青年と母と娘、大凶の恋

羽翼綾人

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【第4話】妾に『法力の源』を授けよ

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 翌週の駅前。
 彼女は、約束の時間の三十分前にはそこにいた。
 遠くからでも、やはり目立つ。
 いつもいつから待ち合わせ場所にいるのだろうと思って、かなり早く出たのに、それでも先にそこにいるとは思わなかった。
 彼女から見えないところに移動して、LINEで『もうついた?』と送ると、『いや、少し遅れるかもしれぬ。しかしそなたには遅れることを許さぬ』と帰ってくる。
 まったく、大した女の子だ。
 通る人たちが彼女の様子をチラチラと見る。
 地方都市でこの格好は珍しいから、無理もない。
 近づいて観察すると、今日の装いは、前回とは少し趣が違っていた。
 基本は黒のゴシック調の軍服仕立てだが、スカートの丈が少し長く、頭には大きな黒いリボンが結ばれている。
 僕は、一人にしておけなくて、彼女に声をかけた。

「あ、遅れなかったんだ。よかった。今日の服、いいね」

 そういうと、頬を綻ばせて「ふふん」と得意げな顔をした。

「今日は、市街地潜伏用の迷彩衣装。いつもとは違うであろう?」

 ちょっとその言葉の解釈に困惑する。どう見ても現実離れした物語世界の、深窓のご令嬢にしか見えない。
 今日のデートコースは、水族館だった。
 薄暗い館内で、青白い光に照らされた彼女の横顔は、幻想的で可愛らしかった。
 彼女は、巨大な水槽の前で立ち止まり、回遊するイワシの群れをじっと見つめていた。
 先週よりも、子供っぽさが少しだけ抜けている気がした。

「……ほう。これらすべてが、ひとつの意思によって統率されているかのようじゃ。自然の統制、見事な規律よ」
「そうだね。ぶつからないのが不思議なくらいだ」
「うむ。妾の精神もかくありたいものじゃ。……おっ、あれは美味そうじゃな」

 彼女が指差したのは、巨大なタカアシガニだった。
 前言撤回。やっぱり子供みたいに感性の振れ幅が激しい。
 それでも彼女からは、好きな大人に見てほしい、かまってほしいというようなギラギラ感が和らぎ、この時間を落ち着いて楽しみたい気持ちが強くなっているようだった。
 僕たちは水族館を楽しみ、近くの公園でクレープを食べた。これが今日の『浄化』の最後のひととき。
 彼女がクリームを膝の上に落としたので、僕がそれを指で拭うと、「ぶ、無礼者っ」と喚いた。
 そんなやり取りが、愛おしかった。
 そして楽しい時間は、早く過ぎ去る。
 空は茜色に染まり始めていた。彼女が気にする「門限」の時間が近づいている。

「……秀一」

 露西亜が、唐突に口を開いた。
 膝の上で、華奢な手をぎゅっと握りしめている。

「そろそろ、帰還の刻限じゃ」
「そうだね。そこまで送っていくよ」
「……その前に」

 彼女は、顔を上げ、僕を真っ直ぐに見つめた。

「かの儀をしようか。……先週のように、妾に『法力の源』を授けよ」

 先週のように──。
 あの日、僕は別れ際、彼女の頬に手を当てて、初めてのキスをした。
 それは、唇が軽く触れるだけの、挨拶のようなバードキスだった。
 あの時、彼女はフリーズした。
 もしかして、やっぱり初めてだったかな、と思ったが、彼女はそこで振り返りもせず、そのまま早足に帰途についた。
 この時まで、あの時のことを言葉にしなかった。
 だから、予感はしていた。
 そう仕向けたと言われてもいい。
 今の彼女は、これまでにないぐらい無邪気に微笑んでいる。

「ここで?」
「うむ。今すぐにじゃ」

 まだ周囲には人がいる。親子連れや、散歩中の老人。

「人が見てるよ。駅の近くまで行ってから……」
「ならぬ! 今、ここでじゃ! わが法力が尽きかけておるのじゃ!」

 彼女は突然、僕の首に腕を回し、しがみついてきた。
 黒いリボンの隙間から、ミルクのような甘い香りが漂ってくる。
 彼女の体は、小刻みに震えていた。
 人目も憚らず、ただひたすらに温もりを求めてくるその姿は、高潔な令嬢というよりは、迷子の子供のようだった。
 僕は彼女の腰を抱き寄せると、そのままベンチを立ち、公園の奥にある木立の影へと彼女を誘導した。
 大きな欅の木の裏側。
 ここなら、夕闇と木陰で死角になる。

「秀一……なぜ、授けてくれぬ?」

 彼女は、不安げに僕を見上げた。
 僕は露西亜の薄い背中を、木に預けさせ、そして、その卵型の顔を両手で包み込んだ。
 彼女の肌が、夕日で赤く染まっている。
 先週と同じ、子供のようなキスで済ませるつもりだった。
 彼女の唇がワナワナと震えながら、無防備に開かれていくのを見て、僕は目を閉じた。唇を重ねた。
 あの時、覚悟せよと言われて、僕は彼女に君こそ覚悟しろと軽いキスをした。
 今度は無言で、それ以上の覚悟を求めた。
 最初は優しく触れて、離れた。
 目を開けると、彼女が熱い眼差しで僕を見ていた。
 彼女は力を抜いていた。そこへ僕はその唇を食んだ。
 舌先で、彼女の唇の合わせ目をなぞる。

「……っ!?」

 露西亜の喉の奥から、くぐもった声が漏れた。彼女の小さな体が、僕の腕の中で跳ねる。
 僕は構わずに、さらに深く、舌を滑り込ませた。
 未知の侵入者に、彼女は抵抗することも忘れ、ただ硬直している。
 さっきのクレープの甘い香り。
 彼女の口内は、見た目以上の生命力で、とても熱かった。
 彼女の舌先が僕の舌先を押し返そうとする。
 その鼻先から漏れる呼吸音。口と口の濡れた音が木陰に響く。
 僕は、かなり強引にいつまでも彼女の唇と口内を責めていた。

 ピピィピィピィ……──。

 公園のスピーカーが、六時の鐘を鳴らした。
 その重い響きは、魔法を解く合図のようだった。

「んっ……ぁ……!」

 露西亜が、弾かれたように僕を突き飛ばした。
 彼女は荒い息をつきながら、自身の口元を手で覆った。
 その瞳孔は開ききっている。

「あ、あ……う……あぁっ……」

 彼女はガタガタと震えていた。
 それは、初めての体験への動揺だろうか。
 それとも、門限への恐怖か。
 あるいは、何か彼女独自のルールに抵触してしまったのか。

「露西亜?」
「ち、違う……妾は……妾は、かような……」

 彼女の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
 唇がわなないている。僕が近づこうとすると、彼女は「うわああああん!」と、大きな声で泣き叫び、脱兎のごとく走り出した。

「あっ、ちょっ、露西亜!」

 僕が手を伸ばすよりも早く、黒いドレスの裾は夕闇の向こうへと消えていった。
 後には、六時の鐘の余韻と、僕だけが残された。


 ──嫌われたかもな。

 もし、そうなったら、それは仕方ない。
 女性には、早く白黒つけさせてあげることが大事だ。
 これが大人の世界のすることで、僕はそういうことを求める男性だと教えてあげなければいけない。

 ──僕は節操なしだからな。一人の女性で満足しないし。

 でも、彼女とこれで終わるのは、ちょっと惜しいなと思った。
 自分の唇に触れてみる。
 そこにはまだ、彼女の甘い感触が残っていた。
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