偽りに燃えて

羽翼綾人

文字の大きさ
15 / 40
【第三部】共鳴と模倣

おめでとう、芽衣さん

しおりを挟む
 芽衣が浩一に隠れて『イグニス』の名で公募へ作品を送信してから、季節は流れて、冬が来た──。
 翌年のある日曜日の昼下がり。
 浩一がリビングで幼い娘と積み木遊びをしていると、キッチンから英恵の甲高い声が上がった。
「きゃあっ! うそ、すごい! ねぇ浩一、ちょっと来て!」
「なんだよ、大声出すな。娘がびっくりしてる」
 浩一が呆れ顔でキッチンに向かうと、英恵がスマートフォンを握りしめ、興奮で震えていた。
「芽衣ちゃんが! 芽衣ちゃんが、やった!」
「は?」
「これ見て! この間、彼女が言ってた公募! 最優秀賞! この『イグニス』っていうのがあの子のペンネームなの!!」
 英恵が突き出した画面には、『結果発表』の文字と共に、一つのキャラクターイラストが大々的に掲載されていた。
 最優秀賞(賞金300万・採用確約)──『イグニス』。
 そこに描かれていたのは、『夜明けの雫を浴びる子鹿』だった。
 深い森の奥、夜明けの光が差し込む水辺で、一頭の子鹿がこちらを振り向いている。
 その作風は、紛れもなくオイルマンのものを受け継いでいた。
 木漏れ日の描き方、水面の反射、子鹿の毛並みを縁取る光のライン。それは、浩一が芽衣に「指導」した技術、そのものだった。
 だが、その子鹿の瞳は、浩一の作品にはない、不思議な引力を持っていた。
 無垢でありながら、どこか官能的な湿度を帯びた潤んだ瞳。それは隣の和室で浩一に時々見せる、芽衣の目にそっくりだった。
 自信に満ちた画風と、無垢な子鹿の姿と、その瞳に潜む潤んだ色香。
 これを浩一は、自分の技術と彼女の情熱が融合した、二人の「共作」そのもののように見えた。
「……すごいな」
「これ、イラストレーターの卵さんがいっぱい応募した話題の大賞なのに、あの子、一発で受賞って、本当にすっごいよね。独力でここまでやれるなんて!!」
 英恵の喜びと興奮が頂点に達する時。
 ピンポーン、とインターホンが鳴った。
 モニターには、緊張と興奮で頬を赤らめた芽衣が、一歳になる息子を抱っこ紐で抱きながら立っていた。
 ドアを開けるなり、英恵は芽衣に抱きついた。
「芽衣ちゃん! おめでとう! 見たわよ、今!!」
「あ……英恵さん、ありがとう。私も今、受賞のメールが来てて……あ、ごめんね、びっくりしたね」
 芽衣は、抱きつかれた衝撃に驚いた息子の背中を、優しく叩いた。
 リビングに招き入れられた芽衣は、抱っこ紐から息子を下ろしてラグの上に座らせる。浩一の娘が「あかちゃん!」と興味深そうに近寄ってきた。
 芽衣は、娘の頭を優しく撫でながら、浩一を見て小さく会釈した。
「……おめでとう、芽衣さん。いや、イグニス先生」
 浩一は複雑な感情を隠して、笑顔で言った。
 自分の才能の「コピー」が、自分ですら最近取れていないような大型コンペを制した。
 その事実に、浩一は祝福と共に、言い知れぬ焦燥感と、同時に「彼女は僕の最高傑作だ」という強烈な優越感を覚えていた。
「謙遜しないでよ、浩一!」
 英恵がシャンパンでも開けようと冷蔵庫に向かいながら、無邪気に笑う。
「芽衣ちゃん、やっぱり才能あったんだね。あなたの集中力、本当に前からすごいって思ってた」
「……ううん、そんなこと……」
 芽衣は、自分の足元でおもちゃを掴もうとする息子と、それを見守る浩一の娘に優しい「母親」の顔を向けながら、浩一にそっと熱っぽい「女」の視線を送った。
(……今度のレッスンから、僕が生徒役、彼女が先生役になってもらうのもいいかな)
 浩一は、子供たちの無邪気な笑い声が響く日常のど真ん中で、あらぬ想像をしてしまう自分が急に恥ずかしくなって、妻子と愛人親子から顔を背けた。
 それぞれの想いが交錯する。
 しかし、この時点ではまだ、誰も気づいていなかった。
 この「イグニス」の誕生が、SNSという名の炎上地獄の火種になることを。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。 「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

熟女教師に何度も迫られて…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
二度と味わえない体験をした実話中心のショート・ショート集です

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

処理中です...