忘れられた幼な妻は泣くことを止めました

帆々

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秘め事

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 ギアー氏の邸に主人は不在だったが、その夫人のレイナは在宅していた。連絡もなく現れたアリスに驚き表情を見せたが、歓迎してくれる。

 暮れる前で庭に面したテラスの席に案内された。レイナのサロンは先客があるらしい。アリスを残し、

「少しだけ待っていて」

 と去って行った。彼女とは違いレイナは社交も行う。連絡もなくやって来るのは甘えた行為だったと、失礼を悔やんだ。

 それほど待たずにレイナは戻ってきた。アリスは急の来訪を詫びた。

「いいのよ。あなたは家族よ。妹だと思っているのだもの。それに、あまり好きではないお客だったの。ちょうど良かったわ。帰っていただく口実になって」

 レイナは長椅子の隣に掛け、アリスの表情をのぞく。

「最近は手紙ばかりで、久しぶりね。お変わりない?」

「ごめんなさい。お茶や晩餐にお招きしてもらっていたのに……」

 レイナからは手紙で、邸に来るように招待を常々受けていた。しかし気が向かず、風邪気味だのロフィが熱を出したの、と口実を作り訪れていなかった。断る理由はレイナの親身な忠告を退け、ロエルとの手紙のやり取りに耽ってしまっているやましさからだった。

(なのに、こんな時ばかり頼って……)

「いいのよ、お顔を見せてくれたのですもの。わたしね、あなたがつむじを曲げているのじゃないかと、ちょっと考えていたの。ほら、ロエルとの手紙の件で言ったこと、あれが余計なことだったのかしらって。あなたには嫌な勘繰りでしかないものね。そんな訳もないのに。ごめんなさい」

 アリスは首を振った。レイナの助言は親切で適切だった。彼女の身を案じての苦言で何の非もない。それを破って秘めた遊びに淫している自分が醜いのだ。

「違うの……」

 彼女はロエルとのやり取りが続いていることを打ち明けた。絶句したレイナがその手段を聞いた。自分は手を貸していないのだから謎なのだ。

 侍女の采配で直接彼と文通をしていると知ると、レイナは悩ましげに眉根を寄せた。実にその視線が失敗をしでかした妹を見るようで、アリスは申し訳なさに胸が震えた。

「知られてはいないのね? それは確か?」

 怒りもあろうに、その全てを省略し殺した声で聞く。小刻みにアリスは頷いた。

「大丈夫。誰にも知られていないわ」

「ロエルはどういうおつもりなのかしら? わからないわ、あの方の考えることが……。あなたをいたずらに困らせているようにしか思えないの」

(違う)

 彼だけのせいではない。彼女だってその手紙に一喜一憂し胸を躍らせている。先に引き込んだのは彼であっても、応じたのは彼女だ。それがなければ何も始まりはしない。

「そのこともあって……、レイナに申し訳なくて足が遠のいてしまったの。ごめんなさい」

「隠していてもあなたが辛いだけでしょうに。でも、しょうのないことね、もう起こってしまったことは」

 レイナの嘆息に、アリスは再び小さく詫びた。

「ともかく、打ち明けてくれて嬉しいわ。わたしはあなたの味方なの。それは信じて頂戴」

「ありがとう、レイナ」

 アリスはこの日、夫人に招かれ公爵邸を訪れていたことを伝えた。その場で夫人から聞いたロエルの消息の件を告げた。

「夫人が心配されているの。普段なら、帰郷の前にはご連絡があるそうよ。お帰りの期限もとうに過ぎているし……。レイナ、何か知らない? ギアー様にロエルのことをお聞きしていない? 急なご用が出来たとか、それでお忙しいとか……」

 話しながら、アリスは一旦しまった涙がぶり返す。レイナを前にしての甘えだとわかる。それがほんのり心地よく、そしてそんな自分が情けなかった。

「わたしの手紙にも……、随分お返事が、いただけないの……」

 レイナは嗚咽するアリスの肩に腕を回し引き寄せる。背をなぜながら、

「主人は何も言っていないわ。でも、天気の都合や道中の件で旅が遅れるなどありそうよ。あの方はとにかく剣の腕の立つ方で、まさかの心配は不要だと思うわ。大丈夫、大丈夫よ」

 となだめた。その場しのぎを口にしているつもりはなかった。これまでのロエルならそのうちふらりと帰って、彼女たちの前に当たり前の顔をして現れそうに思うのだ。

 しかし、彼が母親思いなのはレイナも知っている。母親が心配するのを承知の上で、帰郷の遅れの連絡を怠るとは考えにくいとも思う。

 結局何もわからないまま、不安に潰されそうなアリスを慰めることしかできない。彼女の涙が落ち着くのを待ってから、レイナは少し話の向きを変えた。

「公爵夫人と仲が良いのね。何をお話しするの?」

「孤児院での活動のこととか、わたしの暮らしのことをお話ししたりよ。わたしには話すほどのことがことがないのけれど」

「主人もロエルとは長いおつき合いだけれど、公爵夫人を紹介されたことはないの。主人でそうなのだから、他の友人方も推して知るべしね。夫人は社交界の噂で辛い思いをされた方だから、人前に出ることで、また母上が悩まれないようにとのご配慮だと思うわ。だから、あなたが公爵夫人をご紹介されたと聞いて、ひどく驚いたわ」

 それは知らなかった。慈善を始めるアリスに慈善家の夫人の興味が向くのは自然なことに思えたから、会うことに疑問も持たなかった。

「あなたは特別なのね、それは確かよ」

「そんな……」

 暗いばかりだった目の前が、少し明るさを取り戻す。先は何もわからない。ただ、レイナの言葉により今心はほのぼのと嬉しい。

「あんな方だもの、あなたが好きになるのもわかるわ」

「……いけないことなのは、わかっているの。お父様に知られたらと思うと、自分が恥ずかしくて、情けなくなる……」

「責めないで。しょうのないことよ」

 顔を覆うアリスの背を撫ぜながら、レイナは細く嘆息する。ロエルは純粋培養の無垢な彼女を許されない恋に引き込んだ。何かを間違えれば、アリスは窮地に立たされ全てを失うこともある。災厄のような恋なのは、彼にだってわかるはず。

(身勝手だわ……)

 彼は真摯な人柄であり、時に貴公子らしい奔放さも持ち合わせていた。それは彼の魅力の一つだが、今は恨めしく思う。
 
「ともかく連絡を待ちましょう。きっと、何かご事情があってお帰りが遅れているの。大丈夫よ、念のため主人にも聞いておくわ。あまり心配しないで」

「ありがとう、レイナ」

 力なく頷く彼女へレイナは苦々しさをのみ込んで微笑んだ。夫のギアー氏にも二人のことは迂闊にもらせない。その思いが再びため息を呼んだ。
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