されど御曹司は愛を知る

雪華

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◇第3章 付かず離れず◇

今日は飲もう①

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「久我さんはまだかかるから、後で合流するって。ちょっと歩くけど、そんなに遠くないよ」

 吉田の案内通り、会社を出て十分もしないうちに店が見えてきた。路地を挟んだ向かいには、大きな複合オフィスビルがそびえ立つ。都会の真ん中に急に現れた一軒家の居酒屋は、まるで映画のセットのようだった。店先にはビールケースが乱雑に積み上げられている。

 居酒屋と言っても場所柄、小洒落たダイニングバーのようなものを想像していた玲旺は、入り口に掛けられた縄の暖簾を珍しそうに眺めた。吉田が店の引き戸を開けたので、その後に続く。

「わぁ……」

 店内に入って玲旺は思わず感嘆の声をあげた。壁も天井も剥き出しの梁も、経年の味わいを感じさせる見事な飴色だ。作り物のアンティークにはない迫力に圧倒される。
 店内はそれ程広くなく、十席あるかないかのカウンターと、テーブル席がいくつかある程度だった。

 物珍しさにキョロキョロしながら、壁際の空いている席へ進んだ。シンプルな木のテーブルに、背もたれのない四角い椅子。壁一面を埋め尽くす酒瓶と、木札のメニュー。どれもこれも初めてなのに、なぜか落ち着く。

「ここは日本酒と焼酎の種類が豊富なんだけど、レモンサワーも絶品なんだよ。久我さん待たずに先に乾杯しちゃおうか」

 玲旺はメニュー表を見てもさっぱりわからなかったので、吉田が適当に見繕ってオーダーしてくれた。鈴木は終始ご機嫌で、振り子のように体を左右に揺らしている。

 直ぐに運ばれてきたレモンサワーのグラスには、分厚い輪切りのレモンがゴロゴロ入っていた。その上、更に半分にカットされたレモンと果汁絞り器まで付いてきて、玲旺は目を輝かせる。

「桐ケ谷くんの分も絞ろうか?」
「ううん、自分でやってみたい」

 凄い、凄いと興奮しながら、玲旺は自分のレモンサワーを完成させた。三人揃って「乾杯!」とグラスをぶつけ合う。

「なにこれ、凄く美味い!」
「でしょう? シロップは自家製なんだよ」

 鈴木が自分の手柄のように得意気になるので、玲旺は思わず吹き出した。甘過ぎずスッキリした味わいは、飽きずに何杯でも飲めそうだ。そうこうしているうちに、テーブルに次々と料理が運ばれてくる。
 だし巻き卵に焼きたらこ、大根おろしの添えられた、アジの干物とゆで卵。

「はい、これ桐ケ谷くんの分」

 殻が付いたままのゆで卵を手渡されて戸惑った。これをどうしていいのかわからない。

「半熟で美味しいんだよ。塩を付けて食べるの」

 殻を剥くのも初めてで、手掴みでそのまま噛り付くと、塩を付けただけなのにとんでもなく美味かった。焼きたらこもアジの干物も「これを店に出すのか?」と思うような色気のない見た目に反して美味い。
 カルチャーショックを受けながらレモンサワーで流し込むと、引き戸が開いて久我が現れた。店内を軽く見まわし、すぐにこちらに気付いて玲旺の隣に腰掛ける。

「お待たせ。うわ、桐ケ谷がいるのにこのメニューは攻めすぎじゃない?」
「いやあ、良いリアクションしてくれるから、ついつい」

 吉田が頭を掻く。
 冷酒を注文した久我が大人に見えて、ときめいた後に少し寂しくなった。
 どれだけ焦がれても、きっとこの想いは受け入れてもらえない。レモンサワーのグラスに伝う水滴を眺めながら、そっと息を吐く。

「桐ケ谷は居酒屋に一度も来たことが無かったの?」

 その問いかけに、意識を目の前のグラスから久我に戻した。

「十歳からずっとイギリスにいたので、日本での経験値は低いかもしれません。連れだって遊び歩くような友達もいませんでしたし」

 人との係わり方に問題があったので自業自得なのだが、少し不憫な自分が笑えた。一瞬眉根を寄せた吉田が、空気を変えるために新しい話題を振ってくれる。

「そう言えば、報告書見たよ! 桜華大の『優秀な生徒には特注のベスト』って良い案だよね」
「ああ、あれは桐ケ谷じゃなきゃ思い付かないよな。緑川さんも喜んでいたろ?」

 玲旺は少し目を伏せ「ええ、まぁ」と曖昧に頷いた。いつまでも営業部に居られないと言う緑川の言葉を思い出すと、気が沈んでいく。

「なんか、今日の桐ケ谷元気ないなぁ」
「きっと、今までの疲れが出たんですよ。だから、今日は桐ケ谷くんの慰労会です」

 鈴木が笑顔で頷きながら、追加オーダーするために店員を呼んだ。玲旺は久我の表情を横目で見ながら、「実は」と口を開く。

「一週間後に見合いがあって、少し気が重いんです」

 久我の眉がわずかに上がったが、表情の変化はそれだけだった。

「へぇ、見合い? 嫌なら断ればいいのに」
「そうもいきませんよ」

 もう少し驚いてくれてもいいのに、と思いながら玲旺はグラスを空にした。
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