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2章 霊憑きの髪飾り
13.
しおりを挟むそれを聞いた藍玉が変な顔をした。
李流焔が天宮城を落とした頃、紅焔はまだ年端もいかない子供だった。彼が乱世を駆けるようになるのは十年も先のことで、少なくとも天宮城で命を落とした者たちに対して、紅焔に直接的な関係はない。
しかし紅焔は、ほのかに湯気を立てる茶を眺めながら、ゆっくりと首を振った。
「確かに、俺には過去に命を落とした者たちの運命を変えてやる力はない。しかし俺は皇帝だ。今やこれからを生きる者たちへの責任が、俺にはある」
真に平らかな世を創る。そう夢物語を何度も口にした父の中にも、きっと同じ思いがあったのだろう。
飢えの苦しみが、親しい者を喪った悲しみが、明日にも死ぬかもしれないという恐怖が、普通の人間を修羅に変える。そういう地獄を、戦場で何度も見た。
同じ悲劇が繰り返されないように――人間が人間として、隣人を慈しむことができるように。そういう世を創る義務が、紅炎にはある。
「過去に囚われ、進む道の正しさに縋りつくことはもうしない。だからこそ純粋に、シンプルに、今の俺は己の成すべきことがわかる。……彼女のことは、俺に初心を思い出させてくれた。そういう巡り合わせだったんだ」
切れ長の目を伏せ、紅焔はかつてこの城で生きた者たちに思いを馳せた。藍玉はそんな夫をしばし珍しい生き物を見るような顔で眺めていたが、しばらくしてから得心したように頷いた。
「なるほど。旦那さま、クソ真面目ですね」
「クソとか言うな。年頃の娘が」
「真面目ついでに、今のはジジ臭いです」
「悪かったな。どうせ俺は、面白みの欠けたつまらない男だよ」
口をへの字にして、紅焔は不貞腐れた。
コウ様は真面目すぎると、従者だった頃の永倫に何度も言われた。紅焔にもその自覚はある。そんなことだから、自らを呪う生霊なんかを生み出してしまうのだ。
しかし藍玉は、飄々と肩をすくめた。
「つまらない男だなんてとんでもない。むしろ私は、いまこの瞬間に初めて、旦那さまを好ましい夫と感じました」
ちょうど茶を飲もうとしていた紅焔は、思いきり咽せてしまった。気管に入ってしまった茶をゴホゴホと吐き出してから、涼しい顔で菓子をつまむ藍玉を紅焔は睨んだ。
「お前、さては俺を揶揄って遊んでいるな?」
「いいえ。これっぽっちも」
「正直に言ってみろ。いまなら怒らないから」
「すみません。ちょっとだけ遊びました」
藍玉はそう言って、ペロリと赤い舌を覗かせる。その表情が思いのほか愛らしく、紅焔は本当に文句を引っ込めるしかなくなる。
むすりと紅焔の眉間のシワが濃くなる中、向かいに座る藍玉は、風に揺れる髪を押さえながら微笑んだ。
「けれど、ウソも言っていませんよ。――あなたは良い方です。皇帝などにしておくのが、もったいないくらいに」
「それは……」
どういう意味かと聞こうとして、すぐに思い直して口をつぐんだ。どうせ彼女は答えない。月が満ち欠けするように、少し近づいたと思ったら離れていく。藍玉はそういう娘だ。
(今日はこの辺りが引き際か)
残りの茶を飲み干して、紅焔は席を立つ。そのまま立ち去ろうとした時、思わぬ一言が彼を引き留めた。
「そういえば、私と話をしたいと仰っていましたね」
「……は?」
動きを止めて、紅焔は藍玉を振り返る。彼女はいつもと同じ感情の読めない澄んだ薄水色の眼差しで、艶やかな黒髪の下からじっとこちらを見つめていた。
ぽかんと紅焔が瞬きをすると、藍玉は長い睫毛を震わせてそっと目を伏せた。
「すでに気が済んだのなら良いのです。ただ、旦那さまが春陽宮に泊まった夜に、そんなことを仰っていたのを思い出しまして」
「おま! あの夜、俺の声が聞こえてたのか!?」
「ええ、まあ。早く霊の正体を突きとめたかったので、聞き流しておりましたが」
「聞き流すな。仮にも皇帝の言葉を!」
本当になんて妃だ。頭を抱える紅焔を再び見上げて、藍玉は形の良い唇を開く。
「……ただ、今回は。旦那さまのおかげで、あの侍女の魂を早く、未練から解放してやることができました。そのお礼に、なんでもひとつ、あなたの質問に答えましょう」
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