剣聖の使徒

一条二豆

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第四章

VS凛音

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 俺の体は流れるままに吹き飛ばされる。

「あぐっ……がっ!」

 激痛が体全体を走り抜ける。だが、俺は何とか立ち直った。
 確かに殴られはしたが……うれしかった。あることが、分かったから。

「日向に……日向なんかに、何が分かるっていうの……? 心の中でも、そんな不愉快な妄想は止めて!」

 冷たく、ぴしゃりと凛音は俺を拒絶した。
 完全に、俺の知っている凛音は消えていた……表面上は。

「終わりにしましょう」

 凛音は拳を大きく振りかぶった。拳にはまた、黒い瘴気がまとわりついている。
 だが、構えられた拳は、俺へと振り下ろされることなく止まった。

「『桜舞双扇』一の舞――『乱れ桜』!」

 凛音に向かって、鮮やかな桜吹雪が吹く。
 一見綺麗なだけの花びらに見えるそれは、一枚一枚が鋭利な刃で作られた、斬撃の嵐。
 脅威を避けるために、凛音は、その吹雪が当たるよりも前に身を引いた。
 そのおかげで開いた俺と凛音の間に、シーナが入ってきて、俺のそばまでやって来た。

「大丈夫ですか、日向さん!」

 倒れた俺を介抱するように、シーナが俺を抱き上げる。
 しかし、シーナの力は借りずに、俺は自らの力で体を起こした。

「おう、ま、大丈夫だ」

 難なく立ち上がる俺に、唖然としているシーナ。
 それはそうだろう。あれだけ派手にぶっ飛ばされたのに、どうして立っていられるのかと。

 でも、その答えは実に簡単だ。

 俺は少し距離を空けて立っている凛音に向かって、声を投げかけた。

「なあ、凛音! やっぱりさ……お前、悪魔なんかじゃねえよ」

 遠くに見える凛音の表情が歪んだ。
 対して、すぐそばにいるシーナは混乱した様子でまくしあげた。

「待、待って下さい、日向さん! 凛音さんは確かに悪魔ですよ! あまり信じたくはないことですけど、絶対にそうです! 間違いありません!」
「あーあー、ちょっと静かにしてろよシーナ」

 わたわたとしているシーナの頭をくしゃくしゃとして、彼女を落ち着かせた。

「確かに凛音は悪魔だ……さけど、心まで悪魔なわけじゃないってことだ」

 シーナにも、俺の言いたいことはが伝わったのか、はっとした表情をつくった。
「凛音、お前の拳は確かに俺を吹き飛ばした。でも、悪魔の力を開放していたにもかかわらず、何の力も開放していない俺は、生きている。……要するに、お前は無意識の内に力をセーブしてたってことだ。だいたい、轢かれそうな子を助けるってこと自体がおかしな話だし――」
「黙れ黙れ黙れ!」

 俺の言葉は、凛音の心の中へと深々と突き刺さった。
 彼女な叫びはまるで、彼女自身に言い聞かせているようなものだった。

「凛音は、悩んでる……ずっと一緒に過ごしてきた俺ならわかる。何に悩んでいるかまではわからない。でもさ、俺にも大勢にも相談せずにこんなことするって……何、考えてんだよ」

 俺は恨みや憎しみとはまた違う、『怒り』を自らに込める。
 感情はエネルギーを生み出し、意思の力は開放される。

「腹立つから、一発殴りに来てやった……凛音の目を覚まさせるためにな」

 そして、俺は拳を構える。俺の怒りを模した、赤い瘴気をまとって。

「私は悪魔、悪魔なの!」

 凛音もまた、拳を構え直した。

「あなたとは……違う!」

 そして、またしても姿が消える。今度は俺の正面。身をかがめての接近。
 繰り出されるのは流麗なアッパーカット。

「……っ!」

 すんでのところでかわすが、追撃が当然来る。
 使わなかった左手での裏拳。
 体を大きくひねり繰り出されたその攻撃を、かわす間もなく俺は素直にそれを受けてしまった。

 しかし、なんとか持ちこたえる。ここで倒れたら駄目だ!
 ぐらつく頭を気合で保ち、シンプルなパンチを繰り出す。

「甘い」

 俺の拳は呆気なくかわされ、その隙に凛音に掌底を打たれた。

「っせい!」

 またもおもいっきり体を吹き飛ばされる。
 やはり、最初の攻撃が効いているのか、あまり体の制御が利かない。
 凛音にとっては、もうすぐにでも倒せられる状態になっているだろう。
 しかし、そうはせず、肩をわなわなと震わせ、怒号を俺にまき散らした。

「剣を、抜きなよ!」

 それはまるで、泣いているかのような声でもあった。

「日向が体術だけで私に勝てるわけないでしょ! 情けをかけるつもりはないけど、今のあなたじゃ私には勝てない!」

 心の底からの叫び。それは俺の待っていたものだった。

「だんだん、感情が戻ってきたんじゃないか?」
「!」

 凛音は顔を伏せ、悔しそうな呻き声を出した。
 怒りをあらわにした。それは、機械的だった凛音が、心を現し始めた証拠だった。

「俺は刀なんか抜かねえ……殴るっつったしな。まあ、確かに、俺じゃ体術で凛音には勝てねえよ」

 凛音は強い。悪魔だと知る前からそれは知っている。相撲とかプロレスごっこでも、勝ったためしがない。
 この場でも、それは同じことだろう。それも、悪魔の力と、殺し合いの経験がプラスされれば、差は圧倒的だ。

「だけどさ……」

 威嚇するような目つきの凛音に、俺はいつもの調子で笑ってやった。



「一人、だったらな」


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