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3ー愛の着地

60 命がねらわれることになった理由

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 あの夏、1512年の夏のこと。
 わたしはガッシュクロース公爵夫人のオーストリアにある避暑地の城にいた。煌びやかなドレスの数々を夫人はわたしにあつらえてくれた。

 城の執事と夫人は黒の秘密結社の名前をわたしに教えた。

「マブリマギアルナアブロッシュ」

 慇懃いんぎんな表情をした執事は、その言葉を聞くと、一瞬で顔に緊張を走らせたものだ。

 シンデレラが降りてきそうな贅沢な作りの階段を公爵夫人が降りてきて、わたしに微笑みかける姿を今でも覚えている。わたしは多くの時間をガッシュクロース公爵夫人とともに過ごした。

「あなたは、わたしの娘のようなものよ。そのシルクのドレスは本当にあなたによく似合うわ。わたしの力で社交界にデビューさせてあげるわ」
「そんな。でもありがとうございます」

 当時の夫人の年齢は三十代だろうか。時々、鋭い一瞥いちべつをこちらに向けると、わたしを見極めるかのような表情を浮かべていた。わたしは裏切りものだった。しかし、夫人はわたしに王族の暗殺を託した。

 わたしはナディアとはぐれてしまったので、仕方なくそこの城に滞在していただけのものだ。確かにいろんな武術がわたしは使えた。身のすばしこさも桁違いだったと思う。さらに、知識も豊富だった。だからといって私が人を殺めて良いはずがない。

 王族の暗殺を決行する日、わたしは決行しなかったばかりか、彼らの邪魔をした。阻止したのだ。阻止したときに、不幸な偶然が重なり、公爵夫人の子息が怪我をしてしまった。

「カルロー!」

 夫人があげた悲鳴がわたしの耳にこびりついている。
 とっさに、そのままわたしは逃げ出した。公爵夫人の命でやってきた追っ手はしつこかった。

「沙織をひっとらえて来なさいっ!」


 運の良かったことに、わたしはナディアのゲーム解放を合図に元の世界に戻った。

 怪我をした子息は命が助からなかったのではないだろうか。だから夫人はわたしに激怒していたのではないだろうか。わたしは時々このことで胸が痛む。
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