、体制を整え持ち堪える。
負傷したのとは反対の手で傷口を押さえる。半魔の姿に変わっても、やはりベースは人間。アーク・ゴルドにいたときより、格段に身体が脆い。
そのことを実感しつつも、メリフェトスは悪魔の幹部らしい好戦的な笑みを浮かべた。
「まさか我が君よりほかに、この世界でその名を呼ぶ者がいるとはな」
傷を押さえる手に、紫炎を纏う。そうやって止血してから、メリフェトスは鋭い鉤爪を光らせ、ぱっと手で宙を払った。
「魔王軍四天王が長、西の天、メリフェトス! 我が王、アリギュラ様をお守りするため、この地に降りた!」
高い天井に、メリフェトスの声が響く。そうやって自ら名乗ってから、「して、」と彼は美しい切長の目を細めた。
「貴様は誰だ。戦の前の名乗りには、名乗りをもって答えるのが戦の作法。貴様もアーク・ゴルドから来たのなら、それぐらいは知っているはずだ」
――アーク・ゴルドの関係者。自分とアリギュラのほかに、そんなものがこの世界にいるのは初耳だ。しかし相手は、メリフェトスを魔王軍四天王のトップだと言い当てた。そんな発言が飛び出すあたり、相手もアーク・ゴルドから召喚されたとしか思えない。
すると、暗がりの奥からくつくつと笑い声が響いた。
「邪悪な魔族が、作法を語るとはね。だが、気に入ったよ。まさしく君の言う通りだ」
メリフェトスに照準を合わせていた魔力の波が消える。カツ、コツ、と、滑らかに磨かれた岩を打つ足音。徐々に近づいてくるそれに、メリフェトスはごくりと息を飲み込む。
薄闇に、背高の影が浮かぶ。最初に見えたのは、長いローブから覗く足。さらに前に進み出た事で、相手の全容が明らかになる。
ゆっくりと顔を上げたその者を見た時、メリフェトスは驚愕に目を見開いた。
「まさか。お前は――……!」
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