23 / 47
迷路
4、銀の鳥
しおりを挟む
『子鹿亭』を辞め、ノアがまずやったことは家族会議だ。
と言っても、ジョシュを呼びつけ話し合うだけだが。
のそのそやって来たジョシュが、彼女の前に座る。
「何だよ、改まって」
「知っているでしょ、わたしが無職になったこと。それで、これからどうしようか、ジョシュと相談したいの」
「ふうん、どうしよう」
気の抜けたような返事に、予想はしていたが、彼女は苦笑する。取り立て、ジョシュには意見はないようだった。
現状維持のままでは暮らしが変わらない。ずっと借金返済の目処の立たず、貧しい生活が続く。借金さえ返せれば、担保に取られている領地収入も入るし、随分楽になる。
そのためには、
(ブルー男爵家で売れるものが何かないかしら?)
もちろん、ジョシュの同意の下での話だ。
「この家で売れるものが何かない? ジョシュが賛成してくれるのなら、それを売って借金の返済に充てたいの」
「売れるもの? そんなものあったかな?」
ジョシュはきょとんとした顔で彼女を見返した。
(あったら、とっくに売っているわよね)
半ばあきらめ気分だ。
何もないのなら、今資材置き場に貸している庭の土地を売ると言う手もある。
「ねえ、じゃあ…」
「でもあれはいいのかな、家宝だし一応」
彼女の言葉にジョシュの声が重なった。「家宝」と聞こえ、驚いて聞き返す。
「何? それ、教えて」
「え。ノアも知っているだろ? 紅玉のことだよ」
「え、ああ、ごめんなさい。ど忘れしちゃったの」
ジョシュにが言うには、紅玉とは宝石を埋め込んだ銀細工の置物らしい。代々伝わる男爵家の家宝だという。
「どこにあるの?」
「ええっと、確か、夫人部屋のどこかだと…」
などと適当なことを言うから、ノアはあきれる。売る売らないは別として、家宝のありかは把握しておくべきだ。ジョシュを引っ張って、彼女は居間を出た。
彼の記憶を頼りに、部屋を物色した。それは、ノアの亡くなった母の部屋の長持の中にあった。革の硬いケースにしまわれたそれは、鳥の置物だった。大きさは両手に載るほどだが、純銀製らしく、ずっしりと重い。
「ともかく、居間に持って行きましょう。よく見たいの」
ジョシュに運んでもらい、居間に戻った。
テーブルに載せた銀の鳥はくちばしに小枝を挟んでいる。それは金色で、おそらく金だろう。そしてぱちりとした両目には赤い粒の大きな宝石が埋め込まれている。これが紅玉のようだ。それだけではなく、羽の部分にも宝石が散りばめられていた。
眺めながら、ノアはごくりと息を飲む。
(これは高価だわ。さすが、腐っても男爵家)
邸が朽ちかけ、令嬢のノアは社交界も知らない。そんな困窮した中も、売ることはしなかった家宝だ。華麗な銀の鳥を前にして、彼女はこれを売っていいかとは、易々とジョシュに問えなかった。
「大切なものだから、あんな場所に置いておくのではなく、金庫にしまいましょう。確か書斎にあったわよね」
「売らないの?」
「売っていいの?」
「そのために出してきたんだろう?」
おかしなことを聞くな、と言わんばかりだ。ジョシュはにこっと笑う。
「確かにノアの言うように、これを売って借金を返した方がいいんだろうな。僕らにはこんなの持っていても、宝の持ち腐れだし。欲しい人、いるかな?」
「本当にいいの?」
「いいよ。要らないよ、こんな鳥。古生物じゃないし、興味がない」
「あ、そう…」
彼女は拍子抜けしたが、ジョシュの言葉に力を得た。
(売って、ブルー男爵家の生活の基盤を整えておけば、本物のノアが帰った時も、助かるだろうし)
売るにしても、ちゃんとした仲買を間に挟んで…、と現実的なことを考え出した時、ジョシュが妙なことを口にした。
「僕も反省してる。生活の面倒を全部ノアに任せっきりで。兄貴として、少しだけ頼りなかった」
少しだけ、と言ったところがおかしくて、ノアは頬が緩んだ。兄妹と言っても、実のそれではないし、彼女の真の年齢はジョシュよりずっと上だ。
(結婚の早い人なら、このくらいの息子がいてもおかしくないもの)
だから、自然にそのように扱っていたかもしれない。しかも、ジョシュはずれたところも多い可愛げのある青年だ。一際世話のしがいもあった。
「そんなことないわ。ジョシュは大学で忙しいし、いいの。邸や生活のことは、任せてくれて」
「でも、グレイ先生にも注意を受けたんだ」
意外な名前が飛び出して、彼女は驚いた。
(あの先生がどうして?)
ジョシュは銀の鳥を頭に載せて遊びながら言う。
「僕がしっかりするべきだって。ノアに負担がかかり過ぎているのじゃないかって、怒っているみたいだった。妹令嬢を慈しむのは兄の僕の役目だって」
「え」
「当主として相応しい人物でないと、空席が出ても僕を教授に推せないって。それって、理事会で推薦してくれるってことかな?」
彼女は返事をせずに、ジョシュの腕を軽く叩いて、頭から銀の鳥を下ろさせた。家宝を落とされては堪らない。
アシュレイのジョシュへの叱責と言っていい言葉は、自分を気にかけてのものだ。
(きっとそう)
それがわからるから、しみじみと胸が温かくなる。
以前、責任感があり優しい彼の妹は幸せだ、という意味のことを本人に告げたことがあった。「妹はいない」とそっけなく返され、肩透かしな気分だった。時を置いて今、彼女は思う。
(何も妹さんでなくても、彼の身近にいる女性は幸せだわ)
食卓を囲んだり祝祭に集うような彼の親しい女性たちは、当たり前にその紳士的な優しさに触れていられる。
彼女にそういった振る舞いで接してくれたのは彼だけだった。『子鹿亭』で知り合ったジークもキアヌもその他の男性も親切だった。けれども、それらは友人の延長のような優しさだ。
でも、
(あの人だけはわたしを女性として、令嬢として接してくれていた。まるで重い身分の相手のように)
だから心の中で際立つし、忘れ難い。思い返しても嬉しくてときめく。
さらに、頼りないジョシュへ敢えて苦言を述べておくなど、思いやりが深い。
(特別な女性へなら、まだどれほど優しいのかしら?)
会うこともないアシュレイの恋人は、極めて恵まれた女性だと思った。
(何もかも持った、特別な人ね)
ちょっとため息をつき、彼女はジョシュに銀の鳥を金庫にしまっておいてほしいと頼んだ。
と言っても、ジョシュを呼びつけ話し合うだけだが。
のそのそやって来たジョシュが、彼女の前に座る。
「何だよ、改まって」
「知っているでしょ、わたしが無職になったこと。それで、これからどうしようか、ジョシュと相談したいの」
「ふうん、どうしよう」
気の抜けたような返事に、予想はしていたが、彼女は苦笑する。取り立て、ジョシュには意見はないようだった。
現状維持のままでは暮らしが変わらない。ずっと借金返済の目処の立たず、貧しい生活が続く。借金さえ返せれば、担保に取られている領地収入も入るし、随分楽になる。
そのためには、
(ブルー男爵家で売れるものが何かないかしら?)
もちろん、ジョシュの同意の下での話だ。
「この家で売れるものが何かない? ジョシュが賛成してくれるのなら、それを売って借金の返済に充てたいの」
「売れるもの? そんなものあったかな?」
ジョシュはきょとんとした顔で彼女を見返した。
(あったら、とっくに売っているわよね)
半ばあきらめ気分だ。
何もないのなら、今資材置き場に貸している庭の土地を売ると言う手もある。
「ねえ、じゃあ…」
「でもあれはいいのかな、家宝だし一応」
彼女の言葉にジョシュの声が重なった。「家宝」と聞こえ、驚いて聞き返す。
「何? それ、教えて」
「え。ノアも知っているだろ? 紅玉のことだよ」
「え、ああ、ごめんなさい。ど忘れしちゃったの」
ジョシュにが言うには、紅玉とは宝石を埋め込んだ銀細工の置物らしい。代々伝わる男爵家の家宝だという。
「どこにあるの?」
「ええっと、確か、夫人部屋のどこかだと…」
などと適当なことを言うから、ノアはあきれる。売る売らないは別として、家宝のありかは把握しておくべきだ。ジョシュを引っ張って、彼女は居間を出た。
彼の記憶を頼りに、部屋を物色した。それは、ノアの亡くなった母の部屋の長持の中にあった。革の硬いケースにしまわれたそれは、鳥の置物だった。大きさは両手に載るほどだが、純銀製らしく、ずっしりと重い。
「ともかく、居間に持って行きましょう。よく見たいの」
ジョシュに運んでもらい、居間に戻った。
テーブルに載せた銀の鳥はくちばしに小枝を挟んでいる。それは金色で、おそらく金だろう。そしてぱちりとした両目には赤い粒の大きな宝石が埋め込まれている。これが紅玉のようだ。それだけではなく、羽の部分にも宝石が散りばめられていた。
眺めながら、ノアはごくりと息を飲む。
(これは高価だわ。さすが、腐っても男爵家)
邸が朽ちかけ、令嬢のノアは社交界も知らない。そんな困窮した中も、売ることはしなかった家宝だ。華麗な銀の鳥を前にして、彼女はこれを売っていいかとは、易々とジョシュに問えなかった。
「大切なものだから、あんな場所に置いておくのではなく、金庫にしまいましょう。確か書斎にあったわよね」
「売らないの?」
「売っていいの?」
「そのために出してきたんだろう?」
おかしなことを聞くな、と言わんばかりだ。ジョシュはにこっと笑う。
「確かにノアの言うように、これを売って借金を返した方がいいんだろうな。僕らにはこんなの持っていても、宝の持ち腐れだし。欲しい人、いるかな?」
「本当にいいの?」
「いいよ。要らないよ、こんな鳥。古生物じゃないし、興味がない」
「あ、そう…」
彼女は拍子抜けしたが、ジョシュの言葉に力を得た。
(売って、ブルー男爵家の生活の基盤を整えておけば、本物のノアが帰った時も、助かるだろうし)
売るにしても、ちゃんとした仲買を間に挟んで…、と現実的なことを考え出した時、ジョシュが妙なことを口にした。
「僕も反省してる。生活の面倒を全部ノアに任せっきりで。兄貴として、少しだけ頼りなかった」
少しだけ、と言ったところがおかしくて、ノアは頬が緩んだ。兄妹と言っても、実のそれではないし、彼女の真の年齢はジョシュよりずっと上だ。
(結婚の早い人なら、このくらいの息子がいてもおかしくないもの)
だから、自然にそのように扱っていたかもしれない。しかも、ジョシュはずれたところも多い可愛げのある青年だ。一際世話のしがいもあった。
「そんなことないわ。ジョシュは大学で忙しいし、いいの。邸や生活のことは、任せてくれて」
「でも、グレイ先生にも注意を受けたんだ」
意外な名前が飛び出して、彼女は驚いた。
(あの先生がどうして?)
ジョシュは銀の鳥を頭に載せて遊びながら言う。
「僕がしっかりするべきだって。ノアに負担がかかり過ぎているのじゃないかって、怒っているみたいだった。妹令嬢を慈しむのは兄の僕の役目だって」
「え」
「当主として相応しい人物でないと、空席が出ても僕を教授に推せないって。それって、理事会で推薦してくれるってことかな?」
彼女は返事をせずに、ジョシュの腕を軽く叩いて、頭から銀の鳥を下ろさせた。家宝を落とされては堪らない。
アシュレイのジョシュへの叱責と言っていい言葉は、自分を気にかけてのものだ。
(きっとそう)
それがわからるから、しみじみと胸が温かくなる。
以前、責任感があり優しい彼の妹は幸せだ、という意味のことを本人に告げたことがあった。「妹はいない」とそっけなく返され、肩透かしな気分だった。時を置いて今、彼女は思う。
(何も妹さんでなくても、彼の身近にいる女性は幸せだわ)
食卓を囲んだり祝祭に集うような彼の親しい女性たちは、当たり前にその紳士的な優しさに触れていられる。
彼女にそういった振る舞いで接してくれたのは彼だけだった。『子鹿亭』で知り合ったジークもキアヌもその他の男性も親切だった。けれども、それらは友人の延長のような優しさだ。
でも、
(あの人だけはわたしを女性として、令嬢として接してくれていた。まるで重い身分の相手のように)
だから心の中で際立つし、忘れ難い。思い返しても嬉しくてときめく。
さらに、頼りないジョシュへ敢えて苦言を述べておくなど、思いやりが深い。
(特別な女性へなら、まだどれほど優しいのかしら?)
会うこともないアシュレイの恋人は、極めて恵まれた女性だと思った。
(何もかも持った、特別な人ね)
ちょっとため息をつき、彼女はジョシュに銀の鳥を金庫にしまっておいてほしいと頼んだ。
210
あなたにおすすめの小説
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
転生したら地味ダサ令嬢でしたが王子様に助けられて何故か執着されました
古里@3巻電子書籍化『王子に婚約破棄され
恋愛
皆様の応援のおかげでHOT女性向けランキング第7位獲得しました。
前世病弱だったニーナは転生したら周りから地味でダサいとバカにされる令嬢(もっとも平民)になっていた。「王女様とか公爵令嬢に転生したかった」と祖母に愚痴ったら叱られた。そんなニーナが祖母が死んで冒険者崩れに襲われた時に助けてくれたのが、ウィルと呼ばれる貴公子だった。
恋に落ちたニーナだが、平民の自分が二度と会うことはないだろうと思ったのも、束の間。魔法が使えることがバレて、晴れて貴族がいっぱいいる王立学園に入ることに!
しかし、そこにはウィルはいなかったけれど、何故か生徒会長ら高位貴族に絡まれて学園生活を送ることに……
見た目は地味ダサ、でも、行動力はピカ一の地味ダサ令嬢の巻き起こす波乱万丈学園恋愛物語の始まりです!?
小説家になろうでも公開しています。
第9回カクヨムWeb小説コンテスト中間選考通過作品
【完結】 異世界に転生したと思ったら公爵令息の4番目の婚約者にされてしまいました。……はあ?
はくら(仮名)
恋愛
ある日、リーゼロッテは前世の記憶と女神によって転生させられたことを思い出す。当初は困惑していた彼女だったが、とにかく普段通りの生活と学園への登校のために外に出ると、その通学路の途中で貴族のヴォクス家の令息に見初められてしまい婚約させられてしまう。そしてヴォクス家に連れられていってしまった彼女が聞かされたのは、自分が4番目の婚約者であるという事実だった。
※本作は別ペンネームで『小説家になろう』にも掲載しています。
『身長185cmの私が異世界転移したら、「ちっちゃくて可愛い」って言われました!? 〜女神ルミエール様の気まぐれ〜』
透子(とおるこ)
恋愛
身長185cmの女子大生・三浦ヨウコ。
「ちっちゃくて可愛い女の子に、私もなってみたい……」
そんな密かな願望を抱えながら、今日もバイト帰りにクタクタになっていた――はずが!
突然現れたテンションMAXの女神ルミエールに「今度はこの子に決〜めた☆」と宣言され、理由もなく異世界に強制転移!?
気づけば、森の中で虫に囲まれ、何もわからずパニック状態!
けれど、そこは“3メートル超えの巨人たち”が暮らす世界で――
「なんて可憐な子なんだ……!」
……え、私が“ちっちゃくて可愛い”枠!?
これは、背が高すぎて自信が持てなかった女子大生が、異世界でまさかのモテ無双(?)!?
ちょっと変わった視点で描く、逆転系・異世界ラブコメ、ここに開幕☆
堅物騎士団長から妻に娶りたいと迫られた変装令嬢は今日もその役を演じます
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
第零騎士団諜報部潜入班のエレオノーラは男装して酒場に潜入していた。そこで第一騎士団団長のジルベルトとぶつかってしまい、胸を触られてしまうという事故によって女性とバレてしまう。
ジルベルトは責任をとると言ってエレオノーラに求婚し、エレオノーラも責任をとって婚約者を演じると言う。
エレオノーラはジルベルト好みの婚約者を演じようとするが、彼の前ではうまく演じることができない。またジルベルトもいろんな顔を持つ彼女が気になり始め、他の男が彼女に触れようとすると牽制し始める。
そんなちょっとズレてる二人が今日も任務を遂行します!!
―――
完結しました。
※他サイトでも公開しております。
竜人のつがいへの執着は次元の壁を越える
たま
恋愛
次元を超えつがいに恋焦がれるストーカー竜人リュートさんと、うっかりリュートのいる異世界へ落っこちた女子高生結の絆されストーリー
その後、ふとした喧嘩らか、自分達が壮大な計画の歯車の1つだったことを知る。
そして今、最後の歯車はまずは世界の幸せの為に動く!
一夜限りの関係だったはずなのに、責任を取れと迫られてます。
甘寧
恋愛
魔女であるシャルロッテは、偉才と呼ばれる魔導師ルイースとひょんなことから身体の関係を持ってしまう。
だがそれはお互いに同意の上で一夜限りという約束だった。
それなのに、ルイースはシャルロッテの元を訪れ「責任を取ってもらう」と言い出した。
後腐れのない関係を好むシャルロッテは、何とかして逃げようと考える。しかし、逃げれば逃げるだけ愛が重くなっていくルイース…
身体から始まる恋愛模様◎
※タイトル一部変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる