魔獣、往くべしREBOOT

石動天明

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序章 美少年

Part5 異常執着

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 涼子――

 特別に珍しい名前ではない。しかし龍一が知っていて、関係について問い質される涼子がいるとすれば、それは香崎涼子の事であろう。

 何故この志村という男は、自分に涼子との関係を訊くのか。
 それに関する答えを見付け出せないでいると、

「火だよ、火!」

 焦れた様子で、根元が龍一の尻を蹴り飛ばした。龍一はこれで、地面に四つん這いになってしまう。

 龍一は地面に投げられたライターを取ろうとして手が震え、灰皿代わりに使われていた空き缶を転がしてしまった。小さな口から、小さくなった吸い殻と、ほろほろと灰がこぼれ出す。

「あーあ、何やってんだよ。この愚図、さっさと片付けやがれ」

 呆れたように谷尾嶽尾が言った。
 龍一は慌てて吸い殻を拾い集めて、空き缶の中に戻した。

 そうして、自分に煙草の先を向けている志村に気付いて、ライターを掴み上げると二度、三度ばかりやって火を点け、差し出した。

 煙草に火が点くと、志村はその煙を吸い込んで肺に入れ、鼻の孔から龍一に顔に向けて吹き付けた。

「げほっ、えふっ……」

 眼をしばしばさせ、手で煙を払いながら、龍一が顔を逸らす。煙に含まれるタールで汚れた眼球を洗い流すのに、涙が溢れ出した。

「で、涼子とはどういう関係なんだ」

 志村が訊いた。

「今日は随分と楽しそうだったじゃねぇか」
「どういう、関係って……」
「転校初日から、に手を出すなんて、可愛い顔して随分なやり手じゃねぇか」

 志村は左手で龍一の前髪を掴み、ぐぃっと持ち上げた。眼元を隠していた髪がなくなって、恐怖に潤む虹の瞳が剥き出しになる。唇は小刻みに痙攣し、口の端から涎が滴り落ちていた。

 如何にもと言った相手に絡まれる――その事に対する恐怖は勿論あったが、それよりも龍一は志村倫正の発言が気になっていた。

 “俺の女”

 志村は涼子を差して、そんな風に言った。

 男が、女に対して良くも悪くも所有権を主張するという事は、つまりそういう関係であるという事だ。

 自分と涼子は、単に親が仲良く、保育園や小学校も同じ幼馴染みというだけで、それ以上の関係はなかった。だから、自分と会わないようになってから、恋人の一人や二人いてもおかしくはない。何より涼子は美人で、気立てが良く、誰からも好かれる人物だ。そんな彼女に言い寄る人間が、一人や二人である訳がなかった。

 だが、この眼の前の男が、涼子とそういう関係であると考えると、背中から蛆虫が湧き出すような嫌悪感を覚える。皮膚が内側からぺりぺりと捲られて、細胞に生じた熱が知らぬ間に植え付けられていた卵を孵化させたのだ。

って、志村さん、相手にされた事ないじゃないですか」

 と、谷尾が笑った。
 根元も苦笑している。
 志村はふんと鼻を鳴らして、龍一から手を放した。

「その内、俺の女にしてやるのさ。……で、どうなんだ、お前と涼子は」
「どうって、言われても……涼子ちゃんとは、昔、家が、近かっただけで……」
「へぇ、それじゃ、そういう関係じゃないって訳か」
「はい……」
「そうかい、そりゃあ悪い事をしたなぁ」

 志村は不意に優しい口調になると木箱から立ち上がって、龍一に手を差し伸べた。その手を龍一が取ると、志村は彼の背中を体育館の壁に押し当てた。

 志村の背は龍一よりも随分と大きく、一八〇後半くらいはありそうだった。殆ど男女差のレヴェルである。龍一の目線は志村の顎の辺りにあり、僅かに眼を伏せると大きく開かれたワイシャツの襟から左右に伸びる鎖骨が見えた。そのすぐ下に、黒い模様が確認された。刺青のようであった。

「なぁ転校生、お前、俺と涼子を取り持ってくれよ。幼馴染みってやつなんだろう。だったら、話を通しちゃくれねぇか。涼子によ、俺の女になれって話をよ……」
「そ、そんな事、言われても……」
「あ? だってお前と涼子は何でもないんだろう。だったら、それくらい良いじゃねぇか。それともお前も涼子に惚れてんのか。あいつとやりたいと思っているのか?」
「や、やる……?」
「け、中坊じゃねぇんだぜ、男と女が付き合うって事はそういう事だろうが。てめぇだってあれとそういう事をやりたいんじゃねぇのか。俺に先を越されたくねぇから、頷かねぇんじゃねぇのか。どうなんだ!」

 志村倫正のこめかみが、ぴくぴくと痙攣し始めた。黄色く濁った眼に血管が走り、ヤニで汚れた歯の間から腐臭が漂う。龍一が眼を逸らそうとすると、ほっそりとした顎を掴まれて正面を向かされた。射抜くような、と言うよりは鈍器で殴打されるような強い視線から逃れたくてもがく龍一だが、志村はそれを許さなかった。

「あーあ、女の事になるとすぐこれだ」
「どうせ二、三回ハメたらポイ捨てするんでしょ。それなら一人に拘る事ないのにねぇ」

 その様子を見て、谷尾嶽尾と根元侃二は呆れたように笑っている。根元が手を出すと谷尾が煙草を差し出し、拾い上げたライターで火を点けた。眼を血走らせる志村と、暴力に怯える龍一とは別の世界の住人であるかのように、煙を吐き出して笑っていた。

「えぇ? 聞いてんのかおい!」

 耳元でがなられると、最早、志村が何を言っているのか龍一には分からなかった。ただ、龍一の中には、どうして自分がこんな目に遭わなければいけないのか、という疑問だけが渦巻いている。

 自分はただ、転校して来ただけだ。そこで昔馴染みに再開して、彼女の厚意から校舎の中を案内されただけである。それなのにどうして、こんな連中に絡まれたり、クラスの中でさえ嫉妬染みた視線を投げられなければいけないのか。

 どうして自分はいつもこうなのだ――

 思えば昔から、自分は絡まれ易い性質であった。

 男のくせに、女の子みたいな容姿をしているからだろう。

 それで勉強や運動が出来たなら、涼子のように容姿端麗、文武両道の栄えある認識を賜った事であろう。だが龍一は、どんな事に対しても真ん中から数えるよりも一番下から数えた方が早い場所にいた。

 態度も、何かに怯えているようであった。いつもおどおどとして、主体を持たず、流されるままに動いて、何も考えようとしない。

 それが、他人を苛立たせるのであろうという事は分かっている。分かっているから、なるべくならば他人と関わりたくないと思っていた。そうした能力や気質によって人を差別しない涼子と以外は。

 それなのに自分には、こうした悪意を持った人間たちが寄って来る。こんな事をされても怯えてしまって抵抗の一つも出来ないから、余計に虐め易いという認識が広まって、次の悪意がやって来る。

 龍一はそれを嫌がるだけで、嫌な場所から逃げ出す力さえない。
 だからこうやって、されるがままになるしかないのだった。

 そうされていれば、相手はいつか飽きる。飽きて、やめる。我慢して、耐えて、そうしていれば、相手は満足して、少なくともその場からは姿を消すからだ。

 しかし今回、龍一が相手にしていた志村倫正という人物は、それまでに龍一を攻め立てた相手とは一線を画す執着心の持ち主であった。

 志村倫正の手はいつの間にか龍一の頸に掛けられており、指が動脈を抑え込んでいた。二本の親指が顎の下の窪みに入り込んで、龍一の頭蓋骨を頸骨から外そうとしているようであった。

 咥えた煙草が噛み千切られて、地面に落ちる。

 龍一は志村の手を外そうと手を持ち上げるのだが、指先がぴりぴりと痺れ始めた。視界が涙で霞み、身体の中から空気を絞り出されているようである。

「ちょ……やり過ぎじゃないっすか」
「へーきだろ、頸絞めながらやってやった女だって、普通に生活してるんだぜ」

 根元侃二の方は少々、志村の剣幕を恐れたようだが、谷尾嶽尾は平気な顔であった。

 そんな二人の事も、もう志村倫正の頭の中にはないらしかった。初対面の人間に対して、自分の言う事を聞こうとしない、それだけの理由でここまでやるというのは、頭の何処かがおかしいのであろう。

「そこまでだ……」

 その声がなければ、或いは志村は龍一の事を、殺していたかもしれない。

 志村倫正は龍一の頸から手を放し、頸を絞めていた側にも関わらず真っ赤に充血した眼で声の咆哮を振り向いた。

 石のように固い声を吐いたのは、ベージュのツナギ姿の用務員の男であった。

「何だ、てめぇは」
「バイトだよ」

男は目深に被っていた紺色の帽子を取り払って、言った。
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