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1.求婚 ダメ。王子の魅力は破壊力があり過ぎ。抵抗は難易度高な模様。

06 生きるんだ!『俺のお妃候補』

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 わたしの心の中には、何も浮かばなかった。
 ただ、ひたすら助かるためには、車から脱出して飛び込まなければという思いでいっぱいだった。お金がない、生活が苦しい、未来が不安、そんなものは全て吹き飛んだ。

 ――生きるんだ、生きるんだ、生きるんだ!
 そういう心の叫びが身体中から溢れた。

「飛び出すよ!」
「車から出よう!」

 わたしとジョンはほぼ同時に叫び、車の扉を開けて扉の縁を思い切り蹴って飛び出した。全てがスローモーションだった。アドレナリン全開だ。空中で回転して綺麗なフォーメーションで(と自分では思った)川の深そうな場所に飛び込んだ。いきなり岩に叩きつけられたらたまらないから。

 そのまま激流に流された。必死でジョンが私のはかまの裾をつかんだ。わたしもジョンに手を伸ばしたが、虚しく届かなかった。そのままわたしたちは息をしたまま水中を流されて行った。

 川に翻弄され、自然の怖さに身がすくむ思いだった。今まで無事に生きてこれたのは奇跡だったのだと思い知った。なんで、わたしはこんなことに気づかなかったんだろう。祖母、祖父に守られていた。母にだって、あんな父にだって。

 長い間、私とジョンはひたすら激流の中をくるくる回りながら流され続け、ようやく流れが緩やかな岸の近くにたどり着いた。

 二人で顔を見合わせて、うなずき、思い切って水中から顔を出してみた。敵はいなそうだ。
 岸になんとか這い上がった。力が抜けて、ガタガタ体が震えた。無事だったことが不思議に思えた。ヒッピー姫が機転を効かせなければ、わたしもジョンも確実に死んでいただろう。

 わたしは岸にヘタリこんだまま、助かったことに呆然としながらもひたすら感謝した。

「助かった。こんな姿を見せられるのは、沙織しかいない。敵はさあー」
「今、敵の話は聞きたくないっ!って、なんで裸になっているの!?」
 
 わたしはジョンが敵の話をしようとするのを遮ろうと振り向いてのけぞった。ジョンは裸だった。正確には下着パンツ一枚だ。

 ーーん?なんでいきなりパンツ1枚なわけっ?

「脱いで絞らないと。びしょぬれだから。」
「わたしはー」
「いや、沙織は脱がなくていいから。」
「言われなくても脱ぎませんっ!」
「だよね。ふふっ。」

 ジョンは服を脱いで下着一枚になっていた。たくましい筋肉質の裸身だ。ぎゅうぎゅうに袴を絞り上げていた。そして、カバンからハンカチを取り出して、しぼって水を飛ばして鼻に詰めた。鼻血が出たらしい。裸同然で鼻にハンカチを詰めた姿だ。

 わたしは呆然とジョンの下着一枚の姿を眺めていた。

 ――輝くような筋肉をむき出しにした姿で鼻に詰め物をするジョンは、よっぽどわたしに気を許しているのかもしれない。だけどわたしまで服を脱ぐ気には全然なれない。

 そのときだ。急に空から一匹のオオワシが舞い降りてきた。

 ――うわっ!

 わたしは力を振り絞って、たもとから杖を取り出して構えた。横を見ると、下着一枚のジョンはカバンから短剣を取りだして構えている。

 闘う気満々のずぶ濡れの女と、下着一枚の半裸の男。

「おお、助かっている!ってなんで君は裸なの?」
「濡れたから服を絞っていて。」
「さー」何かを言いかけた王子。
「私は脱ぎませんっ!」
「うん、だよね。わかっている。脱がないでいいいよ。」と王子。

 それは、オオワシからひらりと格好よく飛び降りた王子だった。

 王子は謁見えっけんした時の王子の服のまま急いでやってきたらしい。川辺の草むらには不釣り合いなきらびやかな衣装だった。

 なんの変哲もない草むらで向かい合ったわたしたちだが、髪の毛がべったり顔に張りついたずぶ濡れの女と、下着一枚でやはりずぶ濡れの男の前に立つ王子の姿は、なんとも場違いな感じが漂っていた。

「いやあ、狙われたって密報が入ってさ。『俺のお妃候補』が殺されるって連絡をつかんだから急いできたんだ。助かって本当に良かったよ。」
「ああ、ヒメですか。」
「そうそう、あいつは今は兄貴に逆らえないんだよ。だから兄貴の命令に従ったものの、最後の瞬間に助けるつもりだと。でも、最終的に助かるかわからないと連絡があった。」

 王子はほっとしたように言った。笑顔をわたしとジョンに向けて説明した。

 ――ヒメも大変だ
 ――だって、貴和豪のおうちは、お父さんがいきなり死んで兄貴が家督かとくを継いだ。ヒメとはことごとくウマが合わない兄貴だったはずだ。姫も苦労している。

「今、俺のお妃候補と仰りましたよね。」
「ああ、言った。」
「なし崩し的にお妃候補でいいですかね?」
「なし崩し的にお妃候補でいいですよ。」

 そこ食いつかないでよというところにジョンはやっぱり食いついて、王子もすました声で答えて相槌を打っている。若干、二人にウキウキした様子がうかがるような気がするのは気のせいですか。

 ―― なし崩し的にとか本当にひどい言い草。一生二人でやっていてください。 わたしは知りません。求婚はもっとロマンティックじゃないと。ってなんで、ロマンティックな求婚をわたしは求めてるんですかっ。

 わたしはともかくにもずぶ濡れの状態をなんとかしようと考えて、あたりを見渡した。お腹がすいたし、歩いて帰るうちになんとか服は乾くだろうかとぼんやり思った。そして土手を登ろうと歩き始めた。わたしがくるっと向きを変えて土手を登り始めたのを見て、王子は慌てて声をかけた。
 
「ちょっと待って、沙織。俺が送るから!」
「いいの。お妃候補なんて冗談じゃないから。」(ほーら、ツンデレ)
「まじかっ!」

 わたしはずぶ濡れのまま歩き始めた。ブーツの中までぐちょぐちょに濡れていて、歩くと変な音が出た。
 助かっただけまし。わたしはそう思った。奉行所まで歩こうと思った。

 お金はない。びしょびしょに濡れてはいるけれど、とうてい新しい服など買えない。とにかくお腹に何かを入れて、気力と体内エネルギーを回復せねば。それしか考えられなかった。
 王子は追ってきた。わたしはそのまま無視して土手を登りきった。とにかく奉行所だ。

 ―― 職場に置いてきた、今朝自分で握ったおにぎりと、昨晩自分で焼いたパン。ただのコーヒー。私の居場所は奉行所なのよ。

「沙織、待って!」

 ジョンは叫びながら、脱いでしぼった服をまた着ようと悪戦苦闘していた。下着一枚で土手を上がってきても、街中を歩けないもの。それは服を着ないとならない。だが、ジョンを待つ気力はなかった。わたしは歩き続けた。

 王子は土手を駆け上がってきて、わたしの背中に手をかけた。

 ――しつこいやつだ。本当にもう、放っておいてくれないかな。惨めでお腹が空いていて、王子とやり合う気力はないのだけれど。これ以上は、今の嬉しい気持ちのまま、今日は離れておきたい。

 王子は急いで助けに来てくれた。わたしはそれだけでほんのり嬉しかったのだ。
 その時、ゲーム召喚がやってきた。土手の緑色の草が広がっていた視界がゆがむ。

 ―よりにもよってこんなに疲れ切っている時に。ナディアってば勘弁してよ。

 そう思う間もなく、わたしは昔の地球に召喚された。
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