脳内殺人

ふくまめ

文字の大きさ
17 / 22

陰れ、太陽⑤

しおりを挟む
ドアをくぐると、いつものオフィス。
そこに立っていたのは、想像した通り、中村だった。

「あぁ、菓子!待ってたよ。」
「…そう。」
「聞いてくれよ、俺もうすぐ父親になるんだ!」
「…。」

これは、かつての記憶。現在の中村は黒髪の短髪だが、今目の前にいる中村の髪は少し赤みがかっている。就職してすぐはもっと明るい髪色をしていたのだが、この髪色について早々に大久保さんに怒られたのだ。それでも本人にこだわりがあったのか、なかなか黒髪には戻さず、徐々に暗めの髪色に移行するという抵抗を見せていた。この様子がなぜか『可愛らしい』と大久保さんのツボに入り、お気に入りを果たしたというエピソードがある。まぁ、本人の性格によるところが一番だとは思うけど。
初対面であっても、ニコニコとした屈託のない笑顔にやられてしまうのだ。

「俺、父親になるのが夢だったんだ…!幸せな家庭っていうかさ、そういうのに憧れがあるっていうか!彼女から話があるって聞かされた時、本当に幸せだって思ったよ!」
「…うん。」
「俺もう死んでも後悔ないよ!いやでも大事なのはこれからだよな。家族を幸せにするために、俺頑張るよ!」
「うん、頑張れ。」
「仕事も家庭も、俺絶対手を抜かない!両立させて見せる!」
「…。」

まだ見ぬ我が子や未来に思いを馳せ、笑顔で今後を語る中村の姿が徐々に薄くなる。すっかり見えなくなってしまった後、私の視線は中村のデスクへと移る。
そこには黒髪の中村が座っていた。

「あぁ、菓子。待ってたよ!」
「…うん。」
「俺育休取ることにしたんだ。だから佐々木さんのこととか、ここ頼むな。」
「…大げさだよ。」
「いや、頼めるのはお前しかいない!信頼できるのは菓子だけだ。」
「…。」
「必ず戻って来るからな!」

奴の笑顔は、スマホに映る奥様とご息女に向けられている。そういえば買い物を頼まれているんだったと、手近な紙にリストを書き出している中村の姿が薄くなる。
すっかり見えなくなり、次に奴が現れたのは安田のデスクの脇。

「あぁ、菓子…。待ってたよ。」
「…うん。」
「なぁ、菓子はどう思う?俺、何か間違ったこと言ってるか?育休取って家事育児に参加するのも、時短勤務をして家族を支えるのも、権利として守られるべきじゃないのかよ…!」
「…難しいよね。」
「難しい?ただ上の連中の頭が固いってだけだろ。どうせそのくらいの世代の人って、自分が家庭を奥さんに任せっきりにして、自分は仕事だけしてれば十分貢献してるって勘違いしてたやつらなんだよ!」
「そうかもしれない。…でも、少なくとも男性である中村が育休を取れて、復帰も無事にできてる。」
「それが何?今時当たり前のことでしょ。」
「…当たり前って、何も努力しないでできることばかりじゃないよ。」
「は?」

誰もいない安田のデスクに向かってイラついたように言葉を吐き出す。
そこにトレードマークともいえる笑顔は、ない。

「中村、みんな中村が育休でいない間、フォローしあってきたよ。佐々木…高橋だってそう。先輩幸せそうでいいな、私協力しますって仕事振り分けても嫌な顔しなかった。…自分もプライベートあっただろうに。」
「だから、それは当然の権利であって…。」
「中村が育休を取ること自体はね。もちろん使ってくれていい。でも、それは誰の協力もなしに成り立つことじゃないよ。中村が元々請け負っていた仕事が、急に消えるわけじゃないんだし。」
「だから、それは…。」
「中村も言ってたじゃん、頼める人は選んでるって。家庭を持ってない奴は暇人だろうから、仕事する余裕あるだろってことでしょ?そう思って、今も私に仕事渡すんでしょ?」
「…。」
「別に、間違いじゃないよ。予定とかないし。でもそれは私に限っては、なんだよね。あくまで私は時間の融通が利くってだけで、他の人たちがどんな生活送ってるか分からないでしょ。一人暮らしの人でも、もしかしたら親が入院して大変なのかもしれない。結婚している人でも、周りのサポートや理解があって仕事に力を入れたいと思っているかもしれない。…それは『結婚しているかどうか』『子供がいるかどうか』だけじゃ分からないと思う。」
「…。」
「まぁ少なくとも、『独身一人暮らし』は、何かと駆り出されるうえで第一候補になりやすい。リスクがあまりないのはそうだし。…でも、疲れることは、あるよ。」

私も、何も予定がないとしても、ぼんやりしたいとかのんびりしたいとか、そんな風に思うことはある。私よりも忙しい人はいるだろう。自分の時間がまったくと言っていいほど取れないという人も、いるだろう。
だけど、その人たちのために私の時間をどこまでも削り続けるというのは、無理だ。そう思ってしまう私は、心が狭いのだろうか。

「できるだけの協力はする。これからの社会を考えたら、中村みたいな、家庭と両立して仕事する人の方が絶対ありがたい。社会的な貢献度や生産性もあるって思う。…私みたいな人間は、そうはなれないから、仕事多くするぐらいでしか貢献できないだろって言われるようになるんだと思う。悪い意味で『お一人様』って。でも、私の時間を使うことだけで中村の理想を達成しようとしないで。」
「…。」
「今すぐは無理でも、上手く回るようにシステムはできてくるよ。…中村の希望にしてみたら、物足りないかもしれないけど。急には変えられないこともたくさんある、でもきっと変わるよ。焦らないでほしい。」

少しずつ、中村の姿は黒くなっていく。まるで夕暮れ時に影が濃くなるように。
最後に見えた中村の表情は、残念そうに歪んで、空気に溶けた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結短編】ある公爵令嬢の結婚前日

のま
ファンタジー
クラリスはもうすぐ結婚式を控えた公爵令嬢。 ある日から人生が変わっていったことを思い出しながら自宅での最後のお茶会を楽しむ。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

「お前を愛する事はない」を信じたので

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」 お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

公爵令嬢は結婚式当日に死んだ

白雲八鈴
恋愛
 今日はとある公爵令嬢の結婚式だ。幸せいっぱいの公爵令嬢の前に婚約者のレイモンドが現れる。 「今日の結婚式は俺と番であるナタリーの結婚式に変更だ!そのドレスをナタリーに渡せ!」  突然のことに公爵令嬢は何を言われたのか理解できなかった。いや、したくなかった。 婚約者のレイモンドは番という運命に出逢ってしまったという。  そして、真っ白な花嫁衣装を脱がされ、そのドレスは番だという女性に着させられる。周りの者達はめでたいと大喜びだ。  その場所に居ることが出来ず公爵令嬢は外に飛び出し……  生まれ変わった令嬢は復讐を誓ったのだった。  婚約者とその番という女性に 『一発ぐらい思いっきり殴ってもいいですわね?』 そして、つがいという者に囚われた者の存在が現れる。 *タグ注意 *不快であれば閉じてください。

近すぎて見えない物

あんど もあ
ファンタジー
エルリック王子と一夜を共にした男爵令嬢。エルリックの婚約者シルビアが、優しく彼女に言った一言とは。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

処理中です...