25 / 93
2章 霊憑きの髪飾り
7.
しおりを挟む今夜、春陽宮に二度目のお渡りがある。その報せは、たちまちのうちに天宮城を駆け巡った。
文官たちは事務作業の合間に、侍女たちは掃除洗濯の手を止めて、ひそひそと熱心に囁き合う。
「まさか、あの『血染めの皇帝』に寵妃が!」
「陛下は、お妃様にご執心とのことよ」
「さすがは香家のご息女だな」
「陛下はお妃様にどんなお顔を見せるのかしら。早く、お二方がご一緒のところを見てみたいわ……!」
(皆、かなりざわついているな)
身支度を整えてもらいつつ、紅焔は侍従長たちを分析した。皇帝である彼の耳に直接入ることはなくとも、なんとなく、皆の浮ついた空気というのは伝わるもの。面白いことに、皆に騒がれるのは存外やぶさかでもなかった。
(皇帝が後宮の唯一の妃と一夜を過ごすんだ。皆が感心を持つのも、当たり前と言えば当たり前だな)
ふむと頷き、紅焔は侍従たちにされるがままに、寝間衣に上衣を羽織る。そうして支度を終えた彼は、かつてと同じように、侍従長に照らされる足元を辿って春陽宮へと歩き始めた。
――皆の関心が不快でないのは、紅焔自身がそわそわとしているからだ。
(藍玉め。いつも澄ました顔のくせして、大胆なところもあるじゃないか)
今宵、ひとつ屋根の下で共に過ごそう。内容や目的がなんであれ、あれはそういうお誘いだった。
もちろん。紅焔と藍玉は正式な手続きを経た夫婦であり、一夜を共に過ごすのはまったく問題はない。
しかし。しかしだ。二人は皇帝と妃という特殊な立場であるうえ、初手にあんまりな言葉を彼女に投げつけたせいで、男女の艶っぽい駆け引きといったものが一切存在しない白い結婚となってしまった。しかも蘭玉は現状をこれっぽっちも気にしてない様子で、いつも飄々としている。
それが、突然お泊りのお誘いときた。彼女好みの霊憑きの贈り物が、なんとここまでの急速な雪解けを二人の間にもたらすことになろうとは。
(まあ、待て。相手はあの藍玉だ。俺を誘ったのも、言葉通りの意味だろう)
己の胸に手を当て、紅焔は心の中で自分を静かに戒める。
春陽宮に泊まるように勧めたのは、あくまで簪の霊がどのような姿をしているのか、一緒に確かめるためだ。そこに他意はなく、それ以上でもそれ以下でもない。
だとしても、今宵のお誘いは大きな変化だ。例えるならば、これっぽっちもなびかなかった気まぐれな猫が、ほんの少し撫でるのを許してくれたような感じ。謎多き藍玉を知るための、貴重な一歩となるだろう。
そう。これは、彼女を知るための重要なプロセスなのだ。紅焔が浮足だっているのは、その足掛かりが見えたことによるため。決して、藍玉から誘ってもらったのが素直に嬉しかったからなどという不純な理由ではない。決して。
そうこうしているうちに、あっという間に春陽宮に到着する。入口で待っていたのは日中にも顔を合わせたいつもの双子、玉と宗と呼ばれる二人だ。紅焔の顔を見ると、彼らはすぐに最深部にある藍玉の居室へと紅焔を通す。
引き戸を開いた先で、藍玉はいつかの夜のようにふわりと軽やかな寝衣を纏った姿で出迎えた。
「お待ちしておりました、旦那さま」
静かな微笑みを称えて、藍玉は鈴の音のような声で柔らかくそう紡ぐ。ふわりと花の香りが漂い、紅焔を少しばかり落ち着かない心地にさせた。
「……夕餉を共にできず悪かった。大分、待たせたんじゃないか?」
「こちらが急にお誘いしたことですから。時間を作っていただき、ありがとうございます」
にこりと正面から笑みを向けられ、紅焔は心の中で「うぐっ」と呻いた。
なぜだろう。もともと美しい娘だが、今日は一段と愛らしく見える。
(こういうとき、経験のなさが如実に響いてくるな)
思えば自分は、色恋とは無縁の武骨な人生を歩んできた。今でこそ皇帝などという立場に座っているが、元は武家の次男坊だ。幼い頃から剣や戦術の勉強に明け暮れ、ある程度年を重ねてからは戦場を駆け巡る日々。精悍に整った容姿で目を惹いてきた彼だが、その青春時代は華やかさとは無縁だった。
(いざ皇帝となってからも、国を治めることに手一杯で女どころではなかったからな……)
とはいえ、自分は藍玉より五つも歳上だ。そろそろ大人の男として、彼女には余裕ある姿を見せたい。
こほんと咳払いをして、紅焔は控えめに切り出した。
「その、なんだ。かねてから君とは、じっくりと話したいと思っていた。せっかくの夜だ。夕餉は共にできなかったが、少しばかり酒でも飲みながら………って、おいぃ!?」
藍玉がいそいそと寝床に潜り込もうとしているのを見て、さすがの紅焔も叫ばざるをえなかった。藍玉はちょこんと寝台の半分におさまると、空いている部分をぽんぽんと叩いた。
「ささ、旦那さま。さっさと寝て、簪の霊の正体を暴きに参りましょう」
「ああ、うん。だから、その前に少し話を……」
「先日と同じく、旦那さまが右側でよろしかったですか? そうそう。今宵は満月で明るいですから、寝付けないといけないので市井で流行りの『あいますく』なるものを用意しました。旦那さまもどうぞ」
「……ありがとう?」
中に豆でも入っているのか。ほどよく重みのあるそれ――悔しいことに、目に乗せて寝たら気持ちよさそうだ――を、紅焔は微妙な顔で見つめる。
そんな夫の様子もなんのその、藍玉は手際よく『あいますく』の紐を後頭部で結ぶと、嬉しそうに手を上げた。
「では、旦那さま。おやすみなさいませ!」
そう宣言するやいなや、藍玉はスヤっと眠りに入る。ぽかんと置いてきぼりをくらった紅焔の後ろで、双子の従者がくすくすと笑いを噛み殺す。
「哀れ!」
「不憫!」
「お前ら、聞こえてるからな!?」
そう怒ったところで、藍玉が目を覚ますわけでもなく。仕方なく紅焔は、言われた通り寝床に入り、『あいますく』をつける。双子たちが退出する気配があり、寝室には完全な静寂が訪れた。
0
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
彼女にも愛する人がいた
まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。
「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」
そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。
餓死だと? この王宮で?
彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。
俺の背中を嫌な汗が流れた。
では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…?
そんな馬鹿な…。信じられなかった。
だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。
「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。
彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。
俺はその報告に愕然とした。
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。
愛する夫が目の前で別の女性と恋に落ちました。
ましゅぺちーの
恋愛
伯爵令嬢のアンジェは公爵家の嫡男であるアランに嫁いだ。
子はなかなかできなかったが、それでも仲の良い夫婦だった。
――彼女が現れるまでは。
二人が結婚して五年を迎えた記念パーティーでアランは若く美しい令嬢と恋に落ちてしまう。
それからアランは変わり、何かと彼女のことを優先するようになり……
旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~
榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。
ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。
別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら?
ー全50話ー
【完結】どうか私を思い出さないで
miniko
恋愛
コーデリアとアルバートは相思相愛の婚約者同士だった。
一年後には学園を卒業し、正式に婚姻を結ぶはずだったのだが……。
ある事件が原因で、二人を取り巻く状況が大きく変化してしまう。
コーデリアはアルバートの足手まといになりたくなくて、身を切る思いで別れを決意した。
「貴方に触れるのは、きっとこれが最後になるのね」
それなのに、運命は二人を再び引き寄せる。
「たとえ記憶を失ったとしても、きっと僕は、何度でも君に恋をする」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる