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大学時代、父の会社にそのまま就職するというと、友人たちから羨ましがられた。みんな就活でひいひい言っていて、就活の大変さを知らない私が妬ましかったらしい。
だけど、親の会社に就職するというのはそれほど楽ではない。
父の秘書として働いていた私は、休日に家で昼寝している時も叩き起こされて仕事を振られることも多かった。
それに、父の会社の連帯保証人にもなっていた。
時代の流れとともに資金繰りが徐々に悪化し、そうせざるを得なくなったのだ。
父の会社は、創業三十年の小さなアパレルメーカーである。百貨店やセレクトショップに婦人服を卸してきた。品質には定評があったが、時代の波に乗り遅れた結果、徐々に経営は悪化していった。
ECサイトへの移行が遅れた。
インフルエンサーマーケティングを理解できなかった。
データ分析を軽視した。
そして、気づいた時には——手遅れだった。
事務所に、重苦しい沈黙が落ちる。
「倒産、ですか……」
私の声は、自分でも驚くほど冷静だった。
会社——水瀬アパレルの応接室。いつもならコーヒーの香りが漂うこの部屋に、今日は黒いスーツの弁護士が三人座っている。
「申し訳ございません、社長」
顧問弁護士の言葉に、父は深く俯いた。六十に近い背中が、ひどく小さく見える。
「負債総額は……」
「会社の資産諸々を売却整理しても……約三千万円は残ります」
三千万。
私の頭の中で、数字が白く明滅した。
「結衣」
父が、震える声で私の名を呼んだ。
「お前まで、巻き込んでしまって……」
「いいんです、社長」
私は秘書として父に返答した。
大学を卒業してから五年間、父を支えてきたつもりだった。
でも、何もできなかった。
「社長の個人保証もございますので」
弁護士の言葉が、私たちに突き刺さる。
個人保証。つまり、会社が倒産しても、父個人に借金が残る。私の実家も、全て失う。
「せめて、結衣だけは……」
「私も連帯保証人です」
「すまない……すまない……」
父は顔を覆って、声を殺して泣いた。
私は何も言えなかった。慰めの言葉も、励ましの言葉も、喉の奥で固まって出てこない。
窓の外では秋雨が降り始めていた。
翌日。
私は最後の仕事として、債権者への連絡リストを作っていた。
取引先、銀行、そして——。
「株式会社DOS……」
DOS。デジタルマーケティングとECサイト構築を手掛ける、急成長中のIT企業。三十代の若き社長が率いる、業界の話題企業だ。
半年前、父は藁にも縋る思いで、この会社にECサイトのリニューアルを依頼した。
納品はされた。システムは完璧だった。でも——支払いができなかった。
三ヶ月前から、三百万円の請求が未払いのまま残っている。
「結衣、悪いが今日は早く帰ってくれ」
昼過ぎ、父がそう言った。顔色が悪い。
「どうしたんですか」
「いや……DOSの社長が、直接来るそうだ」
心臓が、嫌な音を立てた。
「直接……?」
「ああ、未払いの件で、話があるらしい」
父の声は諦めに満ちていた。
もう、支払える見込みはない。それは相手もわかっているはずだ。それなのに、わざわざ社長自らが来る。
それは——。
「私も、同席します」
「いや、お前は関係ない」
「秘書ですから」
私は譲らなかった。
父を、一人にはできない。
午後三時——。
応接室のドアが開いた。
「失礼します」
低く、よく通る声。
そして、一人の男性が入ってきた。
見るからに上質だとわかる黒のスーツに、灰色のシャツ。ネクタイはしていない。百八十を超えていそうな長身に鋭い目元。
まるで海外の俳優のように整った顔立ちだけれど、冷たい印象を受ける。
年齢は三十代前半だろうか。
雑誌で見たことのある顔だった。
氷室玲司。
DOSの創業者にして、代表取締役社長。大学時代に起業し、わずか十年で年商二十億円企業に育て上げた敏腕経営者。
「水瀬社長」
氷室は、わずかに顎を引いた。挨拶というより、確認のような動作だ。
「お忙しいところ、申し訳ございません」
父が立ち上がって深く頭を下げる。私も慌てて頭を下げた。
「座ってください」
氷室は、私たちに着席を促してから、自分も腰を下ろした。
そして、鋭い視線を父に向ける。
「単刀直入に言います。未払いの三百万、いつ払えますか」
「それが……」
父の声が震える。
「申し訳ございません。弊社は、来週、倒産申請をすることになりまして……」
「倒産」
氷室の声に、感情はなかった。
「つまり、払えないと」
「はい……本当に、申し訳……」
「謝罪はいりません」
氷室の言葉が、父の言葉を遮った。
「ビジネスですから、回収できないリスクは、こちらも織り込み済みです」
そう言いながら、氷室の視線が——私に向いた。
冷たく射抜くような瞳に、背筋が冷えた。
なぜだか、猛獣に睨まれたような気分に陥る。
彼は、私をじっと見つめていた。まるで値踏みするように。
「……顔が似ていますね。お嬢さんですか」
「はい。秘書をしております。水瀬結衣と申します」
私は、できるだけ冷静に答えた。
「秘書」
氷室は、わずかに口角を上げた。
「水瀬社長、一つ提案があります」
「……提案?」
「未払いの三百万、それから社長の個人保証分、全て私が肩代わりしましょう」
え——?
父も私も、息を呑んだ。
「ど、どういう……」
「条件があります」
氷室は、まっすぐ私を見た。
「お嬢さんを、私にください」
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お読みいただきありがとうございます。本作、第19回恋愛小説大賞にエントリーしております。
もし面白い、続きが読みたいと思っていただけたら、ぜひ投票をよろしくお願いします!
だけど、親の会社に就職するというのはそれほど楽ではない。
父の秘書として働いていた私は、休日に家で昼寝している時も叩き起こされて仕事を振られることも多かった。
それに、父の会社の連帯保証人にもなっていた。
時代の流れとともに資金繰りが徐々に悪化し、そうせざるを得なくなったのだ。
父の会社は、創業三十年の小さなアパレルメーカーである。百貨店やセレクトショップに婦人服を卸してきた。品質には定評があったが、時代の波に乗り遅れた結果、徐々に経営は悪化していった。
ECサイトへの移行が遅れた。
インフルエンサーマーケティングを理解できなかった。
データ分析を軽視した。
そして、気づいた時には——手遅れだった。
事務所に、重苦しい沈黙が落ちる。
「倒産、ですか……」
私の声は、自分でも驚くほど冷静だった。
会社——水瀬アパレルの応接室。いつもならコーヒーの香りが漂うこの部屋に、今日は黒いスーツの弁護士が三人座っている。
「申し訳ございません、社長」
顧問弁護士の言葉に、父は深く俯いた。六十に近い背中が、ひどく小さく見える。
「負債総額は……」
「会社の資産諸々を売却整理しても……約三千万円は残ります」
三千万。
私の頭の中で、数字が白く明滅した。
「結衣」
父が、震える声で私の名を呼んだ。
「お前まで、巻き込んでしまって……」
「いいんです、社長」
私は秘書として父に返答した。
大学を卒業してから五年間、父を支えてきたつもりだった。
でも、何もできなかった。
「社長の個人保証もございますので」
弁護士の言葉が、私たちに突き刺さる。
個人保証。つまり、会社が倒産しても、父個人に借金が残る。私の実家も、全て失う。
「せめて、結衣だけは……」
「私も連帯保証人です」
「すまない……すまない……」
父は顔を覆って、声を殺して泣いた。
私は何も言えなかった。慰めの言葉も、励ましの言葉も、喉の奥で固まって出てこない。
窓の外では秋雨が降り始めていた。
翌日。
私は最後の仕事として、債権者への連絡リストを作っていた。
取引先、銀行、そして——。
「株式会社DOS……」
DOS。デジタルマーケティングとECサイト構築を手掛ける、急成長中のIT企業。三十代の若き社長が率いる、業界の話題企業だ。
半年前、父は藁にも縋る思いで、この会社にECサイトのリニューアルを依頼した。
納品はされた。システムは完璧だった。でも——支払いができなかった。
三ヶ月前から、三百万円の請求が未払いのまま残っている。
「結衣、悪いが今日は早く帰ってくれ」
昼過ぎ、父がそう言った。顔色が悪い。
「どうしたんですか」
「いや……DOSの社長が、直接来るそうだ」
心臓が、嫌な音を立てた。
「直接……?」
「ああ、未払いの件で、話があるらしい」
父の声は諦めに満ちていた。
もう、支払える見込みはない。それは相手もわかっているはずだ。それなのに、わざわざ社長自らが来る。
それは——。
「私も、同席します」
「いや、お前は関係ない」
「秘書ですから」
私は譲らなかった。
父を、一人にはできない。
午後三時——。
応接室のドアが開いた。
「失礼します」
低く、よく通る声。
そして、一人の男性が入ってきた。
見るからに上質だとわかる黒のスーツに、灰色のシャツ。ネクタイはしていない。百八十を超えていそうな長身に鋭い目元。
まるで海外の俳優のように整った顔立ちだけれど、冷たい印象を受ける。
年齢は三十代前半だろうか。
雑誌で見たことのある顔だった。
氷室玲司。
DOSの創業者にして、代表取締役社長。大学時代に起業し、わずか十年で年商二十億円企業に育て上げた敏腕経営者。
「水瀬社長」
氷室は、わずかに顎を引いた。挨拶というより、確認のような動作だ。
「お忙しいところ、申し訳ございません」
父が立ち上がって深く頭を下げる。私も慌てて頭を下げた。
「座ってください」
氷室は、私たちに着席を促してから、自分も腰を下ろした。
そして、鋭い視線を父に向ける。
「単刀直入に言います。未払いの三百万、いつ払えますか」
「それが……」
父の声が震える。
「申し訳ございません。弊社は、来週、倒産申請をすることになりまして……」
「倒産」
氷室の声に、感情はなかった。
「つまり、払えないと」
「はい……本当に、申し訳……」
「謝罪はいりません」
氷室の言葉が、父の言葉を遮った。
「ビジネスですから、回収できないリスクは、こちらも織り込み済みです」
そう言いながら、氷室の視線が——私に向いた。
冷たく射抜くような瞳に、背筋が冷えた。
なぜだか、猛獣に睨まれたような気分に陥る。
彼は、私をじっと見つめていた。まるで値踏みするように。
「……顔が似ていますね。お嬢さんですか」
「はい。秘書をしております。水瀬結衣と申します」
私は、できるだけ冷静に答えた。
「秘書」
氷室は、わずかに口角を上げた。
「水瀬社長、一つ提案があります」
「……提案?」
「未払いの三百万、それから社長の個人保証分、全て私が肩代わりしましょう」
え——?
父も私も、息を呑んだ。
「ど、どういう……」
「条件があります」
氷室は、まっすぐ私を見た。
「お嬢さんを、私にください」
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