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12話
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翌週の月曜日。私は玲司の会社——株式会社DOSに初出勤した。
都心のオフィスビルの高層階にあるそのオフィスは、片面ガラス張りの開放的な空間で、白を基調に洗練された雰囲気で整えられている。隅には観葉植物なども置いてあった。
「おはようございます」
受付で名前を告げると、若い女性社員が笑顔で応対してくれた。
「氷室結衣様ですね。申しつかっております。こちらへどうぞ」
案内されたのは秘書室だった。そこには、左手の薬指に結婚指輪がキラリと光る、四十代ほどの女性だった。
なるほど、玲司が「俺に色目を使わない秘書はあいつくらいしか見つからない」と言っていたのが彼女か。
「初めまして。氷室結衣と申します。本日からお世話になります」
私が挨拶をすると、その女性は立ち上がって柔らかく微笑んだ。
「初めまして。秘書の田中梨花です。今日はまず仕事を教えることになっているので、ゆっくり覚えて行ってくださいね」
田中はまず、窓際のデスクに案内してくれる。そこにはパソコンとモニター、新しい文房具が綺麗に揃えてあった。
「デスクの準備までしてくださっていたんですね。ありがとうございます」
「社長からの申し付けですので。まず、秘書の主な業務ですが、スケジュール管理に来客対応、会議の設定と資料の準備、出張の手配などです。細かいやり方はその都度教えますね」
「はい」
「氷室さんはこれまでに社長秘書をやっていた経験があるんですよね」
「はい、大学を卒業してから五年ほどは……」
そう答えると、田中はにっこりと微笑んだ。
「それなら、大きな流れはわかるかと思います。我が社独自の習慣などもあるので、それに関してお伝えしますね」
田中の教え方はわかりやすく、優しく、私はメモをとりながら初めての業務を一つずつ覚えていった。
「氷室、仕事の方は順調か?」
社長室に顔を出すと、玲司が心配そうな顔で尋ねてくる。
社内では公私を分けるために、お互い苗字で呼ぶ約束をしているのだ。とは言っても、両方氷室なのだけれど。
「はい、社長。田中さんのおかげで落ち着いて仕事を覚えられています」
「それは良かった。それで、会議の資料だが……」
「こちらに用意してあります」
田中から渡されていた資料を差し出す。この手の資料は前職でも作っていたので、次からは自分でできそうだ。
そうして初日は仕事内容に少しずつ慣れる形で終わった。
「ふぅ……緊張したぁー」
玲司よりも先に定時を迎えて、家に帰る。玲司が帰ってくるまでの間に夕ご飯を用意しなければ。
仕事を始めることになってから、週末のうちに作り置きもしておいたので、それを出しつつ付け合わせなどをさっと用意した。
掃除や洗濯なんかは週に一度のハウスキーパーがまとめてやってくれているし、クリーニングはコンシェルジュが取り次いでくれるから、家事の負担はあんまりない。
ただ、玲司のあの両親を見て以来、食事だけは温かい手作りのものをなるべく用意しようと考えていた。惣菜パンと栄養ドリンクだけの生活に疑問も持たないような人間に育ったのは、あの両親の影響も多分にあるだろう。これはもう、私の意地のようなものだった。
夜九時ごろになると、玲司が帰ってくる。そしたら用意していた食事を温め直して、一緒に食卓に着いた。
「仕事の方は大丈夫か? やっていけそうか?」
「うん。田中さんも優しいし、社長秘書の仕事は慣れているからすぐに覚えられると思う」
「そうか。俺としても秘書が増えて助かる。田中一人だと負担が大きいからな」
田中には小学生と幼稚園の子供がいるのだという。子供が風邪を引いたりしたらお迎えに行かないといけないし、その時に秘書職が一人では仕事が回らなくて大変だったのだそうだ。だからと言って、下手に玲司に色目を使う人間を秘書にするわけにもいかない。
美形の若手社長ともなると、変な悩みが絶えないようだ。
「そう考えると、お前は本当に思わぬ拾い物だったな」
そう言って玲司はニヤリと笑った。
まったく、人を物みたいに——、と思うけれど。自分でも、社長秘書の経験豊富で、借金で玲司に頭が上がらず、なんでも言うことを聞く家政婦兼秘書兼契約妻というのは便利極まりないだろうな、と思う。
たとえそこに気持ちがなくても、玲司が「手放しがたい」と思ってくれるならそれでいい。
きっといつかは玲司に本当に好きな人が出来たり、親戚が大人しくなったからもう用済みだとかで、別れることになるのだろうけれど……。今はせめて一緒にいられたら嬉しいな、と思う。
私はもう、すっかり玲司の魅力に嵌っていたから。
夕食を済ませ、お風呂にも入って寝る準備を整えると、玲司が不意に後ろからハグしてきた。
「結衣、今日……」
甘い声でねだられる。
夜のお相手をしろ、ということだろう。
「玲司さん、流石に今日は、まだ仕事に慣れていないから……」
流石に玲司のあの激しい抱き方で出勤二日目を迎えるのは不安だった。
「わかった、じゃあ何もしないから、俺の部屋で寝ろ」
「え?」
「抱かないなら別に体の負担はないだろ」
どこか不貞腐れたようにそっぽを向いて、でも頬をほんのりと染めながら、玲司は私の腕を引っ張った。
「一緒に寝るってこと?」
「そうだ。なんか文句あるか」
「いや……ないけど……」
——勘違いしそうになるから、やめてほしい。というのが本音だ。
何もしないけど一緒に寝たいだなんて、まるで本当の夫婦みたいではないか。
玲司はぐいぐいと私を引っ張って自分の寝室に入ると、私を寝かせて抱き枕のように抱きしめてきた。
「お前、やらかくてちょうどいい抱き心地なんだよな」
「抱き枕扱い!? もう……」
玲司は好き勝手なことを言うと、あっという間に寝息を立て始めた。寝付きの良さも、朝早くから夜遅くまで仕事をして体力が保つ秘訣なのだろうか。
私は玲司の寝顔を間近に見て、ドキドキしてしまったせいであんまり眠れなかった。
都心のオフィスビルの高層階にあるそのオフィスは、片面ガラス張りの開放的な空間で、白を基調に洗練された雰囲気で整えられている。隅には観葉植物なども置いてあった。
「おはようございます」
受付で名前を告げると、若い女性社員が笑顔で応対してくれた。
「氷室結衣様ですね。申しつかっております。こちらへどうぞ」
案内されたのは秘書室だった。そこには、左手の薬指に結婚指輪がキラリと光る、四十代ほどの女性だった。
なるほど、玲司が「俺に色目を使わない秘書はあいつくらいしか見つからない」と言っていたのが彼女か。
「初めまして。氷室結衣と申します。本日からお世話になります」
私が挨拶をすると、その女性は立ち上がって柔らかく微笑んだ。
「初めまして。秘書の田中梨花です。今日はまず仕事を教えることになっているので、ゆっくり覚えて行ってくださいね」
田中はまず、窓際のデスクに案内してくれる。そこにはパソコンとモニター、新しい文房具が綺麗に揃えてあった。
「デスクの準備までしてくださっていたんですね。ありがとうございます」
「社長からの申し付けですので。まず、秘書の主な業務ですが、スケジュール管理に来客対応、会議の設定と資料の準備、出張の手配などです。細かいやり方はその都度教えますね」
「はい」
「氷室さんはこれまでに社長秘書をやっていた経験があるんですよね」
「はい、大学を卒業してから五年ほどは……」
そう答えると、田中はにっこりと微笑んだ。
「それなら、大きな流れはわかるかと思います。我が社独自の習慣などもあるので、それに関してお伝えしますね」
田中の教え方はわかりやすく、優しく、私はメモをとりながら初めての業務を一つずつ覚えていった。
「氷室、仕事の方は順調か?」
社長室に顔を出すと、玲司が心配そうな顔で尋ねてくる。
社内では公私を分けるために、お互い苗字で呼ぶ約束をしているのだ。とは言っても、両方氷室なのだけれど。
「はい、社長。田中さんのおかげで落ち着いて仕事を覚えられています」
「それは良かった。それで、会議の資料だが……」
「こちらに用意してあります」
田中から渡されていた資料を差し出す。この手の資料は前職でも作っていたので、次からは自分でできそうだ。
そうして初日は仕事内容に少しずつ慣れる形で終わった。
「ふぅ……緊張したぁー」
玲司よりも先に定時を迎えて、家に帰る。玲司が帰ってくるまでの間に夕ご飯を用意しなければ。
仕事を始めることになってから、週末のうちに作り置きもしておいたので、それを出しつつ付け合わせなどをさっと用意した。
掃除や洗濯なんかは週に一度のハウスキーパーがまとめてやってくれているし、クリーニングはコンシェルジュが取り次いでくれるから、家事の負担はあんまりない。
ただ、玲司のあの両親を見て以来、食事だけは温かい手作りのものをなるべく用意しようと考えていた。惣菜パンと栄養ドリンクだけの生活に疑問も持たないような人間に育ったのは、あの両親の影響も多分にあるだろう。これはもう、私の意地のようなものだった。
夜九時ごろになると、玲司が帰ってくる。そしたら用意していた食事を温め直して、一緒に食卓に着いた。
「仕事の方は大丈夫か? やっていけそうか?」
「うん。田中さんも優しいし、社長秘書の仕事は慣れているからすぐに覚えられると思う」
「そうか。俺としても秘書が増えて助かる。田中一人だと負担が大きいからな」
田中には小学生と幼稚園の子供がいるのだという。子供が風邪を引いたりしたらお迎えに行かないといけないし、その時に秘書職が一人では仕事が回らなくて大変だったのだそうだ。だからと言って、下手に玲司に色目を使う人間を秘書にするわけにもいかない。
美形の若手社長ともなると、変な悩みが絶えないようだ。
「そう考えると、お前は本当に思わぬ拾い物だったな」
そう言って玲司はニヤリと笑った。
まったく、人を物みたいに——、と思うけれど。自分でも、社長秘書の経験豊富で、借金で玲司に頭が上がらず、なんでも言うことを聞く家政婦兼秘書兼契約妻というのは便利極まりないだろうな、と思う。
たとえそこに気持ちがなくても、玲司が「手放しがたい」と思ってくれるならそれでいい。
きっといつかは玲司に本当に好きな人が出来たり、親戚が大人しくなったからもう用済みだとかで、別れることになるのだろうけれど……。今はせめて一緒にいられたら嬉しいな、と思う。
私はもう、すっかり玲司の魅力に嵌っていたから。
夕食を済ませ、お風呂にも入って寝る準備を整えると、玲司が不意に後ろからハグしてきた。
「結衣、今日……」
甘い声でねだられる。
夜のお相手をしろ、ということだろう。
「玲司さん、流石に今日は、まだ仕事に慣れていないから……」
流石に玲司のあの激しい抱き方で出勤二日目を迎えるのは不安だった。
「わかった、じゃあ何もしないから、俺の部屋で寝ろ」
「え?」
「抱かないなら別に体の負担はないだろ」
どこか不貞腐れたようにそっぽを向いて、でも頬をほんのりと染めながら、玲司は私の腕を引っ張った。
「一緒に寝るってこと?」
「そうだ。なんか文句あるか」
「いや……ないけど……」
——勘違いしそうになるから、やめてほしい。というのが本音だ。
何もしないけど一緒に寝たいだなんて、まるで本当の夫婦みたいではないか。
玲司はぐいぐいと私を引っ張って自分の寝室に入ると、私を寝かせて抱き枕のように抱きしめてきた。
「お前、やらかくてちょうどいい抱き心地なんだよな」
「抱き枕扱い!? もう……」
玲司は好き勝手なことを言うと、あっという間に寝息を立て始めた。寝付きの良さも、朝早くから夜遅くまで仕事をして体力が保つ秘訣なのだろうか。
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