偽りに燃えて

羽翼綾人

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【第四部】炎上、そして爆発

こんなの大したことじゃない

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 受賞の連絡から三週間。
 主催企業との打ち合わせや、SNSで「イグニス先生」と賞賛される喜びに、芽衣は浸っていた。
 だが、火曜日の正午過ぎ。
 遅めの昼食を終えて、キッチンでSNSを開いた芽衣は、トレンドワードに並んだ『オイルマン』と『パクリ疑惑』という文字に、心臓が凍りつくのを感じた。
『イグニス氏の受賞作、オイルマン先生にそっくり』
『独学でこのレベルは無理。AIトレース確定レベル』
 敵意の強い投稿が、無数に並んでいた。
 中には、自分が尊敬するクリエイターの投稿もあった。
 恐怖で指が震えた。
(違う、盗んだんじゃなくて、あの人に「指導」してもらっただけ──)
 けれども、その「指導」は、世間に公表できない『口封じ』込みの、秘密のレッスンだった。
(どうしよう……先生に……浩一さんに迷惑がかかってしまう……)
 自分が「パクリ主婦」と叩かれること以上に、尊敬する『オイルマン』の名前に泥を塗ってしまった罪悪感が、芽衣の唇を凍り付かせた。
 すぐ隣のリビングで小さな息子が、ぐずっている。
 SNSは、さらに「捨てアカによる擁護工作」という、身に覚えのない疑惑で燃え上がっていた。
 芽衣は、秘匿アプリでメッセージを打ち込んだ。
『先生、ごめんなさい……。わたしのせいで、浩一さんの名前が……』
 送信して数分間、既読がつかない。
 そうなるのは当然だ。このアプリは着信の通知が届かず、相手が自分からそれを確認するまで、読まれることがない。
 だが、そのたった数分間の孤独で、いてもたってもいらなくなり、連続してメッセージを送っていく。
『パクリだけじゃなくて、身に覚えのない「隠蔽工作」とか、もっと酷いことになってます』
『ごめんなさい。私、どうしたらいいですか?』
 すがるように懇願を重ねていると、しばらくして既読の表示がつき、浩一から返信が来た。
 だが、それは芽衣が期待するような労りと優しさの言葉ではなかった。
『何もしないこと。SNSも見るな』
『英恵にも絶対に連絡してはいけない』
『主催企業の判断を待て。それまで沈黙すること』
 それは情事の甘さも、師弟の温かみも微塵もない、冷徹な「指示」だった。
 まるで、問題を起こした面倒な生徒を、事務的に処理するような扱いだった。
 芽衣は、浩一にとって自分は「ミューズ」や「特別な生徒」ではなく、ただの「トラブル」になったのだと悟った。
 これまで彼女が、彼との関係の深化を望み、「愛人」そして、「生徒」という特別な属性を作ってきた。
 それが彼女に、偽りの多幸感を作ってきた。
 そして、それがゆえに募っていた罪悪感と、劣等感のようなものが、今ここで形を変えて、その代償を突きつけている。
(このままだと、受賞も、そして先生も、浩一さんも、全て失ってしまう)
 画面を見つめて、呆然としていると、LINEの着信音が響いた。
 表示された名前は、『出光英恵』。
 浩一から「連絡してはいけない」と釘を刺されたばかりの本人からの電話だった。
 こっちからかけたわけじゃない、そして助けてくれるなら、あの人でなくたっていい。
 芽衣は、咄嗟に通話ボタンを押した。
「……芽衣ちゃん? ……ごめん」
 電話の向こうから、電車を降りたばかりらしい英恵の声が聞こえてきた。
「芽衣ちゃん……。SNSの騒ぎ、見てる?」
「はい……。昨晩からずっと……炎上……しているみたいです」
 炎上、と自分の言葉で認めるのは、心苦しかった。
 しかし、それ以外にこの状態を的確に伝えられない。
「しかも、私のことを擁護してくれる複数の匿名アカウントがあって、『隠蔽工作』みたいに言われてました……。私、浩一さんにまで迷惑かけてるみたいで、本当にごめんなさい」
 芽衣がスマートフォンを手にしたまま、目に涙を浮かべて頭を下げた。
 しかし、そこに返ってきた言葉は、彼女の予想しないものだった。
「こっちこそ、ごめんなさい。……あれ、わたしなの」
「……えっ」
「浩一には止められたんだけど、黙って捨てアカウントを作って……。イグニスさんは悪くないって投稿をしたの。そしたら、それが……」
 ここに初めて「隠蔽工作」の正体を知って、全身の動きが静止した。
 炎上を悪化させた「工作員」は、自分を信じていてくれた何も知らない英恵だったのだ。
「……わたしのせいで『関係者の組織的な隠蔽』みたいになっちゃって……。芽衣ちゃん、ごめん」
 何も知らない親友が、罪悪感を抱いて謝っている。
(わたしのせいで……わたしが、英恵さんまで巻き込んだ……)
 芽衣は、胸が張り裂けそうになるのを必死でこらえ、作り笑いと同じ声色で答えた。
「……ううん。大丈夫。わたしのほうこそ、心配かけて、ごめん」
「芽衣ちゃん……何て謝ったらいいか、わたし」
「こんなの全然、英恵さんのせいじゃないです。こんなの大したことじゃないですし。あ、ちょっと今、取り込んでるから、また……」
 英恵を安心させようと、無理をして強がりながら、電話を切った。
 キッチンからリビングに向かう。
 ベビーベッドで眠る息子の寝息だけが響いている。
 浩一からは「沈黙しろ」と突き放され、英恵は「わたしのせいだ」と泣いている。
 すべての原因は、自分にある。
 芽衣は、その場に膝を落とし、口元をその手で覆った。
 声にならない嗚咽を、自分の手のひらに押し殺した。
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