1 / 21
1話
大学時代、父の会社にそのまま就職するというと、友人たちから羨ましがられた。みんな就活でひいひい言っていて、就活の大変さを知らない私が妬ましかったらしい。
だけど、親の会社に就職するというのはそれほど楽ではない。
父の秘書として働いていた私は、休日に家で昼寝している時も叩き起こされて仕事を振られることも多かった。
それに、父の会社の連帯保証人にもなっていた。
時代の流れとともに資金繰りが徐々に悪化し、そうせざるを得なくなったのだ。
父の会社は、創業三十年の小さなアパレルメーカーである。百貨店やセレクトショップに婦人服を卸してきた。品質には定評があったが、時代の波に乗り遅れた結果、徐々に経営は悪化していった。
ECサイトへの移行が遅れた。
インフルエンサーマーケティングを理解できなかった。
データ分析を軽視した。
そして、気づいた時には——手遅れだった。
事務所に、重苦しい沈黙が落ちる。
「倒産、ですか……」
私の声は、自分でも驚くほど冷静だった。
会社——水瀬アパレルの応接室。いつもならコーヒーの香りが漂うこの部屋に、今日は黒いスーツの弁護士が三人座っている。
「申し訳ございません、社長」
顧問弁護士の言葉に、父は深く俯いた。六十に近い背中が、ひどく小さく見える。
「負債総額は……」
「会社の資産諸々を売却整理しても……約三千万円は残ります」
三千万。
私の頭の中で、数字が白く明滅した。
「結衣」
父が、震える声で私の名を呼んだ。
「お前まで、巻き込んでしまって……」
「いいんです、社長」
私は秘書として父に返答した。
大学を卒業してから五年間、父を支えてきたつもりだった。
でも、何もできなかった。
「社長の個人保証もございますので」
弁護士の言葉が、私たちに突き刺さる。
個人保証。つまり、会社が倒産しても、父個人に借金が残る。私の実家も、全て失う。
「せめて、結衣だけは……」
「私も連帯保証人です」
「すまない……すまない……」
父は顔を覆って、声を殺して泣いた。
私は何も言えなかった。慰めの言葉も、励ましの言葉も、喉の奥で固まって出てこない。
窓の外では秋雨が降り始めていた。
翌日。
私は最後の仕事として、債権者への連絡リストを作っていた。
取引先、銀行、そして——。
「株式会社DOS……」
DOS。デジタルマーケティングとECサイト構築を手掛ける、急成長中のIT企業。三十代の若き社長が率いる、業界の話題企業だ。
半年前、父は藁にも縋る思いで、この会社にECサイトのリニューアルを依頼した。
納品はされた。システムは完璧だった。でも——支払いができなかった。
三ヶ月前から、三百万円の請求が未払いのまま残っている。
「結衣、悪いが今日は早く帰ってくれ」
昼過ぎ、父がそう言った。顔色が悪い。
「どうしたんですか」
「いや……DOSの社長が、直接来るそうだ」
心臓が、嫌な音を立てた。
「直接……?」
「ああ、未払いの件で、話があるらしい」
父の声は諦めに満ちていた。
もう、支払える見込みはない。それは相手もわかっているはずだ。それなのに、わざわざ社長自らが来る。
それは——。
「私も、同席します」
「いや、お前は関係ない」
「秘書ですから」
私は譲らなかった。
父を、一人にはできない。
午後三時——。
応接室のドアが開いた。
「失礼します」
低く、よく通る声。
そして、一人の男性が入ってきた。
見るからに上質だとわかる黒のスーツに、灰色のシャツ。ネクタイはしていない。百八十を超えていそうな長身に鋭い目元。
まるで海外の俳優のように整った顔立ちだけれど、冷たい印象を受ける。
年齢は三十代前半だろうか。
雑誌で見たことのある顔だった。
氷室玲司。
DOSの創業者にして、代表取締役社長。大学時代に起業し、わずか十年で年商二十億円企業に育て上げた敏腕経営者。
「水瀬社長」
氷室は、わずかに顎を引いた。挨拶というより、確認のような動作だ。
「お忙しいところ、申し訳ございません」
父が立ち上がって深く頭を下げる。私も慌てて頭を下げた。
「座ってください」
氷室は、私たちに着席を促してから、自分も腰を下ろした。
そして、鋭い視線を父に向ける。
「単刀直入に言います。未払いの三百万、いつ払えますか」
「それが……」
父の声が震える。
「申し訳ございません。弊社は、来週、倒産申請をすることになりまして……」
「倒産」
氷室の声に、感情はなかった。
「つまり、払えないと」
「はい……本当に、申し訳……」
「謝罪はいりません」
氷室の言葉が、父の言葉を遮った。
「ビジネスですから、回収できないリスクは、こちらも織り込み済みです」
そう言いながら、氷室の視線が——私に向いた。
冷たく射抜くような瞳に、背筋が冷えた。
なぜだか、猛獣に睨まれたような気分に陥る。
彼は、私をじっと見つめていた。まるで値踏みするように。
「……顔が似ていますね。お嬢さんですか」
「はい。秘書をしております。水瀬結衣と申します」
私は、できるだけ冷静に答えた。
「秘書」
氷室は、わずかに口角を上げた。
「水瀬社長、一つ提案があります」
「……提案?」
「未払いの三百万、それから社長の個人保証分、全て私が肩代わりしましょう」
え——?
父も私も、息を呑んだ。
「ど、どういう……」
「条件があります」
氷室は、まっすぐ私を見た。
「お嬢さんを、私にください」
ーーーーーーーーーーーーーーーー
お読みいただきありがとうございます。本作、第19回恋愛小説大賞にエントリーしております。
もし面白い、続きが読みたいと思っていただけたら、ぜひ投票をよろしくお願いします!
だけど、親の会社に就職するというのはそれほど楽ではない。
父の秘書として働いていた私は、休日に家で昼寝している時も叩き起こされて仕事を振られることも多かった。
それに、父の会社の連帯保証人にもなっていた。
時代の流れとともに資金繰りが徐々に悪化し、そうせざるを得なくなったのだ。
父の会社は、創業三十年の小さなアパレルメーカーである。百貨店やセレクトショップに婦人服を卸してきた。品質には定評があったが、時代の波に乗り遅れた結果、徐々に経営は悪化していった。
ECサイトへの移行が遅れた。
インフルエンサーマーケティングを理解できなかった。
データ分析を軽視した。
そして、気づいた時には——手遅れだった。
事務所に、重苦しい沈黙が落ちる。
「倒産、ですか……」
私の声は、自分でも驚くほど冷静だった。
会社——水瀬アパレルの応接室。いつもならコーヒーの香りが漂うこの部屋に、今日は黒いスーツの弁護士が三人座っている。
「申し訳ございません、社長」
顧問弁護士の言葉に、父は深く俯いた。六十に近い背中が、ひどく小さく見える。
「負債総額は……」
「会社の資産諸々を売却整理しても……約三千万円は残ります」
三千万。
私の頭の中で、数字が白く明滅した。
「結衣」
父が、震える声で私の名を呼んだ。
「お前まで、巻き込んでしまって……」
「いいんです、社長」
私は秘書として父に返答した。
大学を卒業してから五年間、父を支えてきたつもりだった。
でも、何もできなかった。
「社長の個人保証もございますので」
弁護士の言葉が、私たちに突き刺さる。
個人保証。つまり、会社が倒産しても、父個人に借金が残る。私の実家も、全て失う。
「せめて、結衣だけは……」
「私も連帯保証人です」
「すまない……すまない……」
父は顔を覆って、声を殺して泣いた。
私は何も言えなかった。慰めの言葉も、励ましの言葉も、喉の奥で固まって出てこない。
窓の外では秋雨が降り始めていた。
翌日。
私は最後の仕事として、債権者への連絡リストを作っていた。
取引先、銀行、そして——。
「株式会社DOS……」
DOS。デジタルマーケティングとECサイト構築を手掛ける、急成長中のIT企業。三十代の若き社長が率いる、業界の話題企業だ。
半年前、父は藁にも縋る思いで、この会社にECサイトのリニューアルを依頼した。
納品はされた。システムは完璧だった。でも——支払いができなかった。
三ヶ月前から、三百万円の請求が未払いのまま残っている。
「結衣、悪いが今日は早く帰ってくれ」
昼過ぎ、父がそう言った。顔色が悪い。
「どうしたんですか」
「いや……DOSの社長が、直接来るそうだ」
心臓が、嫌な音を立てた。
「直接……?」
「ああ、未払いの件で、話があるらしい」
父の声は諦めに満ちていた。
もう、支払える見込みはない。それは相手もわかっているはずだ。それなのに、わざわざ社長自らが来る。
それは——。
「私も、同席します」
「いや、お前は関係ない」
「秘書ですから」
私は譲らなかった。
父を、一人にはできない。
午後三時——。
応接室のドアが開いた。
「失礼します」
低く、よく通る声。
そして、一人の男性が入ってきた。
見るからに上質だとわかる黒のスーツに、灰色のシャツ。ネクタイはしていない。百八十を超えていそうな長身に鋭い目元。
まるで海外の俳優のように整った顔立ちだけれど、冷たい印象を受ける。
年齢は三十代前半だろうか。
雑誌で見たことのある顔だった。
氷室玲司。
DOSの創業者にして、代表取締役社長。大学時代に起業し、わずか十年で年商二十億円企業に育て上げた敏腕経営者。
「水瀬社長」
氷室は、わずかに顎を引いた。挨拶というより、確認のような動作だ。
「お忙しいところ、申し訳ございません」
父が立ち上がって深く頭を下げる。私も慌てて頭を下げた。
「座ってください」
氷室は、私たちに着席を促してから、自分も腰を下ろした。
そして、鋭い視線を父に向ける。
「単刀直入に言います。未払いの三百万、いつ払えますか」
「それが……」
父の声が震える。
「申し訳ございません。弊社は、来週、倒産申請をすることになりまして……」
「倒産」
氷室の声に、感情はなかった。
「つまり、払えないと」
「はい……本当に、申し訳……」
「謝罪はいりません」
氷室の言葉が、父の言葉を遮った。
「ビジネスですから、回収できないリスクは、こちらも織り込み済みです」
そう言いながら、氷室の視線が——私に向いた。
冷たく射抜くような瞳に、背筋が冷えた。
なぜだか、猛獣に睨まれたような気分に陥る。
彼は、私をじっと見つめていた。まるで値踏みするように。
「……顔が似ていますね。お嬢さんですか」
「はい。秘書をしております。水瀬結衣と申します」
私は、できるだけ冷静に答えた。
「秘書」
氷室は、わずかに口角を上げた。
「水瀬社長、一つ提案があります」
「……提案?」
「未払いの三百万、それから社長の個人保証分、全て私が肩代わりしましょう」
え——?
父も私も、息を呑んだ。
「ど、どういう……」
「条件があります」
氷室は、まっすぐ私を見た。
「お嬢さんを、私にください」
ーーーーーーーーーーーーーーーー
お読みいただきありがとうございます。本作、第19回恋愛小説大賞にエントリーしております。
もし面白い、続きが読みたいと思っていただけたら、ぜひ投票をよろしくお願いします!
あなたにおすすめの小説
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です!
https://estar.jp/novels/26513389
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041