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終章 さよならは春の日に

16.名前

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 次に転移したのは自宅の前だ。夏也に会うつもりは無かったが、一応あの神様とは最後に話しておこうと思っていた。

 俺が家に入ろうとすると、またしても背後から声を掛けられる。

『友和殿!』 

 振り返ると、河童の長エンロウとサブローがちょこんと並んで立っていた。

『蛮神の封印に成功されたとの事、おめでとうございます。お陰様で我々河童も安心して暮らせるようになりました。本日はその御礼に参上しまして……あの神様もこちらにおいでで?』

『ああ。家に居ると思うが、これから皆で出掛けるらしくてな……』

『そうでしたか、お忙しいところ申し訳ありませんでした……では、こちらだけお渡しいただけますか? 我々のほんの気持ちです』

 エンロウがそう言うと、サブローが持っていた包みをニコニコとこちらに差し出した。それは笹の葉に包まれた魚のようだった。沢山入っているのか随分と重たい。

『里の近くの川で捕ったサクラマスです。皆さんで召し上がってくだされ。いや元より長居するつもりは無かったので、私一人で伺うつもりでしたが、ケプも……いや、サブローも一緒に行きたいと言って聞きませんでな』

『ケプ?』

 俺が思わず聞き返すと、エンロウは皺々の目を瞬かせて説明した。

『サブローの本当の名はケプというのです。もう随分昔の事ですが、この子はよく川で人間の子供達と遊んでおりました。その中に大変気が合った少年が居て、その子の名前が二郎という名だったそうです。サブローという名は、その少年がつけてくれて、以来この子は自らをサブローと名乗るようになりましてな』

 サブローは二郎の名が出たからか、クプーと嬉しそうに笑った。

『そうか……河童にしちゃ変わっていると思ったが、お前には大切な名前だったんだな。だが随分昔って事は、二郎の方が先に大人になってしまったんじゃないか?』

『ええ……彼が川に来なくなってから暫くの間、サブローの落ち込み方は酷いものでした。また遊びたいと思っても、人間の寿命を考えると……二郎はもうこの世にはおらんのです。会いたいと願っても、もう二度と会う事は叶わない。それでも、サブローがその名を使い続ける限り、彼との思い出はずっと消えないのです……長く生きるというのは、時として残酷なものですな』

 俺は、その話に少し胸が痛むのを感じた。
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