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【第三部】共鳴と模倣
おめでとう、芽衣さん
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芽衣が浩一に隠れて『イグニス』の名で公募へ作品を送信してから、季節は流れて、冬が来た──。
翌年のある日曜日の昼下がり。
浩一がリビングで幼い娘と積み木遊びをしていると、キッチンから英恵の甲高い声が上がった。
「きゃあっ! うそ、すごい! ねぇ浩一、ちょっと来て!」
「なんだよ、大声出すな。娘がびっくりしてる」
浩一が呆れ顔でキッチンに向かうと、英恵がスマートフォンを握りしめ、興奮で震えていた。
「芽衣ちゃんが! 芽衣ちゃんが、やった!」
「は?」
「これ見て! この間、彼女が言ってた公募! 最優秀賞! この『イグニス』っていうのがあの子のペンネームなの!!」
英恵が突き出した画面には、『結果発表』の文字と共に、一つのキャラクターイラストが大々的に掲載されていた。
最優秀賞(賞金300万・採用確約)──『イグニス』。
そこに描かれていたのは、『夜明けの雫を浴びる子鹿』だった。
深い森の奥、夜明けの光が差し込む水辺で、一頭の子鹿がこちらを振り向いている。
その作風は、紛れもなくオイルマンのものを受け継いでいた。
木漏れ日の描き方、水面の反射、子鹿の毛並みを縁取る光のライン。それは、浩一が芽衣に「指導」した技術、そのものだった。
だが、その子鹿の瞳は、浩一の作品にはない、不思議な引力を持っていた。
無垢でありながら、どこか官能的な湿度を帯びた潤んだ瞳。それは隣の和室で浩一に時々見せる、芽衣の目にそっくりだった。
自信に満ちた画風と、無垢な子鹿の姿と、その瞳に潜む潤んだ色香。
これを浩一は、自分の技術と彼女の情熱が融合した、二人の「共作」そのもののように見えた。
「……すごいな」
「これ、イラストレーターの卵さんがいっぱい応募した話題の大賞なのに、あの子、一発で受賞って、本当にすっごいよね。独力でここまでやれるなんて!!」
英恵の喜びと興奮が頂点に達する時。
ピンポーン、とインターホンが鳴った。
モニターには、緊張と興奮で頬を赤らめた芽衣が、一歳になる息子を抱っこ紐で抱きながら立っていた。
ドアを開けるなり、英恵は芽衣に抱きついた。
「芽衣ちゃん! おめでとう! 見たわよ、今!!」
「あ……英恵さん、ありがとう。私も今、受賞のメールが来てて……あ、ごめんね、びっくりしたね」
芽衣は、抱きつかれた衝撃に驚いた息子の背中を、優しく叩いた。
リビングに招き入れられた芽衣は、抱っこ紐から息子を下ろしてラグの上に座らせる。浩一の娘が「あかちゃん!」と興味深そうに近寄ってきた。
芽衣は、娘の頭を優しく撫でながら、浩一を見て小さく会釈した。
「……おめでとう、芽衣さん。いや、イグニス先生」
浩一は複雑な感情を隠して、笑顔で言った。
自分の才能の「コピー」が、自分ですら最近取れていないような大型コンペを制した。
その事実に、浩一は祝福と共に、言い知れぬ焦燥感と、同時に「彼女は僕の最高傑作だ」という強烈な優越感を覚えていた。
「謙遜しないでよ、浩一!」
英恵がシャンパンでも開けようと冷蔵庫に向かいながら、無邪気に笑う。
「芽衣ちゃん、やっぱり才能あったんだね。あなたの集中力、本当に前からすごいって思ってた」
「……ううん、そんなこと……」
芽衣は、自分の足元でおもちゃを掴もうとする息子と、それを見守る浩一の娘に優しい「母親」の顔を向けながら、浩一にそっと熱っぽい「女」の視線を送った。
(……今度のレッスンから、僕が生徒役、彼女が先生役になってもらうのもいいかな)
浩一は、子供たちの無邪気な笑い声が響く日常のど真ん中で、あらぬ想像をしてしまう自分が急に恥ずかしくなって、妻子と愛人親子から顔を背けた。
それぞれの想いが交錯する。
しかし、この時点ではまだ、誰も気づいていなかった。
この「イグニス」の誕生が、SNSという名の炎上地獄の火種になることを。
翌年のある日曜日の昼下がり。
浩一がリビングで幼い娘と積み木遊びをしていると、キッチンから英恵の甲高い声が上がった。
「きゃあっ! うそ、すごい! ねぇ浩一、ちょっと来て!」
「なんだよ、大声出すな。娘がびっくりしてる」
浩一が呆れ顔でキッチンに向かうと、英恵がスマートフォンを握りしめ、興奮で震えていた。
「芽衣ちゃんが! 芽衣ちゃんが、やった!」
「は?」
「これ見て! この間、彼女が言ってた公募! 最優秀賞! この『イグニス』っていうのがあの子のペンネームなの!!」
英恵が突き出した画面には、『結果発表』の文字と共に、一つのキャラクターイラストが大々的に掲載されていた。
最優秀賞(賞金300万・採用確約)──『イグニス』。
そこに描かれていたのは、『夜明けの雫を浴びる子鹿』だった。
深い森の奥、夜明けの光が差し込む水辺で、一頭の子鹿がこちらを振り向いている。
その作風は、紛れもなくオイルマンのものを受け継いでいた。
木漏れ日の描き方、水面の反射、子鹿の毛並みを縁取る光のライン。それは、浩一が芽衣に「指導」した技術、そのものだった。
だが、その子鹿の瞳は、浩一の作品にはない、不思議な引力を持っていた。
無垢でありながら、どこか官能的な湿度を帯びた潤んだ瞳。それは隣の和室で浩一に時々見せる、芽衣の目にそっくりだった。
自信に満ちた画風と、無垢な子鹿の姿と、その瞳に潜む潤んだ色香。
これを浩一は、自分の技術と彼女の情熱が融合した、二人の「共作」そのもののように見えた。
「……すごいな」
「これ、イラストレーターの卵さんがいっぱい応募した話題の大賞なのに、あの子、一発で受賞って、本当にすっごいよね。独力でここまでやれるなんて!!」
英恵の喜びと興奮が頂点に達する時。
ピンポーン、とインターホンが鳴った。
モニターには、緊張と興奮で頬を赤らめた芽衣が、一歳になる息子を抱っこ紐で抱きながら立っていた。
ドアを開けるなり、英恵は芽衣に抱きついた。
「芽衣ちゃん! おめでとう! 見たわよ、今!!」
「あ……英恵さん、ありがとう。私も今、受賞のメールが来てて……あ、ごめんね、びっくりしたね」
芽衣は、抱きつかれた衝撃に驚いた息子の背中を、優しく叩いた。
リビングに招き入れられた芽衣は、抱っこ紐から息子を下ろしてラグの上に座らせる。浩一の娘が「あかちゃん!」と興味深そうに近寄ってきた。
芽衣は、娘の頭を優しく撫でながら、浩一を見て小さく会釈した。
「……おめでとう、芽衣さん。いや、イグニス先生」
浩一は複雑な感情を隠して、笑顔で言った。
自分の才能の「コピー」が、自分ですら最近取れていないような大型コンペを制した。
その事実に、浩一は祝福と共に、言い知れぬ焦燥感と、同時に「彼女は僕の最高傑作だ」という強烈な優越感を覚えていた。
「謙遜しないでよ、浩一!」
英恵がシャンパンでも開けようと冷蔵庫に向かいながら、無邪気に笑う。
「芽衣ちゃん、やっぱり才能あったんだね。あなたの集中力、本当に前からすごいって思ってた」
「……ううん、そんなこと……」
芽衣は、自分の足元でおもちゃを掴もうとする息子と、それを見守る浩一の娘に優しい「母親」の顔を向けながら、浩一にそっと熱っぽい「女」の視線を送った。
(……今度のレッスンから、僕が生徒役、彼女が先生役になってもらうのもいいかな)
浩一は、子供たちの無邪気な笑い声が響く日常のど真ん中で、あらぬ想像をしてしまう自分が急に恥ずかしくなって、妻子と愛人親子から顔を背けた。
それぞれの想いが交錯する。
しかし、この時点ではまだ、誰も気づいていなかった。
この「イグニス」の誕生が、SNSという名の炎上地獄の火種になることを。
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