忘れられた幼な妻は泣くことを止めました

帆々

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外から吹く風

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 数日を経て、アリスはロフィと共に母屋に呼ばれた。二人で向かうことは初めてで、ロフィはアリスの手を引いてはしゃいでいる。

 舅の居間にはフーもいた。謹厳な様子で控えている。楽しんでいたロフィも舅を前にしてかしこまって座った。アリスは緊張したその手を握ってやる。

「あんたの親族の名でわしに手紙が届いた。ロフィの件だ。王宮の小姓見習いにぜひ推挙したいと…。あんたの差し金か?」

 鋭いその視線をアリスは避けずに受けた。ここに呼び出された理由は彼女の想像した通りだった。そして、ロフィを伴うようにと命じたことで、舅の意思も読めるような気がした。受け取った手紙が不快なら、彼女のみを脅すなり叱りつければいい。

(小姓見習いに就かせることに前向きなのだわ)

 ロエルの読みが図に当たったことに驚きと嬉しさがあった。それを抑えながら首を振る。レイナからも「話を合わせておいて」と指示があった。

「わたしは何も。ロフィのことは話したことがあったので、それで条件が合うと推してくれたのだと思います」

「そう手紙にもあった。王宮の小姓は貴族しかなれないものだと思ったが、あんたが母親ならそのようなものか。何とも便利なもんだな『高家』の嫁は。余計な噂も消してくれる」

 舅は機嫌が良さそうだ。上流社会に食い込む為にディアーの代で家業の金貸しを辞める算段があった。その布石が早過ぎるロフィへの当主交代だった。彼が王宮の小姓見習い就くことは、ドリトルン家の印象改善の強い後押しになるはずだ。

「レイナへのお返事は済まされました? 急ぐらしいので……」

「早急とのことで、私が大旦那様のお名前で応諾の返事を差し上げました」

 フーが告げた。

「他にも候補の子供があるらしいが、あんたの養子ならまず確実に請け合うとあった。あてが外れるようなことはあるまいな? 客にうっかりもらした後だ」

「はい、それはないかと……」

 ロエルにその確証があればこそ、レイナに頼んでドリトルン家に打診の手紙を送ってきている。公爵家の彼になら容易いことでもあるのだろう。

「要り用な品があれば、フーに言って何でも用意させろ。裏手にロフィのための馬場を作らせる。そこで子馬から乗馬を仕込むぞ。小姓になる身が馬に乗れんでは、他の者に遅れをとるからな。ふむ、王宮に通うならそれ用の馬車が要るだろう。どれ、あつらえるか」

 随分と気前がいい。これまでのアリスたち離れへの冷待遇を思えば、その変わりようは滑稽なくらいだった。孫が王宮のお役を賜るのはよほど気分がいいらしい。

「ディアーを早々に当主から下ろしたのは正解だった。お前は渋い顔をしたが間違いはなかった。これから表向きの書面は皆、嫁の名になるのだからな。随分と見栄えがする」

 フーを見やり自画自賛だ。
 
「左様にございますね」

 アリスは二人のやり取りを聞き、既に当主の交代は終わってしまっているのだと知った。くどいほどロエルにはその不利益を告げられていたのに。その事実すら彼女には知らされないのだ。止める手立てがなかったのも仕方のないことだった。 

「色々指導してやるんだな。上流なやり方はあんたがよく知っているはずだ」

「さあ、どうでしょう……?」

 そうアリスが応じたのは謙遜でもない。社交も知らない彼女は「上流社会」が何たるかをよくわかっていない。実家の高家はただ上品で質素なだけだった。それを高雅なのだと信じ込んできたに過ぎない。

「孫が侮られるのは、わしが侮蔑されるのと同じことだからな。押し出しよく頼むぞ」

「レイナに教わりますわ。彼女は社交もして世間にも明るいから」

 そう返して思いついたことがあった。外出の時間の件だ。レイナの邸の他行く当てなどないが、それも短く限られている。昼食や晩餐をぜひにと勧められても断るしかなかった。もう少し自由がほしい。

「外出の時間をもう少しいただけませんか? そうすれば、ゆっくり彼女に相談できるので」

「構わん」

 あっさり下った許可にアリスは心が跳ねた。やや前屈みになる。

「外で晩餐をいただいてはいけませんか? 帰りが遅くなりますが…」

「いいだろう」

 思わず口元を抑えた。そうしないと嬉しさにおかしな声を出しそうだった。そんな彼女を舅は薄く笑って見ている。優しさで笑みが浮かんだのではなく、反応が笑いを誘ったようだ。

 アリスは控えたフーをちらりと見る。舅の言質は取った。これで彼も彼女の自由を認めざるを得ない。

「もう逃げ出す心配は要らんだろうからな」

 舅の言葉にはっとなる。フーによる彼女への締め付けの理由を今頃になって知った。「逃げ出さない為」だとは思いも寄らなかった。

 姫育ちの彼女が嫁いだ邸には居場所がなかった。夫となったディアーには愛人がいて、堂々と母屋に住っている……。退路も先も立たれたような過去の息苦しさが、ふとよみがえる気がした。アリスは細く長く吐息した。

(でも、逃げ出さなかった)

 それは、

(逃げ出せなかったから)

 長い時間を経たようで、ほんのひと時だったようにも感じた。そんな彼女の小さな世界は、これからも変わり映えなく続いていく。

「ロフィ、お前は王宮で小姓見習いになるのだぞ。名誉あるお役だから、しっかりと務めるように」

「はい、お祖父様」

 祖父からの言葉にロフィは硬い声で応じた。小姓見習いが何かも知らないのに。質問をし、祖父を煩わせては機嫌を損ねることは理解している。アリスの側のその頬がこわばって見えた。寄宿学校の話が出た時とは違い取り乱さないのは、側のアリスが落ち着いているからだ。

(それでも不安のはず)

 彼女はしっかりロフィの手を握って包んだ。

 それから程なく舅の居間を辞した。以前のように、アリスの手にはナフキンに包んだ菓子がたっぷりとある。お茶と共に出されたので勧めたが、ロフィは口をつけなかった。離れではお菓子には目がないのに。

「帰ってから食べましょう」

 彼女が包みをかざすと嬉しそうに笑った。厳しい舅の前で緊張していたに違いない。

「母上、コショウミナライって、何?」

「王宮でお役を務める少年のことらしいわ」

「僕、それになるの? お祖父様はそれを言っていたの?」

 ロフィは不安げな顔を向けた。舅が言い出した寄宿学校の件もそうだったが、幼い彼にとって自分を取り巻く理解の及ばない話は恐怖でしかない。アリスはロフィを引き寄せるようにして側に寄せた。

「大丈夫よ。どこか遠い場所に行くのではないの。小姓見習いになったら、お祖父様はもう決して寄宿学校のお話をなさらないわ。すごく名誉なことなのですって。だから、さっきもご機嫌でいらしたでしょう?」

「母上と離れないのなら、いいや」

 ロフィは甘えるように彼女に頭を擦り付ける。

 ともかく、今日の首尾をレイナに追って知らせなくてはならない。彼女のために動いてくれているのだから。直接会って報告したいと思った。聞きたいこともある。王宮の小姓見習いについてアリスには何の知識もない。

 もう晩餐を勧められても断らずに済む。しかし、ドリトルン家の厳しさを把握しているレイナが配慮し、彼女を誘わないかもしれない。断る側も気を使うからだ。優しいレイナならあり得る気配りだ。

(でも、自分から言い出すのは、さすがにみっともないわよね)
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