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第一章

ヴィッターガッハ伯爵家当主(2)

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 暖かい暖炉が燃える部屋で、私たちは最高級のワインでもてなされて良い気分になっていた。レティシアとケネス王子は互いに並んでソファに座り、じっと潤んだ瞳で互いに見つめあっている。

「せっかくですから今晩は我が屋敷にお泊まりください。みなさんをもてなすことができて私も非常に嬉しいのです」
「それはそれは、非常にありがたいお話です。これからどこにいくかを皆で決めるので、目的地が定まらないうちにお暇するのはこちらも避けたいところです」

 当主の申し出は、最高級ワインで少し酔った私たちには非常に嬉しい申し出に思えた。

「すぐに湯も準備しましょう。寝室はもう準備ができていますので、まずはみなさんをそちらにご案内しましょう。騎士や侍女の皆さんの寝室も準備が整っていますよ」

 ヴィッターガッハ伯爵家は来客に慣れているようだ。手際よく全員分の寝室が整えられ、気持ちよく迎え入れられていることを感じた。

 窓の外を見ると、城壁の向こうに広がる葡萄畑で多くの農夫たちがまだ働いていて、美しい夕日を背に彼らが切り落とした枝を集めている様子がわかった。静かで牧歌的な光景で、ここ数日命が狙われている状況が続いた私たちにとっては心が落ち着く光景だった。

 贅沢な寝室が3つ用意されていて、ラファエルと私は同室だった。

 さらにケネス王子、ラファエル、レティシア、私と、それぞれ別々に湯の張られた湯おけが用意された部屋が4つも用意されていると聞かされた。贅沢な寝室で私とラファエルがくつろいでいると、ジュリアとベアトリスが浴室の用意ができたと呼びにきてくれた。

 ケネス王子とレティシアはそれぞれ別々の寝室でくつろいでいる様子だった。

 私が湯船に入ると、ジュリアを屋敷の誰かが呼びにきて、私一人だけ湯船の中に残された。ただ、私は暖かい湯のあまりの気持ちよさに、ほっとしていて、一人にされたことを特に何も考えていなかった。

 ――美味しいワインを頂いて少し酔いがまだ残った状態で湯に入ってしまったわ。気をつけないと……

 そう思った私はふと誰かの気配を感じたような気がして、横を向いた。それまで気づいていなかったけれども、浴室の扉はもう一つあるようだった。そのもう一つの扉は小さく開いていた。

 ――えっ!?あの扉の向こうはどこに繋がっているのかしら?ジュリアが戻ってきたら閉めるようにお願いしなくては。

 私は慌てて湯から体を起こして、立ち上がった。一糸纏わぬ状態だ。湯船の淵に、先ほどジュリアがキビキビとした様子で体をふくための布を置いてくれていた。急いでその布を纏おうとしたとき、私は微かに誰かの息の気配を感じた。

 豊かな胸に申し訳ない程度に布を当てたまま、私はぎょっとして振り向いた。確かに、荒い息遣いを聞いた気がしたのだ。

 そこにはヴィッターガッハ伯爵家当主が仁王立ちしていた。

「えぇっ!」
 
 私は驚きのあまりに声が出なかった。

「ここは私の浴室なのですが、あなたはどうしてこちらへ?」

 ヴィッターガッハ伯爵家当主は、私が気づいてからは、私の裸をジロジロ見ることはしなかった。その前はどうだか知らないけれども。

 彼は一体いつから浴室にいたのだろう?もしや、最初から?

「ご……ごめんなさいっ私の侍女が間違えたようです」

 私は必死で湯船から出て、そのまま布で体を覆おうとした。ヴィッターガッハ伯爵家当主はつかつかと私のすぐそばまでやってきて、私が恐怖におののいていると、別の大きな布で私の体を包んでくれた。その時、肌に微かに彼の手が当たったように思うのだけれど、それはきっと偶然なのだろう。

「すまない。屋敷の者の伝え方が悪かったようだ。私は出ていくから、あなたは冷えなようにしっかり温まってから出てください。私は別の客人用の湯船を今日は使うから大丈夫ですから」

 ヴィッターガッハ伯爵家当主は紳士的な態度でそう告げると、素早く部屋を出て行った。

 私は恥ずかしさで泣きたい気分だった。もう湯に浸かる気分は失せていた。そのまま体の湯を布で拭き、ジュリアが用意してくれていた、洗濯された服を着た。今晩できることなら少しだけ洗いたいものがあったのだけれども、それはラファエルに対して用意された浴室を使おう。そして洗ったものを暖炉の前で乾かそうと私は思った。

 ジュリアとベアトリスにもそう伝えようと考えて、私は一人で服を着て浴室から出た。浴室から出ると、ジュリアが必死に走るように廊下の向こうからやってくるのが見えた。

「ジュリア!」

「奥様、大変申し訳ございませんっ!私を呼びにきた屋敷の方が言うには、そこの浴室は当主の浴室なのだそうです。手違いがあったそうで、間違えて奥様をご案内してしまいました。早く言って欲しかったのですけれども、わざわざあんな遠いところまで連れ出してから伝えることではないと思うのですけれども」

 ジュリアは泣きそうな顔で大変申し訳ないと恐縮していた。

 ――ジュリアとベアトリスには何があったのか言わないでおこう。彼女は知らない方が良いわ。ラファエルにも言えない……

 私は唇を噛み締めてしまわないように気をつけながら、にっこりとジュリアに笑って見せた。

「大丈夫よ。何もなかったわ」

 私はそう伝えて、涙を流して後悔し始めたジュリアを優しく宥めて、寝室に向かった。

 ――私たちはこの屋敷を早く出たほうがいいわ。こんな間違いをするなんて……。ラファエルが戻ってきたら、ケネス王子とレティシアも呼んで、四人だけで次の行き先を王冠と宝石を使って一緒に決めましょう。

 私は心に決めて寝室に戻った。王冠と宝石はラファエルが肌身離さず浴室まで持っていったはずだ。騎士の4名が付き添っているから盗まれるようなことはないだろう。私の心には、ヴィッターガッハ伯爵家当主に対する不信感が芽生えていたのは事実だ。

 ――彼がストロベリーピンクの髪にこだわる理由がわからないわ。宝石に対する彼の反応も考えてみれば、私たちの中では違和感を感じたことの一つだったわ。

 ベルタの街で毒キノコを私たちに食べさせようとした者、ブロワの街で私たちを長弓で襲った者たち、大聖堂でレティシアに奇妙な反応を示した者、全員の雇い主はまだわかっていない。ブロワの街で私たちを襲った者たちは口を割らなかったため、エーリヒ城の城主が地元の騎士団に突き出したはずだった。

 白ワインの酔いはすっかり醒めて、私は暖炉の炎を見つめながら集中して考え込んでいた。ラファエルが寝室に戻ってきて、私の頬にキスをしたのはその時だった。



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