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6.旅と王子とドラゴン
しおりを挟む領地のタタンは王都から東に向かう。アリヴェル王子の隊に混じることで、砦を経由しての旅となった。
乗馬には慣れているし、自信もあった。けれども、騎馬した近衛兵らのスピードも技量も段違いで、ついて行くのがやっとのあり様だ。
隊長を務める王子の側近のウィルが、細やかに気を配ってくれる。黒髪の美丈夫で頼もしい男性だ。
わたしよりも、文官型のマットのダメージがきつそうで、冷酷な見た目とは裏腹に、ウィルの彼への配慮もとてもありがたかった。
王子を守る近衛の兵団で当たり前だが、命令系統も一貫し、統一が取れ行動の無駄がない。これらの隊がときに数を増し、国境線の砦を視察、調査して回っているという。
年の大半をこうやって旅と馬上の日々で過ごす。これがアリヴェル王子の日常らしい。
「殿下の場合は、ご趣味もありますよ」
日が陰り、野営地に着いたときだ。組織的に野営の準備が迅速に整っていく。長い乗馬で辛そうなマットの腰の具合をウィルが看てくれている。
ウィルがうつ伏せに寝たマットの腰をなでながら言う。
「殿下はドラゴンを探しておられるのですよ。もちろん、生きたそれではなく、過去の痕跡ですが」
「ふうん」
ターリオン王家はドラゴンの末裔と伝承されている。その血を受け継ぐ王子なら、興味があってもおかしくない。
ウィルの治療を受けた後では、マットの顔色もいい。小柄で華奢な彼に強行軍を強いて申し訳なく思う。
「いえ。近衛隊の護衛の中移動できるのですから、ありがたいですよ」
「そう言ってくれると助かるわ。そう、マット、あなたに言い忘れていたことが…」
父に頼むつもりの鉱山の採掘費用が工面できそうにない知らせだ。それを伝えると、マットは軽く唸った。
「一次の採掘は次を当て込んだ軽いもので、次回の費用が出ないとなると、今回掘った意味がありません。せっかくの穴も雨で埋まってしまうし」
「蓄えで何とかしのげない?」
「それが、シェリル様のご婚儀で随分出してしまったこともあって、これ以上は厳しいかと…」
「そうよね。そもそも、使うお金じゃないものね。領民のための備えだものね」
食事に呼ばれた。話は途切れ、そのままになる。
アリヴェル王子の隣りに招かれた。焚火を前に彼は快活そうに見えた。「食べろ」と気さくに焼いた肉を取ってくれる。
「殿下がさっき狩られたのですよ」
ウィルの説明だ。長駆の後で狩りまでこなす。さらに御用のかたわらドラゴンの跡を追う。貴い王子の身で野営が続くきつい旅に慣れ、楽しむ人なのだ。
隊の雰囲気も、律しられて厳しくはあるが全体的に和やかだ。ウィルの統率だけではなく、トップの彼の醸し出すものが浸透してそうなるのだ。
変に頑なところはあるが、尊敬できる人ではある。一体、冷酷だの無残だのの噂はどこから出ているのか。数日近くに過ごしても、そんな片鱗は見当たらない。
食事の後で、王子がわたしを呼んだ。
「採掘の費用は僕が出す」
「え?」
「マットとその話をしていただろう。僕が助けると言っている」
「聞いていたの?」
天幕の中での小さな会話だったのに。盗み聞きされたようで嫌だった。わたしがにらんだので、彼が尖った声を出した。
「男と二人きりになるなど、君が誤解されるような行動をするからだ」
「マットはそんな人ではありません」
「とにかく、要るだけ費用は出す」
「いただけません。そんな理由もないのに」
「婚約者を助けるのに理由など要らない」
「婚約者って、また...」
「君だけだ、受け入れていないのは。みなが君を僕の婚約者と捉えている」
確かに、わたしへのウィルの態度の明らかな軟化は、王子のお相手として接しているからだ。それを認めておいて、婚約を受け入れないと言い張るのは矛盾している。
彼は国の乙女の望む最上の相手だ。わたしはなぜ、そこに喜んで飛び込めないのだろう。
彼に不似合いな自分を自覚しているから?
彼との将来に、不安を感じるから?
そもそも領地経営に夢中のわたしと、年がら年中旅をしてドラゴンも追う彼とでは、すれ違いばかりで家庭が築けそうにもない。
それを聞いてみる。
彼はちょっと笑い、あっさりと言う。
「僕の領地を守ってくれればいい」
え。
「鉱山開発でも農業促進でも、君の興味で何でもして構わない。僕は留守にすることがあるだろうけど、君のもとに必ず帰る」
彼の言葉は衝撃だった。
彼はごく簡単にわたしの前に二人の理想を広げて見せた。それは、互いの夢が混じり合う将来の素敵な絵だ。
すぐに言葉を返せなかった。
自分にそんな未来があるのかと、魔法でも使われた気分だった。本音を言えば、嬉しかった。
「…ありがとうございます」
彼はわたしの礼を鉱山費用の件と取ったようで、すぐにウィルを呼んだ。すぐにやって来たウィルに、送金を命じている。
「それは、ちょっと...」
止めようと声が出たが、不思議とそれ以上我を張る気持ちになれなかった。意味なく甘えることは嫌いなのに。
「理由など要らない」。彼の声が何となく胸に残った。
ちゃんと成果を出して返せばいいのだ。利子も付けて。そのように心を落ち着けた。
その日は砦城にに泊まることになった。
雨風が強く、走り続ける間は正直きつかった。ウィルがわたしとマットを気遣い、全体の行軍スピードを調節してくれたおかげで、何とかついて行けた。
馬を降りる際、マットがくずおれて地面に倒れた。わたしも駆け寄ったが、一歩ウィルが早く、華奢な彼を抱えて中に運んでくれた。
その背を追うわたしの肩を誰かがつかんだ。王子だった。
「君は平気か?」
「ええ」
そう返したが、引き留められたため、ぐらりと身体が揺らいだ。とんと彼の胸にもたれてしまう。態勢を戻そうとしたとき、抱きかかえられた。
「無理をするな」
「だ、大丈夫なのに」
「真っ青な顔をしている」
そのまま部屋に運ばれた。砦の内部は要塞らしく石壁で、それでも調度が上等だった。きっと彼のために用意される部屋なのだろう。
すでに火の起こっている暖炉の前にそっとおろされた。直に感じる火の温もりがしんから嬉しい。
火を前にして黙り込んだ。二人きりの沈黙がいたたまれない。
「マットは大丈夫かしら」
「ウィルが付いている。君はどうだ? 震えているぞ」
マント越しでもしっとりと衣服はぬれていた。ひどく身体は冷えている。肩を抱かれた。背後から抱きしめられ、腕に包まれる。
心地よかった。
「おとなしいな」
「いつもはじゃじゃ馬だって思っているのでしょう?」
「その通りだ」
ふと、首筋に彼の唇が触れるのを少し感じた。
「君はいい匂いがする」
夕べ、川で汗を流したきりだ。髪もぬれたままを束ねたまま。いい匂いだなんておかしな人。
「雨の匂いよ」
「毎日降ればいいのに」
「毎日こうするの?」
「する」
「変な人」
寒いから、を理由に彼の腕から逃げないでいる自分こそ、変だ。
彼からも雨の匂いがした。
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