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生ぬるい雨
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◆
「ええ、ですから息子さんに変わった様子などありませんでしたか」
窓からは大雨に変わった空が覗き、リビングテーブルの椅子に浅く腰かけた勝田は、前のめりに尋ねる。
「いえ……息子は……、光彦は、いつも通りいってきますって…………」
母親は涙ぐみながら話してくれた。
絵に描いたような一般家庭で、サッカーが好きな勉強のできる好青年。聖野光彦が犯人でないことなど勝田にとって百も承知だが、聞き込みでは意外な情報が手に入ったりするものだ。
「すみません、奥さん。こんな事件のすぐで」
勝田自身も息子と娘がいる。ある日突然こんな事件に巻き込まれたらなんて、考えたくもないことだった。悪いことだと思いながらも、事件解決への糸口を掴むために聞き込みを続ける。
二人はシャッターの降りた店の軒先で、雨宿りをしていた。
「齋藤、次は……」
勝田が生徒名簿を見ていると携帯が震えた。
「勝田だ。ああ、……本当か」
携帯を離して勝田は齋藤に話しかける。
「次はこいつだ」
勝田が齋藤の持った生徒名簿に指をさす。
「やっぱり、怪しいですもんね。ていうか捜査資料にしても、盗ってきていいもんなんですかね」
齋藤は生徒名簿をぴらぴらと靡かせて、軽く相槌を打った。
「おう、またなんかあったら頼む」
勝田は携帯を折りたたむと、胸ポケットにしまう。
「おやっさん、そろそろスマホに変えましょうよ。今時スマホの方が便利ですよ」
新しいもの好きの齋藤は最新の道具を買っては、勝田に見せびらかしている。
「いいんだよ、古い人間にはガラケーが使いやすいんだからよ」
便利なものでも馴染みのある方を好む勝田は、齋藤の言うところの老害に近づいて来たなと感じていた。
「そんなこといってー。電子タバコ使ってたじゃないですか」
「あれはいいんだよ。カミさんが健康を気にしろっていうからよ」
「そういえば、お前はもうちょっと肌を焼いたらどうなんだ」
男の癖に日焼け止めを塗る齋藤に、女々しい奴だと勝田はいつも言っていた。
「その考えが時代遅れなんですよ。
皮膚がんになったら嫌じゃないですか。おやっさんとか歳なんだし塗るべきですよ、日焼け止め」
「男はいいんだよ」
一つの傘から、はみ出た勝田の肩に雨粒が滲んだ。擦り減った革靴で水たまりを踏みしめる二人の歩く先には、立ち並ぶ公営住宅があった。
エレベーターで8階まで昇ると、勝田は809号室のチャイムを鳴らす。
ガチャリと金属の重い扉が開くと、チェーンロックの隙間からケバイ化粧をした薄着の女が顔を見せた。
「すみません、××署の者ですが」
勝田が警察手帳を取り出すと女は溜息を吐いた。
「また、旦那ですか」
「旦那さんですか?息子さんのことで、お話を伺いたいんですが」
『また』という言葉が気にかかった勝田だが、今は犯人の手がかりを見つけるのが先決だった。
「はぁ、あの馬鹿がなにか?」
女の態度には、心底うんざりとした雰囲気が読み取れる。
「奥さん、今朝の事件を知らないんですか。お宅の息子さんはお亡くなりになっています」
齋藤が呆れとも悲痛とも取れない、そんな顔をした。
女は一瞬だけ息を呑んで、ドアチェーンを外した。
「失礼します」
勝田と齋藤は玄関で靴を脱ぐと、狭くて短い廊下を通ってリビングのローテーブルで出された薄い麦茶に口をつけた。
カーテンレースの向こう側では雨が激しくぶつかり、薄暗い部屋に丸型蛍光灯の内側が切れかけて明滅した。
雨音と蛍光灯のジジッという音だけが、その場に鎮座していた。その静寂の中、対面に座った女に勝田が事件のあらましを話しだす。
「今朝、××高校で大量殺人事件がありました。そして、息子さんの死亡も確認されています。
今回の事件では、学校に対して恨みを持つ者の犯行の線が極めて高いんです。なにか息子さんに変わった所や、気づかれた点など無かったですか」
「知りませんよ、そんなの」
あまりにも素っ気ない態度に、勝田は違和感を覚える。
「奥さん、息子さんが亡くなられたんですよ。もう少し……こう、捜査に協力頂けませんか」
「だから、なにも知らないですから。帰ってください」
女の話口調には微塵も心配や悲壮が感じられない。
自分の子供の死に、こうも無関心になれるのかと勝田は怒りさえ感じていた。
「失礼ですが、親として思うところがないんですか」
今日回ったどの家庭でも、真っ先に子供の心配をする親しかいなかった。勝田自身も息子と娘が同じ目に会ったらと考えると、頭の中を恐ろしさに支配されながらも、子供たちの命だけは助かって欲しいと願うばかりだった。
それが親として当たり前で当然なことなのに、この女は何故こんな無関心な態度でいられるのか、勝田には理解できなかった。
「人の家のことに口出さないで貰えます?」
派手なつけ爪を見ながら真面目に話を聞かない態度に、齋藤も声を上げる。
「大切なお子さんだったと思います。私たちは亡くなられた息子さんのためにも、犯人を突き止めなければならないんです。なんでもいいんです。気になった所など、無かったでしょうか」
「しつこいですし、これから仕事があるんです。帰ってください」
女は立ち上がって、リビングの扉を開けた。
勝田は諦めて立ち上がると、齋藤の肩に手を置いた。
「失礼しました。名刺を置いておきますので、何かありましたらご連絡ください」
それだけいうと、勝田と齋藤は809号室を後にする。
すっかり暗くなった夜道を二人は歩く。傘からはみ出た勝田の肩から指先へ、夏の生温い雨が血のように滴り落ちた。
「ええ、ですから息子さんに変わった様子などありませんでしたか」
窓からは大雨に変わった空が覗き、リビングテーブルの椅子に浅く腰かけた勝田は、前のめりに尋ねる。
「いえ……息子は……、光彦は、いつも通りいってきますって…………」
母親は涙ぐみながら話してくれた。
絵に描いたような一般家庭で、サッカーが好きな勉強のできる好青年。聖野光彦が犯人でないことなど勝田にとって百も承知だが、聞き込みでは意外な情報が手に入ったりするものだ。
「すみません、奥さん。こんな事件のすぐで」
勝田自身も息子と娘がいる。ある日突然こんな事件に巻き込まれたらなんて、考えたくもないことだった。悪いことだと思いながらも、事件解決への糸口を掴むために聞き込みを続ける。
二人はシャッターの降りた店の軒先で、雨宿りをしていた。
「齋藤、次は……」
勝田が生徒名簿を見ていると携帯が震えた。
「勝田だ。ああ、……本当か」
携帯を離して勝田は齋藤に話しかける。
「次はこいつだ」
勝田が齋藤の持った生徒名簿に指をさす。
「やっぱり、怪しいですもんね。ていうか捜査資料にしても、盗ってきていいもんなんですかね」
齋藤は生徒名簿をぴらぴらと靡かせて、軽く相槌を打った。
「おう、またなんかあったら頼む」
勝田は携帯を折りたたむと、胸ポケットにしまう。
「おやっさん、そろそろスマホに変えましょうよ。今時スマホの方が便利ですよ」
新しいもの好きの齋藤は最新の道具を買っては、勝田に見せびらかしている。
「いいんだよ、古い人間にはガラケーが使いやすいんだからよ」
便利なものでも馴染みのある方を好む勝田は、齋藤の言うところの老害に近づいて来たなと感じていた。
「そんなこといってー。電子タバコ使ってたじゃないですか」
「あれはいいんだよ。カミさんが健康を気にしろっていうからよ」
「そういえば、お前はもうちょっと肌を焼いたらどうなんだ」
男の癖に日焼け止めを塗る齋藤に、女々しい奴だと勝田はいつも言っていた。
「その考えが時代遅れなんですよ。
皮膚がんになったら嫌じゃないですか。おやっさんとか歳なんだし塗るべきですよ、日焼け止め」
「男はいいんだよ」
一つの傘から、はみ出た勝田の肩に雨粒が滲んだ。擦り減った革靴で水たまりを踏みしめる二人の歩く先には、立ち並ぶ公営住宅があった。
エレベーターで8階まで昇ると、勝田は809号室のチャイムを鳴らす。
ガチャリと金属の重い扉が開くと、チェーンロックの隙間からケバイ化粧をした薄着の女が顔を見せた。
「すみません、××署の者ですが」
勝田が警察手帳を取り出すと女は溜息を吐いた。
「また、旦那ですか」
「旦那さんですか?息子さんのことで、お話を伺いたいんですが」
『また』という言葉が気にかかった勝田だが、今は犯人の手がかりを見つけるのが先決だった。
「はぁ、あの馬鹿がなにか?」
女の態度には、心底うんざりとした雰囲気が読み取れる。
「奥さん、今朝の事件を知らないんですか。お宅の息子さんはお亡くなりになっています」
齋藤が呆れとも悲痛とも取れない、そんな顔をした。
女は一瞬だけ息を呑んで、ドアチェーンを外した。
「失礼します」
勝田と齋藤は玄関で靴を脱ぐと、狭くて短い廊下を通ってリビングのローテーブルで出された薄い麦茶に口をつけた。
カーテンレースの向こう側では雨が激しくぶつかり、薄暗い部屋に丸型蛍光灯の内側が切れかけて明滅した。
雨音と蛍光灯のジジッという音だけが、その場に鎮座していた。その静寂の中、対面に座った女に勝田が事件のあらましを話しだす。
「今朝、××高校で大量殺人事件がありました。そして、息子さんの死亡も確認されています。
今回の事件では、学校に対して恨みを持つ者の犯行の線が極めて高いんです。なにか息子さんに変わった所や、気づかれた点など無かったですか」
「知りませんよ、そんなの」
あまりにも素っ気ない態度に、勝田は違和感を覚える。
「奥さん、息子さんが亡くなられたんですよ。もう少し……こう、捜査に協力頂けませんか」
「だから、なにも知らないですから。帰ってください」
女の話口調には微塵も心配や悲壮が感じられない。
自分の子供の死に、こうも無関心になれるのかと勝田は怒りさえ感じていた。
「失礼ですが、親として思うところがないんですか」
今日回ったどの家庭でも、真っ先に子供の心配をする親しかいなかった。勝田自身も息子と娘が同じ目に会ったらと考えると、頭の中を恐ろしさに支配されながらも、子供たちの命だけは助かって欲しいと願うばかりだった。
それが親として当たり前で当然なことなのに、この女は何故こんな無関心な態度でいられるのか、勝田には理解できなかった。
「人の家のことに口出さないで貰えます?」
派手なつけ爪を見ながら真面目に話を聞かない態度に、齋藤も声を上げる。
「大切なお子さんだったと思います。私たちは亡くなられた息子さんのためにも、犯人を突き止めなければならないんです。なんでもいいんです。気になった所など、無かったでしょうか」
「しつこいですし、これから仕事があるんです。帰ってください」
女は立ち上がって、リビングの扉を開けた。
勝田は諦めて立ち上がると、齋藤の肩に手を置いた。
「失礼しました。名刺を置いておきますので、何かありましたらご連絡ください」
それだけいうと、勝田と齋藤は809号室を後にする。
すっかり暗くなった夜道を二人は歩く。傘からはみ出た勝田の肩から指先へ、夏の生温い雨が血のように滴り落ちた。
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