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2話
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私と父は固まっていた。
(お嬢さんを、私にください……?)
「……は?」
私の口から、間の抜けた声が漏れた。
「結衣を……って、どういう……」
父も、混乱している。
氷室は、まるで商談を進めるように、淡々と続けた。
「私の妻になってください。契約結婚です。私の立場になると、親族から結婚しろという圧力が強くてね。だが、会社を経営している関係上、下手な相手は迎えられない。借金で私に逆らえない立場にいる女性というのは、都合がいい」
とんでもない言い分だった。
「そ、それは、借金のカタに娘を売れということでしょうか?」
「そういうことです」
冷たい声音が私の耳を打つ。
「親族が大人しくなったら離婚すればいい。一度結婚に失敗すれば、うるさくも言ってこなくなるでしょう」
まるで商品の売買のように、ビジネスライクな声音で氷室は説明する。
「そ、そんなことは、到底受け入れられません」
父は震える声で氷室に立ち向かった。
「ならば、いますぐ借金を返してください」
「そんな……」
父は下唇を噛み締めると、青ざめた顔で立ち上がった。
まさか氷室に殴りかかりでもするのではないかと、私が焦ったその時——。
父は床に膝をついて、頭を深々と下げた。
「お、お父さん!?」
社長と呼ぶのも忘れて、私は素になってしまう。
土下座の体勢になった父は、必死で氷室に頼み込んだ。
「ど、どうか、娘だけはお目溢しください。大事な一人娘なんです」
「お父さん……」
会社で働いている時は、厳しかった父。幼い頃から仕事が忙しくて、あまり構ってももらえなかった。
父と頻繁に接するようになったのは、社長と秘書の間柄になってからだった。
だけど——。
(こんなに、大切に思ってもらえていた)
その父を、救う手段が今、私の手の中にある。
だったら……。
「わかりました。その契約結婚の話、お受けします」
「結衣!?」
父は驚きに頭を上げた。
「お父さん、よく考えてみて。こんなに格好いい人で、それも社長だよ。結婚できるなら万々歳じゃない」
私は父を励ますようにぎこちなく微笑んだ。
「氷室社長。妻として、ご迷惑はおかけいたしません。借金を肩代わりしていただくご恩も、決して忘れません。ですから、この契約結婚の話、お受けさせてください」
「いいでしょう。……これが契約書だ」
氷室は、鞄から書類を取り出した。
随分と用意周到だ。契約書まで用意してあったということは、私の情報もすでに調べ尽くされていたということだろうか。
「条件はここに書いてある通りです。同居すること、会食やパーティーにパートナーとして出席すること。SNSへのプライベートに関する投稿は、私のチェックを受けること。夫婦らしく振る舞うこと」
「はい……。わかりました、サインします」
ペンを取る私の横で、「結衣……」と力なく父が呟いている。
「お父さん、大丈夫よ。娘の門出なんだから、祝福して」
励ますように笑顔を向けて、私は契約書にサインした。
「これで契約成立だな」
書類を受け取ると、氷室は立ち上がって私に手を差し出してきた。
「改めまして。氷室玲司だ。よろしく頼む」
私は、その手を握った。
その手は、氷のように冷たかった。
氷室は連絡先を交換し、「また後ほど詳細は連絡する」と告げて去っていく。
「……本当に良かったのか?」
氷室が立ち去ってから、父は力なく尋ねてきた。
「他に方法もないでしょ。個人負債の三千万が全額肩代わりしてもらえるなら、いいじゃない。親戚が大人しくなったら離婚してもいいって言ってくれているんだし」
「だが、あんな冷酷そうな男と……」
「でもハリウッド俳優みたいなイケメンだったよ」
「お前は本当に……」
父は呆れたように嘆息する。朝から倒産の話に、急転直下で契約結婚の話まで出て、私たちは疲れ切っていた。
二人揃ってソファにだらしなく腰掛けてお茶を飲む。
「いいじゃない。でも、契約の話はお母さんには内緒ね」
「そうだな。お前の恋人が借金を肩代わりしてくれたことにしよう」
二人でそう話し合い、顔を見合わせて頷き合う。
その日の夜——。
氷室からメッセージが飛んできた。
『引越しは三日以内に。再来週、私の両親との会食を設定した。月末に婚姻届を提出し、式は来年の春に行うつもりで準備を進める』
(三日以内!?)
あまりに性急な話に、目を剥く。
『氷室さん、三日以内というのはあまりにも急すぎませんか』
『会食前に恋人らしくなる必要がある。時間の余裕があまりない。互いを知るには同居が一番だ。それから、氷室さんでは他人行儀にすぎる。玲司と呼ぶように』
玲司の返答は実務的でけんもほろろだった。
借金を肩代わりしてもらう以上、逆らえる立場ではない。
『わかりました。引っ越しに向けて荷物の整理をしておきます』
『わかったならいい。引っ越し業者はこちらで手配する。では三日後に』
これから夫婦になるとは思えないほどの冷たい言葉で、やりとりは終了した。
私はベッドに仰向けに寝っ転がりながら、深くため息を吐く。
部屋を見渡せば、実家で二十七年過ごした分の荷物が山ほどあった。
これを片付けて、必要なものだけ持って出ていかなければならない。
まさかこんな形で実家から独り立ちすることになるとは思わなかった。
母も急な話に驚いていた。
まさか借金のカタに売られることになっただなんて真相は知られるわけにはいかない。なんとか誤魔化し切らなければ。
私はぐるぐると思考を巡らせながら、なかなか眠れない夜を過ごしたのだった。
(お嬢さんを、私にください……?)
「……は?」
私の口から、間の抜けた声が漏れた。
「結衣を……って、どういう……」
父も、混乱している。
氷室は、まるで商談を進めるように、淡々と続けた。
「私の妻になってください。契約結婚です。私の立場になると、親族から結婚しろという圧力が強くてね。だが、会社を経営している関係上、下手な相手は迎えられない。借金で私に逆らえない立場にいる女性というのは、都合がいい」
とんでもない言い分だった。
「そ、それは、借金のカタに娘を売れということでしょうか?」
「そういうことです」
冷たい声音が私の耳を打つ。
「親族が大人しくなったら離婚すればいい。一度結婚に失敗すれば、うるさくも言ってこなくなるでしょう」
まるで商品の売買のように、ビジネスライクな声音で氷室は説明する。
「そ、そんなことは、到底受け入れられません」
父は震える声で氷室に立ち向かった。
「ならば、いますぐ借金を返してください」
「そんな……」
父は下唇を噛み締めると、青ざめた顔で立ち上がった。
まさか氷室に殴りかかりでもするのではないかと、私が焦ったその時——。
父は床に膝をついて、頭を深々と下げた。
「お、お父さん!?」
社長と呼ぶのも忘れて、私は素になってしまう。
土下座の体勢になった父は、必死で氷室に頼み込んだ。
「ど、どうか、娘だけはお目溢しください。大事な一人娘なんです」
「お父さん……」
会社で働いている時は、厳しかった父。幼い頃から仕事が忙しくて、あまり構ってももらえなかった。
父と頻繁に接するようになったのは、社長と秘書の間柄になってからだった。
だけど——。
(こんなに、大切に思ってもらえていた)
その父を、救う手段が今、私の手の中にある。
だったら……。
「わかりました。その契約結婚の話、お受けします」
「結衣!?」
父は驚きに頭を上げた。
「お父さん、よく考えてみて。こんなに格好いい人で、それも社長だよ。結婚できるなら万々歳じゃない」
私は父を励ますようにぎこちなく微笑んだ。
「氷室社長。妻として、ご迷惑はおかけいたしません。借金を肩代わりしていただくご恩も、決して忘れません。ですから、この契約結婚の話、お受けさせてください」
「いいでしょう。……これが契約書だ」
氷室は、鞄から書類を取り出した。
随分と用意周到だ。契約書まで用意してあったということは、私の情報もすでに調べ尽くされていたということだろうか。
「条件はここに書いてある通りです。同居すること、会食やパーティーにパートナーとして出席すること。SNSへのプライベートに関する投稿は、私のチェックを受けること。夫婦らしく振る舞うこと」
「はい……。わかりました、サインします」
ペンを取る私の横で、「結衣……」と力なく父が呟いている。
「お父さん、大丈夫よ。娘の門出なんだから、祝福して」
励ますように笑顔を向けて、私は契約書にサインした。
「これで契約成立だな」
書類を受け取ると、氷室は立ち上がって私に手を差し出してきた。
「改めまして。氷室玲司だ。よろしく頼む」
私は、その手を握った。
その手は、氷のように冷たかった。
氷室は連絡先を交換し、「また後ほど詳細は連絡する」と告げて去っていく。
「……本当に良かったのか?」
氷室が立ち去ってから、父は力なく尋ねてきた。
「他に方法もないでしょ。個人負債の三千万が全額肩代わりしてもらえるなら、いいじゃない。親戚が大人しくなったら離婚してもいいって言ってくれているんだし」
「だが、あんな冷酷そうな男と……」
「でもハリウッド俳優みたいなイケメンだったよ」
「お前は本当に……」
父は呆れたように嘆息する。朝から倒産の話に、急転直下で契約結婚の話まで出て、私たちは疲れ切っていた。
二人揃ってソファにだらしなく腰掛けてお茶を飲む。
「いいじゃない。でも、契約の話はお母さんには内緒ね」
「そうだな。お前の恋人が借金を肩代わりしてくれたことにしよう」
二人でそう話し合い、顔を見合わせて頷き合う。
その日の夜——。
氷室からメッセージが飛んできた。
『引越しは三日以内に。再来週、私の両親との会食を設定した。月末に婚姻届を提出し、式は来年の春に行うつもりで準備を進める』
(三日以内!?)
あまりに性急な話に、目を剥く。
『氷室さん、三日以内というのはあまりにも急すぎませんか』
『会食前に恋人らしくなる必要がある。時間の余裕があまりない。互いを知るには同居が一番だ。それから、氷室さんでは他人行儀にすぎる。玲司と呼ぶように』
玲司の返答は実務的でけんもほろろだった。
借金を肩代わりしてもらう以上、逆らえる立場ではない。
『わかりました。引っ越しに向けて荷物の整理をしておきます』
『わかったならいい。引っ越し業者はこちらで手配する。では三日後に』
これから夫婦になるとは思えないほどの冷たい言葉で、やりとりは終了した。
私はベッドに仰向けに寝っ転がりながら、深くため息を吐く。
部屋を見渡せば、実家で二十七年過ごした分の荷物が山ほどあった。
これを片付けて、必要なものだけ持って出ていかなければならない。
まさかこんな形で実家から独り立ちすることになるとは思わなかった。
母も急な話に驚いていた。
まさか借金のカタに売られることになっただなんて真相は知られるわけにはいかない。なんとか誤魔化し切らなければ。
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