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第9章

71.水色の手紙

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「ふぁわぁぁ~、ッと…失礼。マーサ、今のは見なかったことにしてちょうだい」

こらえきれずに出た大きな欠伸あくびを、髪を結いあげてくれているマーサに鏡越しに見られていたことに気がついた。咄嗟に謝罪をしたが厳しいマーサが見逃してくれるはずもなく、冷ややかな声が降ってきた。

「お嬢様。例え私しかいないとはいえ、そんな大きなお口を開けては下品です。もう少し、淑やかさを意識なさいませんと」

眉を潜めて冷たい視線でジト目で睨まれれば、ユーナは肩をすくめるしかない。

年頃の令嬢が外でこんなに大きな口を開けては社交界で噂の的になってしまうことはマーサに指摘されなくても分かっているのだが、記憶を思い出してからはつい前世の記憶に引っぱられてしまうのだ。

マーサと二人っきりの時ぐらい多目に見て欲しいものである。昨夜はずっとリリスのことが気になって頭から離れなかったせいで、ロクに眠ることが出来なかったのだ。そのせいで起きてから欠伸が多い。できたら二度寝をするべく、ベッドにダイブしたいくらいだ。

「ハイハイ、分かったわマーサ。次は気をつけるわ」

「そう言って気をつける気など無いでしょう。せめて、外では淑やかな令嬢でいて下さいませ。そうしないと、素敵な殿方に逃げられてしまいますよ?」

「素敵な殿方が私に興味を持つ訳がないでしょうマーサ」

「そうでしょうか?」

笑いの含んだ声を怪訝に思い、ちょうど髪を結い終わったマーサを見る。

目の合ったマーサはフフッと小さく笑ってユーナから離れて、近くにあったティーカップなどを乗せたカートの上から淡い水色の封筒を取って見せてくれた。

「アーシェス・クルス公爵様からですよ。お嬢様、いつの間にクルス公爵様とお近づきになったんです。もしかして、公爵様が以前おっしゃってた〝シェス〞様だったりします?」

にこにこと笑って根掘り葉掘り聞いてくる気のマーサに思わず後退って逃げてしまう。

「よ、よく覚えてたわねマーサ」

「そりゃあ、お嬢様のことですもの覚えてますよ。それに、滅多に男性のお名前なんて口にしないのですから尚更です。それで、手紙はデートのお誘いですか?」

ガクリとうなだれながらも受け取った手紙をペーパーナイフで開けると、中からは封筒と同じ淡い水色の便箋が入っていた。流れるような美しい文字は、きっとシェスの人柄が現れている。サッと目を通すと、中身は予想通りの内容であった。

「残念だったわねマーサ。デートではなくて剣の稽古のお誘いよ。この間お会いした時にお願いしてあったの。次の週末がお休みなのでどうかって。特に予定入ってなかったはずよね?」

「予定は入っておりませんが、剣の稽古ですか。お嬢様が剣をたしなむ必要は無いと思いますよ」

以前、男になりたい発言を聞いているだけに、マーサは不安そうな顔でユーナを見てきた。

「いいえ、マーサ。前にも言ったように私は自分で自分を護れるようになりたいの。それにはまず、剣を学びたい。学ぶなら剣の扱いに長けた方が良いと思ったの。だから、お兄様にも勝ったアーシェス様にお願いしたのよ」

「お嬢様自身が剣を持たなくても、護衛の方々やイシス様がお嬢様を護って下さいます。剣は玩具ではありません。剣は己を護りもしますが、相手に傷をも負わせる武器です。最悪、相手を殺してしまいます。お嬢様はそれでも剣を持つのですか?」

あんなに不安そうな顔をしていたマーサは覚悟を決めたのか、揺らいでいた瞳に強い芯を宿してユーナをしっかりと見つめていた。マーサの本気を感じ、ユーナも改めて覚悟をグッと決める。

「マーサ、ごめんね。それでも私は剣を持つわ。そんな簡単な想いで剣を持とうと思った訳じゃないの、と言いたいけれど弱音を吐く時も正直あると思うわ。そんな時は私が折れないように支えてくれる…?」

生半可な気持ちで剣を取った訳ではないが、いざ実戦になっておくすることもあるだろうし、いくら心が男だろうと敵を殺めて1つも気にしない神経などユーナにはない。

きっと夜になって1人悶々と自問自答して、自分を責めてしまうだろう。心が折れる時もあるだろう。そんな時、1番身近なマーサが支えてくれたら心強いに違いない。頼りになる姉にすがるように、マーサを、見つめる。

そんなマーサも、歳の離れた妹のようにユーナのことを大事に大事にお仕えしてきた。長年一緒にいた妹の不安などお見通しだと、いつもと変わらぬ微笑みで優しく頷いた。

「もちろんですよ。お嬢様をお助けするのが私たち使用人のお仕事であり、私の喜びですからね。お嬢様がイヤって言うまでこのマーサ、お嬢様に引っ付いて離れませんからね!弱音なんてドンと来いです。だから、1人で泣かないで下さいませね。ユーナお嬢様」

「マーサ…!!」

安堵で頬が何か濡れた気がするけれど、きっと気のせいということにして、マーサの変わらぬ忠誠と温もりに胸がいっぱいになりつつユーナはシェスに返事のふみを書いたのだった。

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