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Chapter1 サイバネティック・オーガニズム
Chapter1-4 全てを救う、冴えたやり方
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ポスターは椅子に深く座り直す。
まるで呼びかけには応じないという意思の表れのようなその様子に、ミナは改めて正面から向き合う姿勢を取った。
目の前にいるこの男をリンクに呼び戻す。
その願いは本来の任務である立川ギルドへの挨拶と同じくらいに重要な事柄であるとミナは考えていただけに、はいそうですかと簡単に諦めるわけにはいかないのであって。
組織の浄化などその準備にかかった期間を考えれば、今回一番のミッションであるとも言える。
「……あなたが首を横に振るのは、まだリンクへの不信感が拭えないということ?」
ミナはまっすぐポスターの目を見つめて尋ねた。
「そういうことじゃない。
ミナ・レインデルスという人間のことはそれなりに知っているつもりだし、僕はその人物を信頼もしてる。
君が長官となった時点でリンクは正しく浄化が行われたのだと思うし、一度再始動したリンクが容易く以前の状態に戻ることはないのだろうとも、僕は思う」
「なら、どうして」
ミナは前のめりになってポスターに尋ねた。
引き下がらない彼女の様子に、ポスターは少し困ったような表情をした。
「リンクの外に出てわかったのは、僕達がこれまで取りこぼしてきたものの多さだ。
職員が常にフル稼働したとしてもなお、舞い込む依頼はその許容できる量を優に超える──必然的に優先度をつけなくてはならない」
「ええ、全ての人を同時に救うことはできないから」
淡々と語るポスターに、ミナやリンクという組織を責めるような空気は無い。
それはかつて内部にいた彼自身、リンクという組織がいくつかの汚職を抱えていなかったとしても常に限界を超えて稼働していたことを身をもって知っているからである。
またその言葉を受けたミナも現時点でのベストを尽くしている自負があるからだろうか、動じた様子の無い声で応えた。
リンクという組織は、あくまでも現状で確立されたインフラを維持するための組織である。
それはポスターが立場を変え再認識した見解であり、人々を繋ぎ止める役を一手に引き受けることの誇りと、同時に組織形態としての限界をまざまざと見せつけられるような複雑な思いを呼び起こすものであった。
理想と、現実と、諦観と、割り切り。
体を動かしながら、頭を働かせながら、リンクという組織に所属する者たちは自らの志とそこに決して至らぬ現実と常に向き合ってきた。
特にミナなどは、長官職に就く前も後もリンクという組織がフォローすることのできるエリア拡大や、任務消化率の向上に取り組んでいた。
組織浄化、肥大した承認構造のスリム化、職員のケア拡充による持続可能な組織行動力の獲得。
他の追随を許さない予算と補助金獲得のための握力から鬼とさえ形容される彼女をもってして、全ての人間を救うことはできないと言わせてしまうのだ。
そんな彼女を前にしてポスターは静かに口を開く。
「それでも、どうにかしたいんだよ。
僕は、今以上を目指すならきっとリンクとは違う基準で自由に動くことのできる”遊び”が必要なのだと思う」
「つまり、あなたがリンクの取りこぼしを全てフォローすると?」
「それも悪くないかもね」
「そんなの無理だとわかっているでしょう?」
「今までと同じような方法ならそうだろうね。
でもきっとうまいやり方が見つかるさ」
楽観的な答えにミナは思わず呆れたように肩を落とし、溜息をつく。
「そのうまいやり方が無いからこうして苦労しているんでしょう?」
「そうかな。
探す暇もないほど忙しかったんじゃないかと僕は思うけどね」
ポスターは肩をすくめるようにして答える。
それから彼は軽く辺りを見回した。
「それに、リンクを抜けてトレイズという立場になってわかったのは、何もリンクの事だけじゃない。
知っているかい?
トレイズギルドだって今を生きることに精一杯で、生存圏拡大に繋がらない部分の発掘や開拓はそれほど進められていないんだ」
「さあね。
トレイズギルドの事情は青葉までそれほど頻繁に届くわけじゃないから」
「つまり、あの<再起動>以降、我々人類の遺産は大部分が眠ったままというわけだよ」
そう言ったポスターの表情を見て、ミナは彼が言わんとすることを悟った。
「ロストテクノロジーで逆転勝利ってわけ?
……まったく、夢物語だわ」
「僕らがこの世界に勝つにはそれに縋るほかない」
笑みを浮かべるポスターを見て、思わずミナは宙を仰いだ。
彼女はポスターが冗談でこんなことを言っているわけではないことを理解していた。
「全てを救うことができない」という事実を苦しみながら認め、それを前提として身を削りながら理想と現実の乖離を縮小させていこうとするミナ・レインデルスという人間を前にして、ポスターという男は全てを分かった上で夢物語をぶつけてきたのだ。
まったく、どれだけ人の気持ちを袖にすれば気が済むのだろう?
そんなことを思う一方で、エマはポスターが口にした言葉の背景に、どれだけのものが積み重なっているかもわかっていた。
行政区青葉の会議室を主戦場とするエマと違い、この男の戦場は常に最前線の現場であった。
引き受けた依頼の全達成を前提とした上で、その効率を上げようとさらに努力を続けた人間が、理想に届かない現実を常に見せつけられ続ける。
報告書を基に理想との乖離を知るエマとは、また違う苦しみが彼に圧し掛かっていたことは想像するに難くない。
「あー…、あんたの復帰をアテにしてたプランが台無しだわ」
「申し訳ないっ!」
天井を仰ぎながら、両手で顔を覆う仕草をとりながらエマがぼやくように言った。
その様子にポスターも初めて深々と頭を下げる。
ややあってから、エマは再び顔をポスターの方に向けた。
「”わたしのかんがえたさいきょうのリンク”よりも、たくさんの人を助けられなかったら承知しないからね」
「ああ、期待してもらいたいね」
「あなたの目的も変わっていないわね?」
「もちろん」
「……ならいいわ。
もしかしたら、ギルド経由で仕事を依頼するかもしれないから、その時は引き受けてよね」
ミナはそう言うと、話すべきことを全て済ませたとばかりに椅子の背もたれに深く体を預ける。
カフェ小梅の壁に備え付けられた時計の針はだいぶ進んでいた。
すぐ隣にあるギルドからは、午後の窓口業務の開始を告げる鐘の音が鳴り響いた。
まるで呼びかけには応じないという意思の表れのようなその様子に、ミナは改めて正面から向き合う姿勢を取った。
目の前にいるこの男をリンクに呼び戻す。
その願いは本来の任務である立川ギルドへの挨拶と同じくらいに重要な事柄であるとミナは考えていただけに、はいそうですかと簡単に諦めるわけにはいかないのであって。
組織の浄化などその準備にかかった期間を考えれば、今回一番のミッションであるとも言える。
「……あなたが首を横に振るのは、まだリンクへの不信感が拭えないということ?」
ミナはまっすぐポスターの目を見つめて尋ねた。
「そういうことじゃない。
ミナ・レインデルスという人間のことはそれなりに知っているつもりだし、僕はその人物を信頼もしてる。
君が長官となった時点でリンクは正しく浄化が行われたのだと思うし、一度再始動したリンクが容易く以前の状態に戻ることはないのだろうとも、僕は思う」
「なら、どうして」
ミナは前のめりになってポスターに尋ねた。
引き下がらない彼女の様子に、ポスターは少し困ったような表情をした。
「リンクの外に出てわかったのは、僕達がこれまで取りこぼしてきたものの多さだ。
職員が常にフル稼働したとしてもなお、舞い込む依頼はその許容できる量を優に超える──必然的に優先度をつけなくてはならない」
「ええ、全ての人を同時に救うことはできないから」
淡々と語るポスターに、ミナやリンクという組織を責めるような空気は無い。
それはかつて内部にいた彼自身、リンクという組織がいくつかの汚職を抱えていなかったとしても常に限界を超えて稼働していたことを身をもって知っているからである。
またその言葉を受けたミナも現時点でのベストを尽くしている自負があるからだろうか、動じた様子の無い声で応えた。
リンクという組織は、あくまでも現状で確立されたインフラを維持するための組織である。
それはポスターが立場を変え再認識した見解であり、人々を繋ぎ止める役を一手に引き受けることの誇りと、同時に組織形態としての限界をまざまざと見せつけられるような複雑な思いを呼び起こすものであった。
理想と、現実と、諦観と、割り切り。
体を動かしながら、頭を働かせながら、リンクという組織に所属する者たちは自らの志とそこに決して至らぬ現実と常に向き合ってきた。
特にミナなどは、長官職に就く前も後もリンクという組織がフォローすることのできるエリア拡大や、任務消化率の向上に取り組んでいた。
組織浄化、肥大した承認構造のスリム化、職員のケア拡充による持続可能な組織行動力の獲得。
他の追随を許さない予算と補助金獲得のための握力から鬼とさえ形容される彼女をもってして、全ての人間を救うことはできないと言わせてしまうのだ。
そんな彼女を前にしてポスターは静かに口を開く。
「それでも、どうにかしたいんだよ。
僕は、今以上を目指すならきっとリンクとは違う基準で自由に動くことのできる”遊び”が必要なのだと思う」
「つまり、あなたがリンクの取りこぼしを全てフォローすると?」
「それも悪くないかもね」
「そんなの無理だとわかっているでしょう?」
「今までと同じような方法ならそうだろうね。
でもきっとうまいやり方が見つかるさ」
楽観的な答えにミナは思わず呆れたように肩を落とし、溜息をつく。
「そのうまいやり方が無いからこうして苦労しているんでしょう?」
「そうかな。
探す暇もないほど忙しかったんじゃないかと僕は思うけどね」
ポスターは肩をすくめるようにして答える。
それから彼は軽く辺りを見回した。
「それに、リンクを抜けてトレイズという立場になってわかったのは、何もリンクの事だけじゃない。
知っているかい?
トレイズギルドだって今を生きることに精一杯で、生存圏拡大に繋がらない部分の発掘や開拓はそれほど進められていないんだ」
「さあね。
トレイズギルドの事情は青葉までそれほど頻繁に届くわけじゃないから」
「つまり、あの<再起動>以降、我々人類の遺産は大部分が眠ったままというわけだよ」
そう言ったポスターの表情を見て、ミナは彼が言わんとすることを悟った。
「ロストテクノロジーで逆転勝利ってわけ?
……まったく、夢物語だわ」
「僕らがこの世界に勝つにはそれに縋るほかない」
笑みを浮かべるポスターを見て、思わずミナは宙を仰いだ。
彼女はポスターが冗談でこんなことを言っているわけではないことを理解していた。
「全てを救うことができない」という事実を苦しみながら認め、それを前提として身を削りながら理想と現実の乖離を縮小させていこうとするミナ・レインデルスという人間を前にして、ポスターという男は全てを分かった上で夢物語をぶつけてきたのだ。
まったく、どれだけ人の気持ちを袖にすれば気が済むのだろう?
そんなことを思う一方で、エマはポスターが口にした言葉の背景に、どれだけのものが積み重なっているかもわかっていた。
行政区青葉の会議室を主戦場とするエマと違い、この男の戦場は常に最前線の現場であった。
引き受けた依頼の全達成を前提とした上で、その効率を上げようとさらに努力を続けた人間が、理想に届かない現実を常に見せつけられ続ける。
報告書を基に理想との乖離を知るエマとは、また違う苦しみが彼に圧し掛かっていたことは想像するに難くない。
「あー…、あんたの復帰をアテにしてたプランが台無しだわ」
「申し訳ないっ!」
天井を仰ぎながら、両手で顔を覆う仕草をとりながらエマがぼやくように言った。
その様子にポスターも初めて深々と頭を下げる。
ややあってから、エマは再び顔をポスターの方に向けた。
「”わたしのかんがえたさいきょうのリンク”よりも、たくさんの人を助けられなかったら承知しないからね」
「ああ、期待してもらいたいね」
「あなたの目的も変わっていないわね?」
「もちろん」
「……ならいいわ。
もしかしたら、ギルド経由で仕事を依頼するかもしれないから、その時は引き受けてよね」
ミナはそう言うと、話すべきことを全て済ませたとばかりに椅子の背もたれに深く体を預ける。
カフェ小梅の壁に備え付けられた時計の針はだいぶ進んでいた。
すぐ隣にあるギルドからは、午後の窓口業務の開始を告げる鐘の音が鳴り響いた。
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