25 / 40
【第四部】炎上、そして爆発
英恵さんへの招待状
しおりを挟む
深夜二時。
浩一の自宅で情事を終えてから、三日が経っていた。
芽衣は息子が眠るベビーベッドの隣で、借り物の液晶タブレットに向かっていた。
画面の白い光が、暗闇の中で彼女の顔だけを青白く照らし出す。
そこには、あの日曜の午後の、あの寝室の光景が描き出されていく。
英恵の柔軟剤の匂いが残るシーツ。ドレッサーの鏡に映った、二人の歪んだ姿。
指先が、あの時の熱を思い出して震える。
あのシミ。慌てたのは本気だった。
だが、浩一が「構うな」と言って、彼女を再び組み敷いた時、芽衣はわかってしまった。
あの人は、英恵の領域を侵すことに、自分と同じくらい興奮していたのだと。
芽衣は、この「官能的な作品」を、次の「納品データ」として仕上げていく。
ふと、ペンを止め、スマートフォンのカレンダーに目を落とす。
来月。
カレンダーには、夫が単身赴任から「帰宅予定」の日に、赤い印がつけてある。
(……もう、時間がない)
夫が帰ってきたら、この「レッスン」は終わる。
浩一との甘い関係は、二度と訪れなくなってしまうだろう。
すると、自分はまた、あの退屈な「妻」と「母」だけの生活に戻るのか。
あの、何も感じなかったころの自分に。
(そんなの嫌。絶対に嫌です)
イグニスの成功は、夫も理解してくれていた。
そして、アダルト作品にも特に何も言わず、そのまま受け止めてくれていた。
理解ある夫、といえば聞こえはいいが、自分に関心があまりない男でしかない。
彼との退屈な生活で、イグニスとしての情熱を保てるとは思えない。
あの人が「開発」してくれたこの身体と、この「イグニス」の才能を枯渇させたくない。
そして、この息子のいる生活も失いたくない。
芽衣は、ずっとこのままでいたいと渇望していた。
そこで、彼女は賭けに出ることにした。
あのリクエスト……『より刺激的な場所で』。
企業からのリクエスト一覧を見た時から、芽衣は決めていた。
彼女は、あのリクエストを何度も浩一にアピールした。「こんなのが来てます」「描ける気がしません」と、彼が「それなら」と言い出すように。
彼が、夫婦の寝室を選ぶように、わざと誘導したのだ。
そして、芽衣はあのベッドの上で、自分のイヤリングが浩一が二度目の絶頂を迎えて、満足そうに自分を抱きしめている時、そっと耳からイヤリングを外した。
彼の髪に指を絡めるふりをして、小さなプラチナの輝きを、ベッドと壁の薄暗い隙間へと滑り落とした。
浩一は、気づいていない。
(あれは、英恵さんへの招待状)
彼女は賢い人だけれど、二人のことには気づいていない。
彼女が「パクリ疑惑」を、芽衣の『独学』だと信じ込んでくれたように。
もし、あのシーツのシミに本当に気づかなかったとしても、あのイヤリングは?
彼女が、いつか必ず行う「掃除」の時に見つかるはず。
英恵の家で芽衣の受賞を祝ってくれた時に、着けていた、あのイヤリングが、夫婦の寝室から見つかる。
すると、全ての点と点が繋がっていくだろう。
(後は、それを、待つだけですね、先生)
やがて彼女が、二人の「本気」の焼け跡に気づいてくれるはず。
そして、彼女が「どういうことか」と、二人の前に来てくれるはず。
芽衣は、タブレットのペンを、再び握りしめた。
そこに描かれる、水の滴り。
鏡をよく見ればわかる、女の耳に一つしか付いていないイヤリング。
そして、彼女とは異なる女性の生活空間──。
(第四部 了)
浩一の自宅で情事を終えてから、三日が経っていた。
芽衣は息子が眠るベビーベッドの隣で、借り物の液晶タブレットに向かっていた。
画面の白い光が、暗闇の中で彼女の顔だけを青白く照らし出す。
そこには、あの日曜の午後の、あの寝室の光景が描き出されていく。
英恵の柔軟剤の匂いが残るシーツ。ドレッサーの鏡に映った、二人の歪んだ姿。
指先が、あの時の熱を思い出して震える。
あのシミ。慌てたのは本気だった。
だが、浩一が「構うな」と言って、彼女を再び組み敷いた時、芽衣はわかってしまった。
あの人は、英恵の領域を侵すことに、自分と同じくらい興奮していたのだと。
芽衣は、この「官能的な作品」を、次の「納品データ」として仕上げていく。
ふと、ペンを止め、スマートフォンのカレンダーに目を落とす。
来月。
カレンダーには、夫が単身赴任から「帰宅予定」の日に、赤い印がつけてある。
(……もう、時間がない)
夫が帰ってきたら、この「レッスン」は終わる。
浩一との甘い関係は、二度と訪れなくなってしまうだろう。
すると、自分はまた、あの退屈な「妻」と「母」だけの生活に戻るのか。
あの、何も感じなかったころの自分に。
(そんなの嫌。絶対に嫌です)
イグニスの成功は、夫も理解してくれていた。
そして、アダルト作品にも特に何も言わず、そのまま受け止めてくれていた。
理解ある夫、といえば聞こえはいいが、自分に関心があまりない男でしかない。
彼との退屈な生活で、イグニスとしての情熱を保てるとは思えない。
あの人が「開発」してくれたこの身体と、この「イグニス」の才能を枯渇させたくない。
そして、この息子のいる生活も失いたくない。
芽衣は、ずっとこのままでいたいと渇望していた。
そこで、彼女は賭けに出ることにした。
あのリクエスト……『より刺激的な場所で』。
企業からのリクエスト一覧を見た時から、芽衣は決めていた。
彼女は、あのリクエストを何度も浩一にアピールした。「こんなのが来てます」「描ける気がしません」と、彼が「それなら」と言い出すように。
彼が、夫婦の寝室を選ぶように、わざと誘導したのだ。
そして、芽衣はあのベッドの上で、自分のイヤリングが浩一が二度目の絶頂を迎えて、満足そうに自分を抱きしめている時、そっと耳からイヤリングを外した。
彼の髪に指を絡めるふりをして、小さなプラチナの輝きを、ベッドと壁の薄暗い隙間へと滑り落とした。
浩一は、気づいていない。
(あれは、英恵さんへの招待状)
彼女は賢い人だけれど、二人のことには気づいていない。
彼女が「パクリ疑惑」を、芽衣の『独学』だと信じ込んでくれたように。
もし、あのシーツのシミに本当に気づかなかったとしても、あのイヤリングは?
彼女が、いつか必ず行う「掃除」の時に見つかるはず。
英恵の家で芽衣の受賞を祝ってくれた時に、着けていた、あのイヤリングが、夫婦の寝室から見つかる。
すると、全ての点と点が繋がっていくだろう。
(後は、それを、待つだけですね、先生)
やがて彼女が、二人の「本気」の焼け跡に気づいてくれるはず。
そして、彼女が「どういうことか」と、二人の前に来てくれるはず。
芽衣は、タブレットのペンを、再び握りしめた。
そこに描かれる、水の滴り。
鏡をよく見ればわかる、女の耳に一つしか付いていないイヤリング。
そして、彼女とは異なる女性の生活空間──。
(第四部 了)
0
あなたにおすすめの小説
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる