超神曼陀羅REBOOT

石動天明

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第九章 野獣の饗宴

第十節 傷  痕

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 三年前と同じ台詞を口にして、純は蛟と対峙した。
 水門港を見下ろす水門マリンタワーの展望台である。

 その中央に蛟が立ち、彼と向き合う純の横に、蛟から“アンリミテッド”を購入した、合わせて六人の若者たちが、その場で困惑している。

 初めは、純も自分たちと同じように、“アンリミテッド”を格安で譲り受ける為にやって来た一人かと思った。しかし、彼がその身に纏う静謐な雰囲気からは、麻薬を好んで購入しようという人間が孕む、湿り気が感じられなかった。

 興味本位であれ、中毒者であれ、手にしたそれを誰かに転売しようと目論む者であれ、麻薬に手を出そうとする人間にはじっとり湿った意思がある。

 純にはそれがない。
 そういう意識を持って純に触れようとすると、忽ち蒸発してしまいそうな気がする。
 人の心の底から湧き上がる霧を、またたく間に吹き飛ばす、爽やかな風を伴っていた。

 その風に当てられたのだろうか、純を見下ろす蛟は、それまでの柔らかな態度を崩して、眼に血管を絡ませるくらいに興奮しているようである。

 二人は暫く、黙って見つめ合っていたのだが、やがて蛟が表情を切り替えた。
 赤い唇を、みりみりと吊り上げて牙を覗かせ、獣のような笑みを浮かべる。

「三年振りですねぇ……」

 蛟は低い声で、言った。
 腹の奥底で滾る感情が、津波となって押し寄せているのである。しかし、その感情を必死に堪えているようであった。我慢し切れなかった分が、凶暴な笑みとなって表出しているのだ。

「会いたかったですよ」
「僕もさ」
「あの夜から、貴方の事が忘れられなかった……」

 蛟はチャイナシャツの襟元を開いた。

 深海魚のような白い咽喉から、胸板までが露わになる。そのぬめる皮膚の表面に、蚯蚓腫れのようなものが、内側から盛り上がり始めた。

 特にその頸を、一際太い蚯蚓腫れがぐるりと囲んだ。

 若者たち六人は、蛟の肉体が見る見る変化してゆくのを見て、息を呑んだ。あれが“アンリミテッド”の齎す、アヴァタール現象なのだろうか。

 純だけは、表情を変えない。
 眼を杏仁型にし、唇を仰月型に保っている。

 純が言った。

「その傷は――わざわざ残したのかい? ご苦労な事だね」
「この傷を思い出すと、蘇るのですよ、貴方に敗れた屈辱、貴方への憎しみがね」

 そう言う割には、蛟の声には段々と、艶のようなものが混じり始めていた。
 ねっとりと絡み付く、甘ったるいチョコレートを、耳に流し込まれているようでもある。

 蛟が発する粘ついた空気を、純は自身の持つ爽快な風で寄せ付けず、その煽りを受けて何も知らない六人の若者たちが怖気を感じ始めている。

 空間が、歪むようだ。
 蛟の圧力が、密閉された展望台に充満した大気を捻じ曲げている。

 正常なのは純だけである。
 純が基準となって、彼の後ろ姿を道しるべとする事で、辛うじて若者たちは正気を保っているのだ。

「殺してあげます……」

 蛟が赤い舌をちらつかせた。

「あの時、私がされたように、貴方の首を見事に刎ねてみせましょう。そして脳みそをくり抜いて、貴方の頭蓋骨を私の精液でいっぱいにしてあげます……」

 おぞましい事を、蛟は何でもない事のように口に出した。

 純は動じなかった。
 苦笑するでもなく、

「良い趣味だね」

 と、皮肉の筈だが、そうは聞こえない口調で、返答した。

「君たち――」

 純は右肩越しに若者たちの方を振り向き、言った。

「それは、使わない事をお勧めするよ。命が大切ならね」

 その瞬間、蛟の右手が凄い速度で動いた。
 鞭が空中を滑るように、指先を揃えた右の貫手が、純の左の咽喉元を狙って放たれたのだ。

 純は蛟を見る事なく、その手首を掴んだ。
 蛟の指先が、純の白い頸と、薄皮一枚を挟んだ距離で停止させられる。

 同時に純は、左足を何げなく繰り出しており、その革靴の足刀が相手の右膝を強打していた。

「ぬ……」

 蛟が、二歩、三歩と後退する。

 純は、自分への復讐に燃える眼鏡の美青年にすっかり背中を向けると、逆光の中で若者たちに告げた。

「そこに倒れている彼を連れて、ここからいなくなると良い。なるべくなら早く家に帰って、夕飯を食べてゆっくりとする事だ」
「おい……」

 純の背後で、ゆらりと立ち上がった蛟が前傾姿勢を採っていた。

「こっちを、見ろッ!」

 床を蹴り、黒髪をなびかせて、蛟が跳んだ。
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