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24.グィネス王太子妃
しおりを挟む王太子妃のグィネス様にお茶の招待を受けた。この日は天気も良く暖かで、宮殿の中庭の東屋に場が設けられていた。
ちい姫が花々の咲くあたりを駆け回っている。
「では、行って来るよ」
王太子様が狩りのお支度で、グィネス様の額に口づけた。睦まじいご様子だ。
「お気をつけて」
「行ってらっしゃいませ」
わたしも見送る。
王太子様と王子は王妃様を伴われて、近くの狩場へ狩りに出かけられる。王子は先に王妃様をお迎えに行っていた。
「あなたも行きたいのではなくて? アリーがあなたが狩りもよくするって」
「王都までの旅で何度もやりましたし、帰りにまたすることになりそうですから、十分です」
「アリーについて行ける行動力がうらやましいわ」
と、目を大きくされる。小柄で華奢な愛らしい方で、優美な王太子様によくお似合いだ。
問われるままに、タタンでの日々やルヴェラでの暮らし、旅のことを話す。
少しの間の後で、「お気を悪くしないでね」と前置きされた。それで、話の見当はついてしまう。
「女官から聞いたの。ご家族が断罪されたことを…。お聞きしてもいい?」
やはり、わたしの実家の件だ。婚儀や他の儀礼にも顔を見せることもなく、慣例の祝儀の昇爵もなかった。
耳障りでいらしたに違いない。深窓の令嬢でお育ちの方には、信じがたい醜聞だ。自分を麗しいお庭に迷い込んだ野良猫に感じた。
隠すことでもない。王子が罪の斟酌をしてくれたおかげで、遠方の領地で暮らせていることまでを話した。行き来が許されないのは自明だ。わたしもそれを望まない。
「里がないのはおつらいわね…。あなた、どこか寂しそうに笑うの。それで気になったの」
そうなのか。自分の笑い方など考えたこともない。ただ、王家方々の温かな絆を遠くに感じたのは覚えている。
「ふふ、わたしがラルフに言われていたことだから、人の笑顔に余計な見方をするのかも。ごめんなさいね」
「え」
「聞いていない? わたしは奴隷だったのよ」
うっすらと口角を上げておっしゃる。グィネス様は艶やかな黒髪をふっくらと結われた可憐な女性だ。言葉の意味がわからない。
「わたし、バトロワ島の出身なの。故郷はデミタリア王国の圧政を受けていて、島民は王家の奴隷だった。男は労働力で売られるし、女は別な意味で売られる。島は出荷する人間の畑にされていたの」
壮絶な話で、簡単に相槌が打てない。
デミタリア王国は海を隔てた遠国で、バトロワ島はその突端に位置していたと思う。その程度の知識しかない。
「島の領有をめぐって隣国と争っていて、隣国の王が盟友国の王である陛下に助けを求めたの」
出兵が決まった。兵が船団で海を渡る。総指揮を取ったのがラルフ王太子だった。王子が「兄上は外征も果たした立派な騎士だ」と語っていたことを思い出す。このことに違いない。
隣国とデミタリア軍の兵が戦う戦火の中、島民は逃げ惑ったという。
「デミタリアの兵に囚われたら、そのまま収監される。内地に送られて、絶対に逃げ出せない。戦いの混乱が、生き延びるチャンスだった」
「ご家族はどうなさったのですか?」
「島民に家族はないの。子は生まれてすぐに親から離され育つから…」
「ごめんなさい」
聞いたことを後悔した。グィネス様は首を振る。
その恐怖の中、彼女らは谷地に潜んだ。しかし、子供の泣き声で敵兵に見つかってしまう。
「駄目だと思った。自分のこの先をあきらめたわ。そのとき、ラルフが兵を率いてやって来てくれたの」
自ら剣を抜き敵を切り伏せる彼は、ドラゴンのようだったという。
「ターリオン王家はドラゴンの家だと聞いていたけれど、本当にそうだと思ったわ。彼の緋のマントが、ドラゴンの炎のように見えた」
彼方を見る瞳はうっとりと潤んで見えた。きっと今も、王太子様に恋をしていらっしゃるのだ。
グィネス様が王太子様の雄姿にドラゴンを重ねるように、わたしも王子に同じ影を見ている。隊を率い疾走する彼の姿は、青い炎をまとうドラゴンだ。
友軍の活躍による勝利で、島は隣国の領有と決まった。その後、島民は解放され、隣国の民となるか、海を渡りこの国へ移民するかを選択することになった。
「大半は隣国を選んだわ。島の土地を分け与えられることになったし、奴隷制度も消えたから。わたしは違う場所を見たくて、移民してきたの」
移民は王都に住まいを与えられた。職も多い。グィネス様は王宮の書庫の整理をする仕事に就いたという。
「そこでラルフにまた会えたの」
失礼だが、移民のグィネス様と王太子様では身分が違う。どう距離が縮まっていくのか。
その頃から、王太子様は咳をなさるようになった。デミタリアは毒を燻し、その煙で敵兵を苦しめる戦法があるらしい。
「ラルフはわたしたちを救うために戦ってくれたのよ。なのに、それで咳の病を得てしまって…。ひ弱く見えるけど、図々しいの、わたし。強引に看病を申し出たの。あんな人だから、側を許してくれた」
「あんな人」の意味はわかる気がした。それは王子にもよく通う。彼も「あんな人」だから、わたしを選んでくれた。
「まだルヴェラに移る前のアリーが、お供の目を盗んでよくお見舞いに来ていたのよ。でもすぐに見つかって、連れ戻されていたわ。ラルフの病気がうつるものだと考えられていたから。アリーは彼が死ぬのじゃないかと怖がっていたのね。見ていて可哀そうだった」
感染すると恐れられていた王太子様に付き添う彼女にも、大きな思いがあったはず。それが伝わらないわけがない。王太子様にも愛情が生まれるのは時間の問題で、その後二人は結ばれて今に至る。
「嫌ね、自分語りとのろけみたいで」
「とんでもない」
今のグィネス様は、ふんわりとした苦労知らずの令嬢育ちそのものに見える。耳にした凄惨な過去は信じがたいほどだ。
儀礼や社交も優雅にこなし、王太子様の隣りがふさわしいレディそのもの。
「王家に嫁ぐと実家経由で面倒なこともあるそうよ。義母上のお言葉だけれど、領地の揉め事の裁定に色をつけてほしいとか、不祥事をもみ消して欲しいとか、放蕩者を騎士にしてくれとか…。里がなければ、厄介な頼まれごとも受けずに済むわ」
つらい出自を話されたのは、自分もそうだからと近寄って下さったのだ。励まして下さってのこと。
「里がない者同士、仲良くなれたらうれしいわ」
そう親し気に手を取られた。王太子妃の彼女とは身分が違う。厚意の礼に、いすから降り、彼女にひざまずいた。
わたしの振る舞いに、グィネス様もいすから立った。視線を合わせて下さる。
「ラルフならともかく、わたしに拝跪は止して。ねえ、ダーシー。ターリオン王家はドラゴンの家でしょう。王子のラルフとアリーはドラゴンの息子だと思わない?」
「え」
「わたしたちはドラゴンの息子たちに選ばれて、愛されている女なの。誇りを持たなくては。気安くひざまずかないで」
彼女はわたしを立たせ、いすを勧めた。微笑まれる。
「グィネスと呼んで。わたしたちは気楽にやりましょう」
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