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問題
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アシュレイは肩を抱いたままノアの髪に指を触れた。
彼女が前触れなく旅に出たと知らされ、自分は束の間、泡のような夢を見ていたのではないかと思った。甘くて幸福なそれがぷちんと割れ、現実に残酷に引き戻された気がした。
しかし、彼女は帰ってきたし、側にいる。手で触れ、口づけることも出来た。夢ではない。
(ノアはオードリーとは違う)
今が嬉しかった。
彼女の存在で波立っていた気持ちが和ぎ、自分が幸福なのだと気づく。
「北州のどこへ行ったの?」
「オーブリーの古城へ。その辺りを散策したの」
「なら、ノッティングかな」
「ええ。先生は行かれたことがあるの?」
「いや、そこの知事に度々鹿撃ちに招かれていた。興味が持てなくて断ってきたけれど」
「…お知り合いなの?」
「大学の先輩に当たる。式典で会って話す程度だよ。確か、イーサン・フレミングだ」
彼女は、こほんと軽く咳き込んだ。女性だけの旅では疲れることも多かっただろうと、少し痛々しく感じる。腕に包むように華奢な身体を引き寄せた。
彼女が旅の計画を打ち明けてくれていたなら、幾らでも手配の労を取った。同行せずとも、安全面にも十分気を配ってあげた。適当な宿ではなく、フレミングの館に泊まらせることだって自分なら容易かった。
そういえば、と噂を思い出す。
(長く独身を通して来たイーサンが、幼なじみと最近結婚したと聞いた)
「ねえ、先生」と言う彼女の声に、顔を向けた。
「…さっき、お邸に招待するっておっしゃったけれど、お茶会か何か?」
「いや、君に邸に慣れてほしくて。家内の者にも会わせたい。僕の妻になる人だから」
ノアがしゃっくりするような声を出した。その反応がおかしくて彼は笑った。
「笑わないで。急に求婚なさるから、驚いたの」
「え」
彼には思いを告げることがすでに求婚を意味した。それに対して、彼女から反論もなかったから、承諾をもらったと考えていた。
(違うのか)
彼は勉強で苦労をした経験はない。しかし、この時は落第を突きつけられた学生の気持ちを味わった。
「僕は、まだ返事をもらっていなかった?」
彼女は彼の腕の中で少し身じろぎした。その仕草さえ意味深に思え、落ち着かない。
「…わたし、きれいなお邸でお花を活けたり刺繍をして、おとなしく過ごすことが出来ないと思うの」
「今のままの君でいい」
「先生は奥様らしくないの、お嫌じゃない?」
ノアの小動物を思わせる愛らしい瞳が、くりんと彼を見上げる。その意味ある視線に、気持ちを真っ直ぐ射抜かれるようだった。
「変な商売を続けたって構わない。好きにしてくれていい」
「それなら…、お受けします」
彼女は彼を見つめながら微笑んだ。
彼はちらりと思った。
意志の強い彼女だ。『ブルー・ティールーム』の経営を続ける自由は、彼から譲歩させようと目論んでいたに違いない。
(僕が絶対に呑むと知っていて、だ)
餌に引っ掛かった自分を思うが、不快でもない。生き生きと彼女らしく振る舞う姿にこそ、彼は恋したのだから。
「何か僕から贈らせてほしい。ドレスや宝石や、君のほしいものを。結婚前のグレイのやり方なんだ」
彼の言葉は花嫁支度に窮するブルー家を思い遣ってのものだった。彼女が恥じらって遠慮しても、家訓だと押し通し、すべて用意してあげるつもりでもある。
「何か僕にねだってくれないか?」
彼の問いかけに、彼女は思い出したようにはっとなった。真剣な眼差しで告げる。
「ジョシュ」
「は」
「池を駄目にしてジョシュが大学をクビになったら困るの。先生、助けて。お願い」
アシュレイは一瞬呆れ、その後ふっと笑顔になった。そんな彼女に自分はすでに夢中でいる。
(この思いを見失ってはいけない)
「任せて。僕が何とかするよ」
終
最後までお読みいただきありがとうございました。
彼女が前触れなく旅に出たと知らされ、自分は束の間、泡のような夢を見ていたのではないかと思った。甘くて幸福なそれがぷちんと割れ、現実に残酷に引き戻された気がした。
しかし、彼女は帰ってきたし、側にいる。手で触れ、口づけることも出来た。夢ではない。
(ノアはオードリーとは違う)
今が嬉しかった。
彼女の存在で波立っていた気持ちが和ぎ、自分が幸福なのだと気づく。
「北州のどこへ行ったの?」
「オーブリーの古城へ。その辺りを散策したの」
「なら、ノッティングかな」
「ええ。先生は行かれたことがあるの?」
「いや、そこの知事に度々鹿撃ちに招かれていた。興味が持てなくて断ってきたけれど」
「…お知り合いなの?」
「大学の先輩に当たる。式典で会って話す程度だよ。確か、イーサン・フレミングだ」
彼女は、こほんと軽く咳き込んだ。女性だけの旅では疲れることも多かっただろうと、少し痛々しく感じる。腕に包むように華奢な身体を引き寄せた。
彼女が旅の計画を打ち明けてくれていたなら、幾らでも手配の労を取った。同行せずとも、安全面にも十分気を配ってあげた。適当な宿ではなく、フレミングの館に泊まらせることだって自分なら容易かった。
そういえば、と噂を思い出す。
(長く独身を通して来たイーサンが、幼なじみと最近結婚したと聞いた)
「ねえ、先生」と言う彼女の声に、顔を向けた。
「…さっき、お邸に招待するっておっしゃったけれど、お茶会か何か?」
「いや、君に邸に慣れてほしくて。家内の者にも会わせたい。僕の妻になる人だから」
ノアがしゃっくりするような声を出した。その反応がおかしくて彼は笑った。
「笑わないで。急に求婚なさるから、驚いたの」
「え」
彼には思いを告げることがすでに求婚を意味した。それに対して、彼女から反論もなかったから、承諾をもらったと考えていた。
(違うのか)
彼は勉強で苦労をした経験はない。しかし、この時は落第を突きつけられた学生の気持ちを味わった。
「僕は、まだ返事をもらっていなかった?」
彼女は彼の腕の中で少し身じろぎした。その仕草さえ意味深に思え、落ち着かない。
「…わたし、きれいなお邸でお花を活けたり刺繍をして、おとなしく過ごすことが出来ないと思うの」
「今のままの君でいい」
「先生は奥様らしくないの、お嫌じゃない?」
ノアの小動物を思わせる愛らしい瞳が、くりんと彼を見上げる。その意味ある視線に、気持ちを真っ直ぐ射抜かれるようだった。
「変な商売を続けたって構わない。好きにしてくれていい」
「それなら…、お受けします」
彼女は彼を見つめながら微笑んだ。
彼はちらりと思った。
意志の強い彼女だ。『ブルー・ティールーム』の経営を続ける自由は、彼から譲歩させようと目論んでいたに違いない。
(僕が絶対に呑むと知っていて、だ)
餌に引っ掛かった自分を思うが、不快でもない。生き生きと彼女らしく振る舞う姿にこそ、彼は恋したのだから。
「何か僕から贈らせてほしい。ドレスや宝石や、君のほしいものを。結婚前のグレイのやり方なんだ」
彼の言葉は花嫁支度に窮するブルー家を思い遣ってのものだった。彼女が恥じらって遠慮しても、家訓だと押し通し、すべて用意してあげるつもりでもある。
「何か僕にねだってくれないか?」
彼の問いかけに、彼女は思い出したようにはっとなった。真剣な眼差しで告げる。
「ジョシュ」
「は」
「池を駄目にしてジョシュが大学をクビになったら困るの。先生、助けて。お願い」
アシュレイは一瞬呆れ、その後ふっと笑顔になった。そんな彼女に自分はすでに夢中でいる。
(この思いを見失ってはいけない)
「任せて。僕が何とかするよ」
終
最後までお読みいただきありがとうございました。
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お話ありがとうございます。
ただ、、終 の後のコメント
次ページか、空白を多くとり下の方に出来たらお願いしたいですね。
余韻を楽しみにしているのに、現実がすぐにきてしまいおろ?っとなりました。
例えれば、閉店間際の横でテーブル拭き
私のこだわりですみません、、
お読み下さりありがとうございます。
ご指摘の点、全く考えていませんでした。勉強不足でした。
文章にばかり気が行って、そういう点をおろそかにしてしまいました。
今後はその点気をつけていきます。
教えていただきありがとうございました。
感謝を込めまして。
完結おめでとうごさいます。 ノアとアシュレイ、これから幸せになれそうですね。
貴族と平民、いろいろ大変なこともあるんでしょうが、見た目は若くても、、ノアの精神年齢は37❓歳、
年下のアシュレイとうまくやっていけるのでしょう。 ついでに、ノアの兄様もなんとか職場を失わずにすみそうだし、ハッピーエンドですね。 次回の作品も楽しみにしています。
最後までお読み下さり、まことにありがとうございます。
何とか着地できました。
ノアは気丈で前向きなので、アシュレイと一緒ならば上手くやっていけるのかな、と思います。兄に次いでうまく操ってしまいそうですけれど。
兄のジョシュとララ(元ノア)はあまり苦労せずラッキーを掴むタイプのようです。兄妹の似たところが描きたかったので、そこは自己満足しています。
ちまちまと綴っていますので、また次回投稿させていただいた際はぜひぜひよろしくお願いします。
メッセージをありがとうございました。