【完結】俺はお前がいなくても。

ぽぽ

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「なんだこれ…」

「ごめんね…ちょっと散らかってて…」

部屋の中には所狭しとガムテープで封のされた段ボールが置かれていた。

その光景に思わず口をついて出た光の言葉に、朝陽は気まずそうに笑った。けれどその笑みは、どこかぎこちなく、心の奥を隠そうとするような影が差していた。

「…引っ越しでもすんの?」

声を低く落とした光の問いかけに、朝陽はほんの少し間を置いて答えた。

「うん、そうなんだ。心機一転しようかなと思って」

その一言に、光は眉を顰めた。

「心機一転…??心機一転って何を心機一転すんの。仕事?転職でもするの?」

口角を無理やり引き上げ、余裕を装うようにして投げた言葉。けれど内心では焦燥が広がっていく。
もし引っ越しの話を本気で考えているのなら、なぜ自分に真っ先に知らせてこなかったのか。いつもの朝陽なら引っ越すとなれば、誰より先に光へと伝えていたはずだ。そう思うと、胸の奥でざわめく不安がますます大きくなる。

「気持ちの心機一転かな…?」

曖昧に笑いながらそう答える朝陽に、光はすかさず食い気味に言葉を返した。

「だからなんの心機一転かって聞いてんだけど」

声色に棘が混じり、空気が一瞬張り詰める。朝陽は視線を伏せ、呼吸を整えてから、言葉を落とした。

「だって僕たち、もう別れるから…」

「…は??」

耳に届いた瞬間、光は間抜けなほど素っ頓狂な声をあげてしまった。脳が一瞬、理解を拒んだのだ。
別れる? そんな話、どこで? いつ?
思い返しても、記憶にはない。もちろん自分から別れを切り出した覚えもなければ、朝陽がそんな素振りを見せたこともない。

「別れるって何?俺たちでなんか話したっけ?もしかしてこの前のこと怒ってるの?本当に悪かったと思ってる。」

必死に冷静を装おうと、光は乱れた髪をかきあげる。だが、朝陽は光と目を合わせようとしない。

「ううん、話してはないけど…ほら、光くんと関係が繋がった時の約束があるから」

「約束…?約束って何?」

焦りで口調が早くなる。
朝陽は少し視線を宙にさまよわせ、それからぽつりと告げた。

「もし、光くんに気になる人ができたらすぐ別れるって。この前一緒にいた人ってそうだよね?」

その言葉で、光の記憶が強引に呼び覚まされる。
嫉妬をしても態度に出さない。他の女といようが文句を言わない。光が付き合いたいと思う人が出来たら、すぐに別れること。

「僕はあの時の約束を守るのにも限界が来たみたいなんだ。勝手な事情でごめんね。」

「…あんなのもう時効じゃん。」

光は笑みを作った。けれど、それは乾いた嘲りのように響いた。
朝陽はつられて笑うこともなく、俯いた表情に深い影を落としている。

「だからといって、僕は光くんの邪魔をしたくない。彼女のことが好きなんでしょ。光くん、女の人あまり家に連れ込みたくないって言ってたから…あの人が特別なんだってすぐにわかった。それに、何よりお似合いだったよ」

「別に好きとかじゃ――」

言いかけた言葉を、朝陽が遮るように続けた。

「僕みたいな都合のいい存在は、もう必要ないって思ったんだ。今思ったらやっぱり、僕と君は釣り合わないよ」

「あのさ、釣り合わないとか、都合のいい存在ってそんなの、今更でしょ。」

昂った感情のまま言ってはいけないことを言ってしまい、光はすぐに後悔したが、朝陽の表情は今にも泣きそうに歪んでいた。朝陽は顔を上げることなく下を俯いたまま告げた。
朝陽が光るの目の前でそんな顔を浮かべるのは初めてで、微かに動揺してしまう。

「…そうだよね。ずっと叶わない恋だってわかってたんだ。今まで一緒にいてくれて、本当にありがとう。君といる間は、生まれてきた中で一番幸せだったんだ」

(俺、朝陽のこと…どう思ってたんだっけ)

胸の奥が締めつけられる。

「人生で一番って…大袈裟すぎだろ」

苦し紛れに笑って誤魔化すが、朝陽は小さく首を振るだけだった。

「大袈裟なんかじゃないよ。本当のことだから。」

その声音は、静かで、確かで。まるで別れを告げる鐘の音のように光の胸に響いた。

焦燥が広がり、心臓が握り潰されるように痛む。喉が震え、言葉にならない。
それを押し隠すように、光は自分に言い聞かせる。朝陽の代わりなんていくらでも見つかる。これはただの別れだ。大したことじゃない。
けれど心の奥底では、その言葉が全く響かないことに気づいていた。

「お前と俺の十年間は…そんな言葉で終わるくらい、あっけなかったんだな」

口をついて出た言葉に、自分自身が驚く。
その一言で、朝陽の瞳が揺れた。

「朝陽がそういうつもりならいいや。はい、これ」

光が差し出したのは、合鍵だった。
そこには、小さなラッコのキーホルダーがぶら下がっている。初めて二人で行った水族館で、朝陽が「お揃いにしよう」と勝手に買ってきたもの。
恥ずかしくて持ち歩くこともできず、結局この鍵につけたままだった。
ほとんど使わなかった合鍵。終電を逃した夜や、飲み会帰りに面倒で寄ったときくらい。恋人らしい意味で差し込んだことは、数えるほどしかない。

それでも、思い出だけは濃く積み重なっていた。扉を開けた瞬間に朝陽が柔らかい笑みを浮かべていた時の光景が鮮明に蘇る。それをみて、廃れた心が少し暖かくなった数えきれない日々。まさか、ここで別れが来るなんて想像もしていなかった。

差し出した鍵を、朝陽はほんの一瞬だけためらう素振りを見せた。けれど次の瞬間、静かに手を伸ばし、光の掌から鍵を受け取った。その指先が触れた瞬間、妙に冷たくて、自分の手でその指を包み込みたくなる。

「元気でね。ずっと応援してるよ。滝口光として。今まで、本当にありがとう」

その途端、一線を引かれた気がした。いつもの「光くん」と呼ぶ温かい声ではない。壁のような距離を感じさせる響き。
胸の奥に鋭い棘が突き刺さる。

光は言葉を返せなかった。
ただ、朝陽が儚げな笑みを浮かべるのを見つめることしかできない。その笑みは優しさに包まれながらも、深い悲しみを抱えていた。

「さようなら。光くん。幸せでいてね」

扉が静かに閉まる。かすかな蝶番の軋みが、心臓に響いた。
同じ空気を吸っているはずなのに、世界がひび割れて崩れていくように感じた。
この家から朝陽がいなくなる。その現実が迫ってくる。

胸を焼くような焦りが生まれる。その感覚は、必死に生き抜いてきた過去の、自分を追い立てる焦燥にどこか似ていた。
けれど光は、それすらも認められず、ただ心の奥で繰り返す。
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