ため息とあきらめ、自分につく嘘〜モヤモヤは幸せのサイン?!〜

帆々

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愛のある関係がいい

3、本当の二人きり

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 露台に座りワインを飲んだ。

 ガラス越しに照明を浴びた庭の緑が、淡く浮かんできれいだ。一杯を飲み終る頃、ついっとグラスを奪われた。彼がそれを床に置いたときには、抱き寄せられていた。

 両の手が頬を挟む。

 長いキスの後、浴衣の胸に彼が手を触れた。抱かれながらわたしは目を閉じている。拒む気持ちはなかった。

 子供が一緒の旅行で、この展開は破廉恥なのかもしれない。なら、わたしたちはいつ抱き合えばいいのだろう。

 声を潜めて重なり合う。わたしは男を多く知らない。その浅い経験でも身体が違いを突きつけてくる。腕の力が匂いが、キスが違う…。それらが生々しくて薄い酔いと共に、わたしをうっとりとさせる。

 彼の手に挟まれた、乳房がくすぐったい。

「こんなこと、絶対無理だと思ってた」

 身体をさらしている。目を見るのが恥ずかしい。手の甲で目を覆った。

「白くて柔らかくて…、こんなにきれいだったんだな」

 何にも知らなかった、と彼は言う。

「こんな風になれるなんて、思いもしなかった」

 久しぶりに身体が男を受け入れるその衝撃は、ちょっと思いがけないものだった。違和感ののちじんわりと来る快楽。胸を揺さぶるような感動で、沖田さんの話す声に返しができないでいた。

 情事の後で、しんなりとなる身体を浴衣でくるみながら、身を起こした。そのわたしを彼が後ろから抱き寄せる。まだ熱さのある身体に包まれながら、やっぱり黙って、以前とは違う関係にいる自分たちを感じていた。

「何か言えよ、お前はいつまでも、ちょっと遠いな」

 彼は文句を言い、胸に置いたわたしの手をその上からつかんだ。指を絡めるように握る。

 遠いって、何だろう。

 彼とは別の人と結婚していたことか。彼のではない子を産んでいたことか…。

「バツだとか子供のことだとか、まだ勝手に考え込んでるんなら、止めろ。俺に遠慮なんかするなよ」

「え」

「雑なことやっても言っても、雅姫は最後にはおくゆかしいから」

 おくゆかしいBL描き…。

 自分に似合わない表現がおかしい。沖田さんはきっと、惚れたらアバタもエクボのタイプだろう。

「さっきみたいにもっと甘えてほしい」
 
 あ。

 彼の言う「さっき」が情事そのものを指すことにすぐに気づいた。恥ずかしさに頬が熱くなる。自分の仕草の何が、彼にそう思わせたのか。反芻するのも悩ましい。

「また抱けるんだと思うと、すごい嬉しい。やっとつかまえ…」

「一回、3千円」

 沖田さんのこっ恥ずかしい言葉を遮って、慌てて言う。

「は?! 金取るのか? しかも三千円って…」

「二千五百円…」

「下げるのかよ」

 そこで彼が笑った。風呂に入ろうと誘う。露台の奥には専用の露天風呂があった。庭に面して開かれていて、人目も気にならない造りだった。入らないのは惜しいが、一緒にというのがちょっと、その…。

 ぐずぐずしていると、彼が拒否と取ったようだ。さっさと行ってしまった。引き戸の奥から流れる湯の音がする。置き去りのグラスに、少しワインを注いだ。飲むとぬるくなっていた。

 冷やしておこうと、ボトルをワインクーラーに戻した。

 そのとき、自分の身体の奥から腿へ伝うものに気づいた。それは、抱き合った時の残滓だ。肌を落ちていく鮮明な感覚に、思わずしゃがみこんだ。

 どれほどかそうしていて、立ち上がった。

 小さな造りの脱衣室で浴衣を落とした。荒くたたんでから床に置いた。浴室の中は湯気でふんわりと曇っている。音に、彼が湯船につかったままこちらを振り返った。
タオルを外し、掛け湯をしてからお湯に入った。つんと、ヒノキのいい香りが鼻の奥を刺した。

 視線を感じながら、何も言わないで彼に寄り添う。

 キスを交わしながら、身体がお湯にだるくなるまでそうしていた。
 

 お風呂の後で、またワインを飲んだ。

 火照った身体には冷え切らないワインでもしみ込むようにおいしい。新しい浴衣の糊の心地よさ。抱えていた足を畳に伸ばしてみる。

 どこかで張り巡らせていたわたしの中の緊張の糸が、やっと緩んでいくのがわかる。

 つまみの、サービスのさくらんぼをわたしに放った彼が、少し細めた目で言う。

「来年の同じ日に、またここへ来よう」

「何で?」

「記念日だから」

 キネンビ…。そういう句集があったような。
 
『記念日』を作るという発想がないわたしには理解が及ばないが、ときに脳を乙女色へ変色させる彼だ。彼なりに思うところがあるのだろう。初めてのあれこれがあったのは、確かだし…。

 ちょっとしたおかしさをワインで喉にやり、頷いた。

「うん」

「帰るとき、予約入れとく」
 
 彼と二人で過ごすのは、やっぱり楽しい。

 そんな確認が、いつしかできている。わたしは少し怖かったのだろう。身体を合わせることで、彼との何かが変わってしまう、壊れてしまうことに。だから、これは大きな発見だ。
 
 抱き合うことも、話したり何も話さずにいることも。

 彼といると、楽しい。


 
 片付けのつもりがいつしか腰を下ろし、つい開いたページを見入ってしまっている。

 いけないいけない。こんなことでは、いつまで経っても終わらない。

 引っ越しのための準備だ。慌ただしいが今月の末で、この家は出なくてはならない。元夫側が家を手放す手続きを終えたのだ。

 先日、元義両親が軽トラックでやって来て彼の荷物をあらかた持ち帰ってくれた。少ない家電も家具も不要だといった。冷蔵庫やレンジ洗濯機など…、わたしが総司と住むに最低限の物を残し、他は業者に引き取ってもらうことにした。

 住んだのは二年ほどで荷物は少ない。クローゼットにしまった衣服に本や雑貨類…。引っ越しも楽なもんだとたかをくくっていたが、準備を始めてみるとあれこれとある。

 数年着ていない服、総司のサイズの外れた服や肌着が多い。赤ちゃん時代のものまでごちゃごちゃと紙袋に入っていた。自分の服は処分即決で、総司の方も特に思い入れのある物をわずかに残し、あとは捨てることにした。

 沖田さんの家にお邪魔するのに、なるべく身軽でいたい。そして、しまってため込むだけでで満足している不要な品々が急に疎ましい。これまで知らん顔でクローゼットにぎゅうぎゅう詰め込んでいたくせに。

 手に取っていた自分の同人誌をダンボールに放った。わたしは創作にメモも何も残さないから、今後の資料として捨てられない。箱のスペースが空いたので、好きな作家のエッセイ数冊をのせた。隠したようで恥ずかしいが、隠さないのもまた恥ずかしい。封をした。

 寝室の荷物はもう最後だ。家具はベッドのみのひどくがらんとした部屋だ。この空間に思うことはあれこれあるが、考えるのを止め開けっ放しの廊下をのぞく。いい匂いがここまでやって来ていた。
階段の下から、呼ぶ声が聞こえた。

「雅姫さん。出来ました」

「今行く」

 階下にはエプロンをした美馬君が、腕まくりをして立っていた。彼とは同人仲間の咲夜さんに紹介されての縁だ。うんと年下でもあり、べたつかない懐っこさのある人柄に何となく親しくなった。

 この日は、引っ越し準備の手伝いがてらやって来てくれていた。この後、家具の引き取り業者が来てくれるのだが、総司の迎えの時間とかぶってしまった。「僕、対応しときますよ」さわやかに受けてくれ、非常に助かっている。

 キッチンの食卓にはつやつやした焼きそばが載っていた。形よく切られた具材はとろりとしたあんに絡み、それがぱりぱりにかた焼きされた麺をゆるく包んでいる。

 こんな凝ったもの短時間でよく作るなあ。キッチンだって少しも汚していない。手際がいい。

「ありがとう。おいしそう」

 本当においしい。頬が緩む。だしの効いたしょうゆ味なのが面白い。美馬君のバイト先のフードバーで出しているメニューだとか。店ではだしのストックであんを作るらしい。

「本格的だね」

「『まじだし』があったから使いました。少量ならこっちの方が手軽ですね。味も決まりやすいし」

 ふんふん。おいしいよ。とわかったような顔で聞く。面倒なだしなんか取ったこともないのに。総司も好きそうだから、レシピを教わった。今度作ってみよう。

 対面で喋りながら食べる。

「バイト、ちゃんとしてるんだ」

 咀嚼を終え喉へやった彼がわたしを見た。きれいな瞳をやや陰らせたように思う。

「金なら、余ってるって見えますか? これでも、一応勤労学生つもりです」

 彼は咲夜さんいわく超大物のご落胤だそう。生活や遊びに必要なお金など周囲が幾らだって都合をつけてくれるはず。そんな身分でまともに働く理由がない。わたしの言葉がそんな風に聞こえたのだろう。

 その含みがなかったとは言えない。しかし、つい出たのは別の思いだ。

「ごめん…」

 彼にとってコンプレックスになるほど父親の存在は大きい。だから過敏になる。

 大人でもある彼はすぐにその屈託を引っ込める。ゆらりと首を振った。こういったことにも慣れているのかもしれない。少しだけかわいそうに感じた。

「美馬君なら調理場に立つバイトより、実入りのいいのがありそうだと思って…。ちょっと隣に座って頷いたりお酒作ったりの」

「ホスト?」

「かっこいい男の子に癒されたい女性って、きっと多いよ。需要あるのに」

 彼は面白そうに笑った。

「はっきり言いますね、雅姫さん」

「そう?」

 真面目なバイトに勤しむ学生に、そんなことより顔がいいからホストしなよ、というのは破廉恥で乱暴な話だろうが。でもその抜群の容姿を生かさないのは、何だかもったいない。

 美馬君はそういうことに興味がないという。

「まかないで飯も食わせてもらえるし、一人暮らしにはいいんです、今のバイト。他に一つ掛け持ちもしてるし」

「働くねえ」

 感心してしまう。自分の同人三昧に狂っていた学生時代と比較し、頭が下がる。

 彼は地方の国立大学の二年生だ。一浪していると言っていたから今年二十一になる。元々はお母さんの姉なる人と、都内での暮らしだったとか。

 今は大学の春休みで父側に呼ばれることもあり、帰省していると聞いている。

「自分が通っていた予備校で雑用のバイトです。こっちも飯を食わせてもらえることが多くて、助かってます」

「飯を食わせてくれる」職場に弱いらしい。涼やかできれいな姿かたちとのギャップが大きくて、何だかおかしい。若い子らしくて好感は持てる。

 予備校は女の子が多いだろうから、美馬君はさぞ目に毒だろう。勉強どころじゃないかも。でも、彼のようなOBをバイトに使っていれば、いい客寄せにもなろう。飯を食わせるくらい、宣伝費と思えば安いものかもしれない。やるな、その予備校の経営者。

 食器を洗うのはわたしがやり、食後にコーヒーを入れた。幼稚園のお迎えまでには、まだまだゆとりがある。

「総司君、新しい幼稚園決まりました?」

「うん…」

 引っ越し後に通う幼稚園については、沖田さんにあちらの近所の幾つかをピックアップしてもらった。わたしは園にこだわりがないから、一番近い所にすぐに決まった。保育園とは違い、入園は困難ではないようだ。

「今の園は無宗教なんだけど、今度の所はミッション系になるんだ。挙句、わたしの実家は寺でしょ。総司も忙しいよね」

 美馬君はちょっと笑って黙った。

 しばらくして、

「引っ越したら会いにくくなりますか? …嫌だな、会えなくなるの」

 あ…。

 伏し目からすくい上げるようにこちらを見るまなざしの、なんとも素敵なこと。こういうアングル、いいなあ。どこかで原稿に使ってやれと、頭に刻む。

「ははは。こんなおばさんにそんなこと言ってくれるの、美馬君だけだよ」

 亡くなった母親に似ているというわたしに、きっと甘えのような親しさを持つのだろう。歳もうんと上だ。懐かしさとか、切なさとかがない交ぜになった思慕ではないかと思う。

「そんなことないでしょ。総司君ぐるみで迎えてくれる、沖田さんみたいな人がいるじゃないですか」

 ああ、そうだね。いたね、沖田さん。でも、美馬君が言うのとは、ニュアンスも雰囲気も、違う。

 老舗の定食屋と渡仏シェフのフレンチ店くらい色合いの差がある。

 いやいや。定食屋が劣るという意味ではない。小洒落た美味はたまにはいいが、しょっちゅう食べるなら親しんだ定食が嬉しい。

 内心、ちょっとのろけておいて。

「きっと構わないよ。総司も美馬君が好きだから、また都合のいい時言ってよ。会おうよ」

 わたしの言葉に彼は素直に嬉しいな、と頷いた。

 なんて可愛いのでしょう。

 時間が来てわたしは総司を迎えに家を出た。少し待ち、バスから降りてきた子供の手を引いて家に向かう。尽きないように思え繰り返した日々も、もうあとわずか。

 いい先生に見てもらえたし、保護者の人たちもあっさりしていて気楽だった。次の所はどうだろう。余裕のあるママさんたちとは違い、わたしは家にいても原稿描きがある。のんびりしたムードの園だったらいいな。もちろん、総司がすぐに馴染んでくれるのが一番だ…。

 そんなことつらつら思い帰宅した。ちょうど、美馬君に対応を任せた業者の人たちがトラックで帰るところだった。

 彼を見て総司が喜んだ。ダグも沖田さんも可愛がってくれるが、美馬君みたいな若いお兄さんに相手になってもらえるのは、また楽しさが違うようだ。

 美馬君のお土産のドーナツを見せる。駅前の有名店のものだ。

「お兄ちゃんがくれたんだよ」

「わーい、わーい」

「着替えてからね」

「うん」

 総司は着替え始めた。まだ手つきはぎこちない。それを見ながら美馬君が言う。

「子供って、本当にあんなマンガみたいな喜び方するんですね」

「『し⚪︎ジロー』の真似してるの。生意気な方も覚えてきたけど」

 引き取ってもらったテレビとチェストとローテーブルが消え、リビングはソファーのみ。すっきりし過ぎた様相だ。食事はキッチンのテーブルでするし、テレビは最近買い換えたパソコンがあるから平気。

 そのときドアのインターホンが鳴った。
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