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関係
3、うぬぼれていたくない
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王女が帰り、ノアは大きく吐息した。
ハークレイを母屋に伴った。行き合ったメイドに彼へお茶を頼む。
居間に落ち着き、また吐息だ。
届いたお茶を手に、ハークレイが尋ねた。
「先ほどのご令嬢は?」
貴族社会に詳しい彼も、そのすべてを把握している訳ではない。彼女はためらったのち、真実を伝えた。ごまかす意味がない。彼なら無断な他言はしない。
王女の名に、さすがの豪胆なハークレイも絶句した。頭をかいている。
「無礼でしたね」
「お珍しいのではない? 怒ったご様子はなかったわ」
彼女はスカートのない皺を伸ばし、また長く吐息した。心が疲れていた。驚きと戸惑いが続いた。切なさもそれに混じる。
「王女様がわざわざあのことを告げに?」
「そのようね。勘違いなさったのよ、若い女性によくあるわ。ちょっとしたひらめきを真実だと思い込んでしまうのね」
「あなただってお若いでしょうに」
「ふふ。そうだったわ」
カップを皿に戻したハークレイが、
「閣下があなたをお好きなのは、本当ですよ。ご本人は何もおっしゃらないが」
と言った。
「あなたまで、おかしなことを言わないで」
「何がおかしいのかな。惚れた女性だからあれこれ構うのですよ。男なら自明です。興味がない女性に、親切だけでいちいちわたしを差し向かわせたりなさらない」
去り際、王女も同じようなことを言っていた。王女だけならともかく、この人までがそう言うのなら、アシュレイの自分への興味は恋なのかもしれない。
彼女はうつむき、首を振る。
「ご自分で何もおっしゃらないことが、すべての答えだわ」
「あの方にしては、随分雄弁だと思いますがね。お邸の家政婦にあなたをお茶に招待しろとせっつかれて、怒鳴り返していらした。僕は嫌われている、と」
「え」
「家政婦は、花を贈って謝れと言い返す。そう陰気だから嫌われるんだ、と。ひどいもんです。侯爵様もかたなしだ」
彼の邸の家政婦といえば、あの厳しいセレステだとすぐ思い至る。今思えば、邸に泊まった際の凝視も理解できた。あれはオードリーに似ている自分への驚きから来るものだった。
「あなたはどうなのです? 閣下をどう思われる?」
自分が彼をどう思うか、初めて向き合ったように感じた。その名にひどく敏感だったり、動揺したり、あれこれ胸が騒ぐ。意識することもなかったが、きっと自分は彼を好きなのだろう。
その感情を踏まえた上で、
「無理よ」
と答えた。
「何が無理なのです? あなただって貴族令嬢だ。身分は釣り合うでしょう。女性側の家格が下がるのはよくある話です」
身分や家格など、縁組の具体的な話になってきて彼女は慌てた。首を振る。どう言い逃れようか、言葉を探す。
「兄が、ジョシュが一人になるから…」
「お兄さんのことではないでしょう?」
「え」
ひたりと瞳が合う。鋭いそれに、彼女は心の奥をのぞかれているような気がした。ややして、ハークレイがやや声を落とした。
「言葉に上せるのもためらいます。ノア、あなたが遭った災難のことを気に病んでのことなら、それは理由にならないですよ」
「知っているの? どうして?」
指先が震えた。アシュレイ以外にもあの事件を知られていることが耐え難かった。なぜ、あの彼がハークレイに話したのかわからない。意味なく口外はしないはずだが、
(ひどいわ)
と、恨めしくも思ってしまう。
「閣下がその件をわたしに告げたのは、犯人を調べさせるためです」
「え」
「わたしはグレイ家に益のある仕事しか指示されたことがない。あなたのことは初めての例外でした。犯人はわかりました。お望みなら、今言いますよ」
「いいえ。知りたくないわ。お願い、言わないで。忘れてしまいたいから。出来るだけ…」
「そうですね、あなたは賢明だ」
彼が犯人を調査させたのは、大学の治安のためだろう。単純にそう思った。彼は乗り気なようではなかったが、理事も務めている。
「閣下がなぜ犯人探しを命じられたか、聞かないのですね」
「それは、大学のためでしょう? 悪人を放っておけないわ」
「まさか。大学などのためにわたしを動かすことはなさいませんよ、お家の益にならない」
ハークレイは笑った。その笑顔に殺伐とした雰囲気が和らぐ。
ふっと笑いを引っ込めた。
「復讐なさるためでしょう。男なら、大事な女性のためにはそれくらい考える」
その夜、彼女は寝つかれなかった。
大きなベッドで、華奢で小柄な身体をころころと何度も寝返りさせた。
午後の出来事が頭から去らない。王女の来訪とその意味。
「アシュレイはあなたのことが絶対に好きよ」。
ハークレイまでが王女の言葉を肯定した。さらには、暴行事件の後でアシュレイが犯人の調査をさせていたことも知る。「復讐」するためなどと告げ、彼女を追い詰めた。
彼は犯人を知り、どうしたのか。彼女へ何の知らせもない。
ノアの頭に浮かぶのは、ニールの事故のことだ。どうしてもそこへ結びついてしまう。
(まさか、あの人が犯人?)
事件のことは思い返したくもないが、襲った相手として背格好は合う。彼女を呼び出すためにジークの名を使った理由として、彼ならしっくり来る。彼女の前でジークに手ひどく罵られ、恥をかかされていたのは、記憶にまだ鮮明だ。
彼女を襲った理由は不明だが、ジークの叱責を受ける元になったのは彼女の言葉だ。ジークの前で、ニールとの約束を何気なく喋った。
(それを恨みに持った?)
上手くすれば、ジークにその罪を着せることが出来る。女性を騙す詐欺を働き、小遣い稼ぎをしていた人物だ。素行は十分悪い。無防備な女性を襲うくらい、
(やるかもしれない)
その後、ニールは銃の事故で大変な怪我を負ったと知った。事故は不幸な偶然かもしれない。
銃の事故を仕込む、または誘発するなど、どうやれば出来るのか、彼女にはわからなかった。
でも、狩りは紳士の嗜みとされる。おそらくアシュレイも銃の扱いは長けているに違いない。
(それに…)
事故は王太子と王女の御前での狩りで起こったという。ジョシュが学生から聞いたことによると、彼はその事故の場に居合わせていた。
それでも偶然なのだろうか。
あの冷静で落ち着いた彼が、自分のためにそんなことまでするとは考えにくかった。
(とんでもない自惚れだわ)
答えの出ない自分の中の問いを止め、ぎゅっと目を閉じた。
ハークレイを母屋に伴った。行き合ったメイドに彼へお茶を頼む。
居間に落ち着き、また吐息だ。
届いたお茶を手に、ハークレイが尋ねた。
「先ほどのご令嬢は?」
貴族社会に詳しい彼も、そのすべてを把握している訳ではない。彼女はためらったのち、真実を伝えた。ごまかす意味がない。彼なら無断な他言はしない。
王女の名に、さすがの豪胆なハークレイも絶句した。頭をかいている。
「無礼でしたね」
「お珍しいのではない? 怒ったご様子はなかったわ」
彼女はスカートのない皺を伸ばし、また長く吐息した。心が疲れていた。驚きと戸惑いが続いた。切なさもそれに混じる。
「王女様がわざわざあのことを告げに?」
「そのようね。勘違いなさったのよ、若い女性によくあるわ。ちょっとしたひらめきを真実だと思い込んでしまうのね」
「あなただってお若いでしょうに」
「ふふ。そうだったわ」
カップを皿に戻したハークレイが、
「閣下があなたをお好きなのは、本当ですよ。ご本人は何もおっしゃらないが」
と言った。
「あなたまで、おかしなことを言わないで」
「何がおかしいのかな。惚れた女性だからあれこれ構うのですよ。男なら自明です。興味がない女性に、親切だけでいちいちわたしを差し向かわせたりなさらない」
去り際、王女も同じようなことを言っていた。王女だけならともかく、この人までがそう言うのなら、アシュレイの自分への興味は恋なのかもしれない。
彼女はうつむき、首を振る。
「ご自分で何もおっしゃらないことが、すべての答えだわ」
「あの方にしては、随分雄弁だと思いますがね。お邸の家政婦にあなたをお茶に招待しろとせっつかれて、怒鳴り返していらした。僕は嫌われている、と」
「え」
「家政婦は、花を贈って謝れと言い返す。そう陰気だから嫌われるんだ、と。ひどいもんです。侯爵様もかたなしだ」
彼の邸の家政婦といえば、あの厳しいセレステだとすぐ思い至る。今思えば、邸に泊まった際の凝視も理解できた。あれはオードリーに似ている自分への驚きから来るものだった。
「あなたはどうなのです? 閣下をどう思われる?」
自分が彼をどう思うか、初めて向き合ったように感じた。その名にひどく敏感だったり、動揺したり、あれこれ胸が騒ぐ。意識することもなかったが、きっと自分は彼を好きなのだろう。
その感情を踏まえた上で、
「無理よ」
と答えた。
「何が無理なのです? あなただって貴族令嬢だ。身分は釣り合うでしょう。女性側の家格が下がるのはよくある話です」
身分や家格など、縁組の具体的な話になってきて彼女は慌てた。首を振る。どう言い逃れようか、言葉を探す。
「兄が、ジョシュが一人になるから…」
「お兄さんのことではないでしょう?」
「え」
ひたりと瞳が合う。鋭いそれに、彼女は心の奥をのぞかれているような気がした。ややして、ハークレイがやや声を落とした。
「言葉に上せるのもためらいます。ノア、あなたが遭った災難のことを気に病んでのことなら、それは理由にならないですよ」
「知っているの? どうして?」
指先が震えた。アシュレイ以外にもあの事件を知られていることが耐え難かった。なぜ、あの彼がハークレイに話したのかわからない。意味なく口外はしないはずだが、
(ひどいわ)
と、恨めしくも思ってしまう。
「閣下がその件をわたしに告げたのは、犯人を調べさせるためです」
「え」
「わたしはグレイ家に益のある仕事しか指示されたことがない。あなたのことは初めての例外でした。犯人はわかりました。お望みなら、今言いますよ」
「いいえ。知りたくないわ。お願い、言わないで。忘れてしまいたいから。出来るだけ…」
「そうですね、あなたは賢明だ」
彼が犯人を調査させたのは、大学の治安のためだろう。単純にそう思った。彼は乗り気なようではなかったが、理事も務めている。
「閣下がなぜ犯人探しを命じられたか、聞かないのですね」
「それは、大学のためでしょう? 悪人を放っておけないわ」
「まさか。大学などのためにわたしを動かすことはなさいませんよ、お家の益にならない」
ハークレイは笑った。その笑顔に殺伐とした雰囲気が和らぐ。
ふっと笑いを引っ込めた。
「復讐なさるためでしょう。男なら、大事な女性のためにはそれくらい考える」
その夜、彼女は寝つかれなかった。
大きなベッドで、華奢で小柄な身体をころころと何度も寝返りさせた。
午後の出来事が頭から去らない。王女の来訪とその意味。
「アシュレイはあなたのことが絶対に好きよ」。
ハークレイまでが王女の言葉を肯定した。さらには、暴行事件の後でアシュレイが犯人の調査をさせていたことも知る。「復讐」するためなどと告げ、彼女を追い詰めた。
彼は犯人を知り、どうしたのか。彼女へ何の知らせもない。
ノアの頭に浮かぶのは、ニールの事故のことだ。どうしてもそこへ結びついてしまう。
(まさか、あの人が犯人?)
事件のことは思い返したくもないが、襲った相手として背格好は合う。彼女を呼び出すためにジークの名を使った理由として、彼ならしっくり来る。彼女の前でジークに手ひどく罵られ、恥をかかされていたのは、記憶にまだ鮮明だ。
彼女を襲った理由は不明だが、ジークの叱責を受ける元になったのは彼女の言葉だ。ジークの前で、ニールとの約束を何気なく喋った。
(それを恨みに持った?)
上手くすれば、ジークにその罪を着せることが出来る。女性を騙す詐欺を働き、小遣い稼ぎをしていた人物だ。素行は十分悪い。無防備な女性を襲うくらい、
(やるかもしれない)
その後、ニールは銃の事故で大変な怪我を負ったと知った。事故は不幸な偶然かもしれない。
銃の事故を仕込む、または誘発するなど、どうやれば出来るのか、彼女にはわからなかった。
でも、狩りは紳士の嗜みとされる。おそらくアシュレイも銃の扱いは長けているに違いない。
(それに…)
事故は王太子と王女の御前での狩りで起こったという。ジョシュが学生から聞いたことによると、彼はその事故の場に居合わせていた。
それでも偶然なのだろうか。
あの冷静で落ち着いた彼が、自分のためにそんなことまでするとは考えにくかった。
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