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第二話 紅葉に輝く寵童
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屈辱の夜が明けた数日後の昼下がり。
心の傷を癒すように、菖蒲は庭に面した濡れ縁で、一人、古い歌を口ずさんでいた。
昔はこんなこともできなかった。閨の翌日は決まって声が枯れていた。それほど、夫の肉欲は強く、我が身も悲鳴に近い声を上げさせられ、いつも目の前の景色を忘れて、天高く昇らされるような気持ちにされたものだった。
夫の肉体に衰えはなく、菖蒲の身体もますます女らしくなり、むしろ熟しているのを感じている。濡れやすく、感じやすく、それに男の肉体を求める気持ちが昂りやすくなっている。
城内の男衆の目が、これまでに見たこともない、さりとて触れるわけにはいけない果実を見るような目で、我が身を見ることがある。
しかし、それをどうすることもできない。
──この胸の柔らかさは、侍女にすら理解されていないだろう。彼女たちにとって、それに触れるのは悦びではなく、わたくしが受ける屈辱と同じ、心を疲れさせるご奉公でしかない。
もちろん、互いの愛を確かめ合う、下腹部の茂みと潤いも侍女にすれば、女主人の不潔で尾籠な一器官でしかない。動物的にそれを扱っているだけだった。
こんなことを考えていると、顔色が曇ってくる。我が身も我が心も自ら癒し、慰めるしかない。
このため、景色を眺める時間が増えた。幸い、天正の終わりか、慶長の初めにかけて、お城は、戦の要害であるだけでなく、人々の目を楽しませ、その心を和ませることが求められる時代になってきた。
このため、城内の庭園も当世流行りの庭師が手を入れるようになり、外を歩くより美しい景色を楽しみやすい場となっていた。
部屋を出て、廊下に姿を現すと、庭園で色づき始めた紅葉を見ることができる。西日に照らされて燃えるように美しい。
菖蒲にとって、毎日ほんの少しずつ変わっていく、この景色が何よりの友であった。思考などない人工的な自然の美、そこにだけ自分の心を預けられた。
だが、その時だった。少し離れたところから、男と年少者の笑い声が聞こえてくる。
庭の向こうに、見えてしまう。
夫と、そしてその夫と並んで歩くその姿。
鶴丸──。
夫が寵愛する、十七歳の小姓だった。
忠晴は、満面の笑みを浮かべていた。
菖蒲との閨では決して見せることのない、子供のような朗らかな笑顔。忠晴は、庭の楓の木から落ちた一枚の真っ赤な葉を拾い上げると、屈んで、鶴丸の豊かな黒髪にそっと挿してやった。
「ほうら、鶴。紅葉の簪ぞ。似合うておる」
「もったいのうございます、御屋形様」
鶴丸は、はにかむように頬を染め、嬉しそうに微笑んだ。その華奢な姿は、息を呑むほど美しかった。
女と見紛う──という表現では足りない。性別を超越した、一種の完成された造形美がそこにあった。唇の赤さは手を入れていない天然の色を浮かべていた。
──あれは、天が作り給うた天人か、それとも魔性か。
忠晴が、鶴丸の腰を、慈しむように抱く。自分には決して向けられることのない、優しい眼差し。
菖蒲の全身を、燃えるような嫉妬が駆け巡った。
昨夜、自分が耐え忍んだ、あの屈辱的な儀式。
望まない若い侍女たちの手で、自分の身体を強引に発情させて、あの男はその収穫を摘み取るためだけに、自分の欲望を差し込んできた。しかも、その目的は快楽ですらない、政治的な、経済的な、世間的な、妥協的な生殖行為。
あれは一体、何だったのか。
私から実るのは、ただの作物。それも、ただ食べるため、あるいは肥やしとするためだけの。そして、その実で自身を養い、彼はあの美しい花を愛でることを何よりの歓びとしている。
許せない。
──許せない、許せない、許せない。
あの小姓。あのか弱い雛鳥が、私の誇りを、女の喜びを、そして夫の心を奪っている。
ならば、私も奪い返してやる。
あの男が忘れた戦国の気風。それがわたくしの中には、まだ生きている。荒々しく奪い取ることの愉しさ、憎むべきものを足蹴にして浮かべる高笑いの愉しさ。
──あの男が愛でる、その美しい花を、根こそぎ、奪い取ってくれよう。わたくしの手足から上げられる、絶望の声をこの耳で聞いてくれよう。
ふと、その鶴丸が、菖蒲に視線を向けた。
そして、濡れ縁に座る菖蒲の姿に気づくと、驚いたように身を固くし、慌てて深く頭を下げた。その怯えたような仕草が、菖蒲の心に、さらに油を注いだ。
菖蒲は、能面のような無表情を保ったまま、すっと立ち上がると、部屋の奥へと戻った。
手を打って、奥に控えていた侍女頭の瀬戸を呼びつける。
「瀬戸」
「は」
「……殿の、あの小姓。名を、鶴丸と申したか」
その名を聞いて、瀬戸は一瞬、不吉な予感を抱いたが、その思いを一切表に出すことなく、澱みなく返答した。
「はい。左様にございます」
「あの子、香に詳しいと聞いた。明日、私の部屋へ呼ぶように。先日拝領した香木が、どうにも湿気てしもうたようゆえ。目利きをさせよ」
「……かしこまりました」
瀬戸は、主の氷のような瞳の奥に、見たこともない炎が揺らめいているのを見た。しかし、何も問わず深く頭を下げた。
──鳴かせてみせよう、あの花を。最期の泣き声となるほどまでに。
心の傷を癒すように、菖蒲は庭に面した濡れ縁で、一人、古い歌を口ずさんでいた。
昔はこんなこともできなかった。閨の翌日は決まって声が枯れていた。それほど、夫の肉欲は強く、我が身も悲鳴に近い声を上げさせられ、いつも目の前の景色を忘れて、天高く昇らされるような気持ちにされたものだった。
夫の肉体に衰えはなく、菖蒲の身体もますます女らしくなり、むしろ熟しているのを感じている。濡れやすく、感じやすく、それに男の肉体を求める気持ちが昂りやすくなっている。
城内の男衆の目が、これまでに見たこともない、さりとて触れるわけにはいけない果実を見るような目で、我が身を見ることがある。
しかし、それをどうすることもできない。
──この胸の柔らかさは、侍女にすら理解されていないだろう。彼女たちにとって、それに触れるのは悦びではなく、わたくしが受ける屈辱と同じ、心を疲れさせるご奉公でしかない。
もちろん、互いの愛を確かめ合う、下腹部の茂みと潤いも侍女にすれば、女主人の不潔で尾籠な一器官でしかない。動物的にそれを扱っているだけだった。
こんなことを考えていると、顔色が曇ってくる。我が身も我が心も自ら癒し、慰めるしかない。
このため、景色を眺める時間が増えた。幸い、天正の終わりか、慶長の初めにかけて、お城は、戦の要害であるだけでなく、人々の目を楽しませ、その心を和ませることが求められる時代になってきた。
このため、城内の庭園も当世流行りの庭師が手を入れるようになり、外を歩くより美しい景色を楽しみやすい場となっていた。
部屋を出て、廊下に姿を現すと、庭園で色づき始めた紅葉を見ることができる。西日に照らされて燃えるように美しい。
菖蒲にとって、毎日ほんの少しずつ変わっていく、この景色が何よりの友であった。思考などない人工的な自然の美、そこにだけ自分の心を預けられた。
だが、その時だった。少し離れたところから、男と年少者の笑い声が聞こえてくる。
庭の向こうに、見えてしまう。
夫と、そしてその夫と並んで歩くその姿。
鶴丸──。
夫が寵愛する、十七歳の小姓だった。
忠晴は、満面の笑みを浮かべていた。
菖蒲との閨では決して見せることのない、子供のような朗らかな笑顔。忠晴は、庭の楓の木から落ちた一枚の真っ赤な葉を拾い上げると、屈んで、鶴丸の豊かな黒髪にそっと挿してやった。
「ほうら、鶴。紅葉の簪ぞ。似合うておる」
「もったいのうございます、御屋形様」
鶴丸は、はにかむように頬を染め、嬉しそうに微笑んだ。その華奢な姿は、息を呑むほど美しかった。
女と見紛う──という表現では足りない。性別を超越した、一種の完成された造形美がそこにあった。唇の赤さは手を入れていない天然の色を浮かべていた。
──あれは、天が作り給うた天人か、それとも魔性か。
忠晴が、鶴丸の腰を、慈しむように抱く。自分には決して向けられることのない、優しい眼差し。
菖蒲の全身を、燃えるような嫉妬が駆け巡った。
昨夜、自分が耐え忍んだ、あの屈辱的な儀式。
望まない若い侍女たちの手で、自分の身体を強引に発情させて、あの男はその収穫を摘み取るためだけに、自分の欲望を差し込んできた。しかも、その目的は快楽ですらない、政治的な、経済的な、世間的な、妥協的な生殖行為。
あれは一体、何だったのか。
私から実るのは、ただの作物。それも、ただ食べるため、あるいは肥やしとするためだけの。そして、その実で自身を養い、彼はあの美しい花を愛でることを何よりの歓びとしている。
許せない。
──許せない、許せない、許せない。
あの小姓。あのか弱い雛鳥が、私の誇りを、女の喜びを、そして夫の心を奪っている。
ならば、私も奪い返してやる。
あの男が忘れた戦国の気風。それがわたくしの中には、まだ生きている。荒々しく奪い取ることの愉しさ、憎むべきものを足蹴にして浮かべる高笑いの愉しさ。
──あの男が愛でる、その美しい花を、根こそぎ、奪い取ってくれよう。わたくしの手足から上げられる、絶望の声をこの耳で聞いてくれよう。
ふと、その鶴丸が、菖蒲に視線を向けた。
そして、濡れ縁に座る菖蒲の姿に気づくと、驚いたように身を固くし、慌てて深く頭を下げた。その怯えたような仕草が、菖蒲の心に、さらに油を注いだ。
菖蒲は、能面のような無表情を保ったまま、すっと立ち上がると、部屋の奥へと戻った。
手を打って、奥に控えていた侍女頭の瀬戸を呼びつける。
「瀬戸」
「は」
「……殿の、あの小姓。名を、鶴丸と申したか」
その名を聞いて、瀬戸は一瞬、不吉な予感を抱いたが、その思いを一切表に出すことなく、澱みなく返答した。
「はい。左様にございます」
「あの子、香に詳しいと聞いた。明日、私の部屋へ呼ぶように。先日拝領した香木が、どうにも湿気てしもうたようゆえ。目利きをさせよ」
「……かしこまりました」
瀬戸は、主の氷のような瞳の奥に、見たこともない炎が揺らめいているのを見た。しかし、何も問わず深く頭を下げた。
──鳴かせてみせよう、あの花を。最期の泣き声となるほどまでに。
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