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3ー愛の着地

73 沙織とフィーバー

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「王子に溺愛されて、このたび望まれて望まれて婚約の儀がつつがなく執り行われた沙織さま」
 
 今のわたしはの枕詞まくらことばはこれだ。王子から愛されて愛されてどうしても望まれて、といったニュアンスの形容詞がついて回って表現された。

 王家始まって以来の慶事であるような騒ぎっぷりだ。

 貧しい家の娘が王家に嫁ぐのだ。それなりの枕詞まくらことばは必要だし、ドラマティックな展開に国中が沸いた。
 
「こんな美しい奉行所勤めはそうそういませんからね。私は沙織さんはいつか幸運を引き寄せると思っていたわよ」
 
 二ノ宮さんはふふっと笑って、わたしを抱きしめて祝福してくれた。

 わたしの勤め先の奉行所は、役員を始め、蜂の巣をつついたような騒ぎだった。いきなりウルフ沙織フィーバーが起きたような印象だ。当のわたしは、結婚すれば奉行所の仕事を続けられないと説明されて意気消沈していた。

「考えてみてもごらんなさい。あなたにはもっと大きな仕事が待っているのよ。その仕事はあなたにしかできない。奉行所の仕事は後人にお譲りなさい。ほら田中くんとか、あなたの後輩は立派に育っているわよ」
 
「任せてくださいっ!沙織さん!」
 
 二ノ宮さんと田中くんにそう説得されて、「沙織さま」とかしづく洒落者の上司にも説得されて、わたしはまもなく奉行所を辞めることになった。

 街を歩けば盛大な祝福の声をあちこちから浴び、奉行所でもチヤホヤされ、忍歴のわたしは日常生活がこれまで通りには送れない状況になっていた。
 
「やっぱり美人はシンデレラガールでしたね。いやあ、俺の見立て通りに進んで嬉しい」
 
 ジョンも独特な表現で祝福してくれた。

 借金も返した。わたしの例のお金で返して少し残ったものの、婚約の儀の時に贈られたお支度金で綺麗に完済できた。幸子さんから、必ずそのお金で完済するようにとキツめに指示をされたのだ。
 
 父と母も泣いて喜んだ。亡くなった線香工場の社長だった祖父と、旅館の経営者だった祖母のお墓にも報告のお参りをした。父と母の住むための小さな小さな家もお支度金で準備できた。手続きは幸子さんからの密令を受けた弁護士が手伝ってくれた。

「こんなに人生甘くないわ」
 
 わたしがつぶやくと、鷹ホーに一緒に挨拶に行こうと並んで歩いていたジョンがささやいてきた。

「いやいや、王子に溺愛される沙織のことだ。これからも人生いろいろあるよ。結婚で上がりというわけでもないし、沙織にはそもそもやなければならないこともあるし」
 
 分かったようなことを言ってきた。

 鷹ホーは高級デパートで、貴和豪一族の持ち物だ。このたび、貴和豪のトップにはわたしの魔法寺小屋学校時代の同級生のヒメが就任した。ついに仲の悪い兄を追いやることにヒメは成功したらしい。

 鷹ホーの特別応接室に通されたジョンとわたしは、またまた素晴らしい振袖を着たヒメに迎え入れられた。
 
 ザンバラの髪を綺麗に結い上げた牡丹は見違えるほどだった。蒲公英(たんぽぽ)色を基調とした艶やかながらも優しい雰囲気の振袖に、漆黒の髪を華麗に結い上げた牡丹は、絵から抜け出て来たような素晴らしさだった。

「あんたのアドバイスに従って、髪を結ってみたわよ。」
 
 ヒメは所作までおしとやかになってわたしに言った。ザンバラの髪で仁王立ちしていたヒメからは想像もつかない。

「素敵よ。よく似合っている!」わたしは絶賛した。
「ありがとう」
 
 私の称賛にニンマリほくそ笑むところは変わっていなかったけれども。

「でね、来てもらったのは婚約のお祝いを渡すため。まさみももうすぐ来るからちょっと待っていて」

 ヒメがそう言い終わらないうちに、ドアがノックされてまさみが入ってきた。

「あら、ヒメの髪、とても素敵よ。似合っているわっ!」
 
 まさみも真っ先にヒメの綺麗に結い上げられた髪型を褒めた。

「でしょ、でしょ」ヒメはまたニンマリして笑った。

「沙織、婚約の儀が無事に終わっておめでとう!」

 私はヒメとまさみとジョンからお祝いの品をいただいた。中身は言えない。見たら鼻血が出そうなものが入っていた。

 ーーセクシーな何かだ、としか言えないわ!
 
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