モフ愛強めの私はまったりもふもふライフを目指す

羽田宇佐

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獣使いの愛は止まらない

第9話 変態になった覚えはない

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 てくてくと歩いて猫編集部の前までやってくると、もう十二時を回っていてどっと疲れが出る。何らかの成果があれば、疲れなんて感じる間もなく楽しい気分で中へ入れるけれど、相変わらず獣使いとしては役に立ちそうになくて溜息しか出ない。

「戻りました」

 カチャリとドアを開けて挨拶をすると、本を読んでいたサカナさんが顔を上げた。

「瀬利奈さん、どうでしたか?」
「えーっと……」
「ダメだったよー。みんな逃げちゃった」

 言い淀んだ私のかわりに、乙女が答える。

「ううっ、すみません」
「謝らなくてもいいですよ。まだ二回目ですからね」

 サカナさんの柔らかな声に、少し気持ちが軽くなる。
 でも、それは一瞬だけ。
 すぐにタロウ編集長の厳しい声が飛んでくる。

「サカナ、お前は甘すぎる。そんなことじゃ、いつまでたっても立派な獣使いになれないだろ。いいか、人間。さっさと猫くらい触れるようになれ」
「私も、早く触れるようになりたいです。でも、逃げちゃうんです。どうしたら良いでしょう?」
「どうしたらって、そんなの決まってるだろ。人間、お前は普通になれ。お前の動物好きは気持ち悪すぎる」

 いつも通りの口調でタロウ編集長が言う。
 その声色から悪気がないことがわかるけれど、悪気がないことがかえってよろしくない。

 だって、それって、タロウ編集長が本気で私のことを気持ちが悪いって思っていることになるわけで――。

 おかげで今、私の繊細な心はチェーンソーで真っ二つにされ、再起不能なほどに血を流している状態だ。

「そんなに気持ち悪いですか? 私は普通のつもりなんですけど」

 よろよろと席に座りながら、タロウ編集長を見る。

「普通じゃないぞ。猫になってお前を見てると、なんか、こう、ぞわぞわする」
「ううっ。それ、私が変態みたいじゃないですかっ」

 高校二年生の女の子を捕まえて、普通じゃないとか気持ちが悪いとか口が悪すぎる。大体、猫をぞわぞわさせるほど変態になった覚えはない。
 しかし、タロウ編集長はつれない返事を投げつけてくる。

「変態かどうかは知らんが、気持ち悪いし、怖いぞ。だからさっさと普通になって、猫を手懐けてこい」
「そんなあ。すぐには無理です」
「編集長、甘いくらいで丁度良いんですよ。厳しくしてもできないものは、できないんですから。瀬利奈さん、のんびりやりましょう」

 そう言うと、サカナさんが私の隣にやってきて頭を撫でてくれる。

「サカナさーんっ」

 心優しいサカナさんの声と手に救われた私は、彼女の体にこつんと額をぶつけた。
 今のこの殺伐とした編集部の清涼剤。
 サカナさんがいれば、強く生きていけそうな気がする。

「リナ、わたしもー」

 弾んだ声が聞こえてきて、私は隣を見る。すると、乙女が私に飛びついてきて、ぺろりと頬を舐めた。

「わっ! ちょっと、乙女。舐めないの」
「えー」

 隣で不満そうな声を出す乙女をぐいっと押して遠ざけ、私はしゃきりと体を伸ばす。すっかり忘れていたけれど、今日の私にはやらなければならないことがあったのだ。

 それは、人間の姿でしてはいけないことを乙女に教えること。

「乙女! 人間のルールその一。人を舐めない」

 ぴしゃりと言って、乙女を椅子に座らせる。

「そんなルール、人間にあるの?」
「ないけど。普通はルールを作らなくても舐めないから」
「人間って、つまんないの」
「つまらなくても、ルールだから守ってね」

 先生になったつもりで、乙女に言い聞かせる。けれど、彼女は人間のルールがお気に召さないらしく、眉根を寄せて私をじっと見た。

「守らなかったら、どうなるの?」
「ええっと」

 どうしよう。
 それは、考えていなかった。
 うーんと唸りながら数十秒考えて、一つの答えを導き出す。

「おやつのニャール抜き」
「それ、やだっ。人間のルール守るね!」

 猫の耳があったらぺたんと寝かせる勢いで、乙女が言う。
 随分と情けない顔をしているから、想像以上にニャール抜きという罰則が堪えたようだ。

 もしも、乙女がルールを守らないことがあって、そんなときにしょんぼりした彼女を前に毅然とした態度でニャールを抜く精神力が自分にあるかは疑問だけれど、罰則に効果があってほっとする。

「わかったならよろしい」

 にこりと微笑んで乙女の頭を撫でていると、タロウ編集長からトゲトゲした声が飛んでくる。

「人間と乙女、うるさいぞ」
「まあまあ、編集長。うるさくてもいいじゃないですか。もうお昼ですし」

 サカナさんが壁掛け時計を指さすと、タロウ編集長のお腹がぐうっと鳴った。

「確かに、昼飯の時間だな」
「もうすぐセレネとコテツがお昼を持ってきますから、みんなで食べましょう」

 編集部に明るい声が響き、サカナさんが空きスペースにマットのようなものを敷く。そして、どこから引っ張り出してきたのか大きなテーブルを置くと、トレイを持った黒髪のお兄さんが現れた。

「皆さん、お昼ご飯を持ってきました」

 二十代半ばくらいのお兄さんはそう言うと、テーブルの上に焼きたてと思わしき鮭の切り身とほかほかのご飯、湯気が上がるお味噌汁を並べていく。配膳が済むとサカナさんが上機嫌で「コテツ、ありがとう」とお礼を言って、こちらを向いた。

「瀬利奈さんと乙女もこちらに。席は適当でいいですよ」

 二人で促されるままテーブルの前に座ると、向かい側から声をかけられる。

「初めまして、瀬利奈さん。僕はコテツと言います」

 ピシッとアイロンがかけられた折り目正しいズボンにワイシャツ、さらにネクタイをきっちりと締めたコテツさんが真面目そうな外見通り、凜とした声で私に挨拶をした。

「初めまして、吉井瀬利奈です。よろしくお願いします」

 私がぺこりと頭を下げると、前々からこの国に来ていてコテツさんと顔見知りらしい乙女が軽い挨拶を交わした。そして、待ちきれないといった口調でタロウ編集長が宣言をする。

「挨拶はそれで終わりだ。早く食べよう」

 いただきます、とみんなで手を合わせてから、箸を取る。味噌汁を飲むと、良い具合に煮干しの出汁が利いていた。

 家で飲む味噌汁よりも、美味しいかもしれない。

 鮭を口にすると、脂がのった身はこれ以上ないくらいの塩加減で箸が止まらない。ただ焼いてあるだけなのに、ふっくら柔らかくて一枚どころか三枚くらい食べられそうだ。
 隣を見ると、乙女も黙々と食べている。

「瀬利奈さん、美味しいですか?」

 コテツさんに問いかけられて、私は首を縦に振る。

「この鮭、すごく美味しいです。今までお肉の方が好きだったんですけど、魚大好きになりました」
「それは良かったです。鮭もご飯もたくさんありますから、好きなだけ食べてください」
「ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げて、私は幸せをかみしめる。

 この鮭をたくさん食べていいなんて。
 ご飯もたくさんあるなんて。

 太ってもいいから、死ぬほど食べたい。

「僕たち魚が好きで、つい作り過ぎちゃうんです。特にサカナさんは魚が大好きで、だからサカナさんと呼ばれているんですよ」

 コテツさんの言葉に、私は今まで止まらなかった箸を止めてサカナさんを見る。すると、彼女は目の色を変えて鮭を食べていた。

 そうだよね、猫だもん。

 クールなサカナさんが、一心不乱に鮭を食べていてもおかしくない。タロウ編集長だってうにゃうにゃ言いながら鮭を食べているし、コテツさんも二人ほどではないにしろ箸を忙しなく動かしている。

 でも、ちょっと気になることがある。
 この鮭、丁度良い塩味で美味しいんだけれど、猫が食べたら塩分過多にならないんだろうか。

「ところで、みなさん。人間のご飯食べて大丈夫なんですか?」

 私が素朴な疑問を口にすると、タロウ編集長が自信たっぷりの声で言った。

「人間の姿のときは大丈夫だ」
「へえ。便利ですね」

 私は二枚目の鮭を食べている乙女を見ながら胸を撫で下ろし、ご飯をおかわりして三枚目の鮭をほぐして口に運ぶ。

 何枚食べても美味しい。
 ほかほかご飯にぴったりだ。
 私が鮭の旨味に感動していると、食事を終えたらしいタロウ編集長が思い出したように言った。

「そう言えば、コテツ。セレネはどこに行ったんだ?」
「さあ? さっきまでいたはずですが」
「あいつはまたふらふらと。なんでちゃんとできないんだ」
「セレネですからねえ。無理じゃないですか?」
「僕もそう思います」

 何枚目かわからない鮭の切り身を頬張りながら言ったサカナさんの言葉に、コテツさんが同意する。

 私はまだ“セレネさん”を見たことがない。
 でも、随分と適当な性格だということだけはわかる。
 三人の口ぶりから、今日、セレネさんに会うことはできなそうだと思った瞬間、バンッとドアが開いた。

「ごはーん! ごはん食べちゃいましたかっ?」
「セレネ、お前っ。どこ行ってたんだっ」
「あ、編集長。すみません。隣の国の使者が来てるっていうから、見に行こうと思って」
「お前は馬鹿か。使者が来てるのは管理局だ。歩いて五分で行けるような距離じゃないんだぞ」
「だから、行くのやめました」

 鳥の羽くらいふわりと軽く言って、セレネさんが私とサカナさんの間に座る。
 私は初めて会うセレネさんのことが気になったけれど、それ以上に頭に残った言葉を口にする。

「隣の国って、この国に隣があるんですか?」
「あるに決まってるだろ。今日、使者を送ってきたのはケット・シーの国だ」

 ケット・シー?

 聞いたことのない名前に、私の猫耳がぴんっと立った。
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