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2章 霊憑きの髪飾り
11.
しおりを挟む“おそろしいことね。城の外では連日、食糧を求めて大きな暴動が起きてるそうよ。お父さまは後宮を出て帰ってこいと仰るけど、とんでもないわ。あなたたちを置いて、私だけが安全なところに逃げるなんてできるもんですか“
“大丈夫。いざという時は、私があなたたちを守ってあげる。ええ、へっちゃらよ。秋陽妃様にも、私は力持ちって褒めてもらったんだから”
ジャリと、足の裏で砂が鳴る。なにか焦りのようなものが、胸に迫る。
“早く、早く! こっちよ! 足を止めてはダメ。さあ、走って!”
恐怖に駆られ、懸命に地面を蹴る音がする。何が起きているのかわからず、二人の少女は半泣きだ。二人が怯えて足を止めてしまわないように、若い侍女は必死に少女たちを急かす。
“ここにはまだ、暴徒は来ていないわ。中庭を抜けて、それから塀を越えるの。大丈夫! みんなで逃げるのよ!”
誰かの怒鳴り声。重い鉄がぶつかる音色。遠くで焼き物が割れる音。誰かが泣き叫ぶ声。
全部、全部、全部。彼女を追い立てるように背後に迫る。足の力が抜けてしまいそうなほど恐ろしいのに、目の前を走る小さな背中を見捨てることなんか出来ない。
ついに暴徒らが追いついたとき、彼女は幼い少女たちを必死に背中で庇った。
“お願い! この子たちはあなたたちと同じ! ここでしか生きる場所がなくて、ここで必死に生きていただけ。どうかこの子たちだけは……!”
「旦那さま!」
「はっ……」
パシリと手首を掴まれ、紅焔はようやく息ができた。背中からどっと汗が噴き出し、心臓が激しく胸を叩くのを感じた。
二人の少女の幻は消え、自分と藍玉、そしてボロボロの衣をまとう顔の見えない侍女の霊だけがここにいる。
焦燥に駆られて、紅焔は侍女の隣にある井戸を指差した。
「手を離してくれ、藍玉。中にあの子たちがいるんだ」
「いけません、旦那さま。この手は決して離しません」
「早く出してやらなければ。あんな寒くて暗いところから、早く二人を……!」
「彼女たちを救えるのは、現実の世界でだけです!」
普段の彼女からは想像がつかない鋭い声に、紅焔は息を呑んだ。途端、自分の中で暴れまわる誰かの――侍女の感情が、解けて消えるのを感じた。
(そうか。今のは、彼女の……)
空いているほうの手で、紅焔は顔の半分を覆う。指の隙間から見える侍女の霊は、現れたときからずっと変わらずに沈黙を貫いている。けれども今なら、重く垂れる髪の毛の奥で彼女がどんな表情をしているのか、なんとなく想像がついた。
紅焔が正気を取り戻したのを、藍玉も気づいたらしい。少しだけ表情を緩めた彼女は、それでも紅焔の手首を握る手を離すことはなく、凛とした声で侍女に語り掛けた。
「あなたの願いはわかりました。その願い、私たちが引き受けます」
侍女の霊は答えない。長い髪の奥で、じっと藍玉を見つめている。その眼差しを受け止めて、藍玉は力強く頷く。
「これまでつらかったでしょう。これまで、苦しかったでしょう。大丈夫。あなたの想いは、私たちに届きましたよ」
(あ……)
紅焔は心の中で声をあげた。ぼろぼろだった服から血と泥の汚れが一瞬で無くなり、幻の中で見たのと同じ、穏やかで優しそうな笑みを浮かべた侍女がそこに立っていたからだ。
徐々に体がうすくなっていく中、侍女は安心したように微笑み、口を開いた。
“アリ……ガト…………”
風に溶けて、侍女の姿が見えなくなる。
侍女のいた場所には、翡翠の髪飾りだけが落ちていた。
* * *
翌日、紅焔は永倫ら近衛武官を連れて、秋陽宮に向かった。
いまは使われていない秋陽宮に一体何の用があるというのか。近衛武官たちが訝しむ中、紅焔はすぐに、目当てのものを見つけた。夢の中で見たのとまったく同じ位置に、古井戸は存在していた。
誤って人が落ちたりしないためだろう。古井戸の口は、厳重に木で打ち付けらえて塞がれている。
その中から――暗く湿った古井戸の底から子供のものと思われる二人分の骨が見つかったのは、同日の夕刻のことだった。
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